自分が自分にブレーキをかけている
たとえば、勉強が出来るようになりたい、としましょう。
あるいは、お金持ちになりたい、としましょう。
はたまた、モテたい、としましょう。
そうでなければ、痩せて綺麗になりたい、としましょう。
現代では、方法論は、全て揃っています。
昔のように、秘密でも、一部の人しか知らない訳でもありません。
インターネットの出現により、誰もが良いノウハウを知り得るようになったのです。
どれも、そんなに難しいことではありません。
あっけないくらい簡単なことだったりもします。
でも、背中を押すと、当の本人が、全力で抵抗をするのです。
口では、前に進みたいと言いながら、ブレーキはベタ踏みしているのです。
この「ブレーキはベタ踏み」の状態を自分で意識できる人は、けっこう稀です。
さっと意識できるのは、このブログを長いこと読んでいる人か、既に何かで成功している人、ぐらいでしょう。
そうでない人は、些細なことで、ものすごい拒絶反応を起こしてしまうのです。
たとえば、「モテるためにはマメになると良い」と言われたとしましょう。
その場合、モテない人は、
「見事にスルー」するか、
「そんなことをするくらいだったらモテなくていい」と感情的になるか、どちらかなのです。
一方、モテる人に、そう言うと、「当たり前でしょう」と受け入れます。
反応が、ぜんぜん違うのです。
たとえば、「モテるためには痩せると良い」と言われたとしましょう。
その場合、モテない人は、
「見事にスルー」するか、
「そんなことをするくらいだったらモテなくていい」と感情的になるか、どちらかなのです。
一方、モテる人に、そう言うと、「当たり前でしょう」という反応なのです。
反応が、正反対くらい違うのです。
スルーしたり、感情的になる人は、「未来の自分」にとって「役に立つことを拒絶する」のですから、何かがおかしいのです。
それって、「その病気は、この薬を飲めば治る」と知っても、飲まないようなものです。
そのお蔭で、当人は一生、悩み、苦しみ、もがき続けるのです。
この話は、案外、深くって、人によって避けるポイントが違うので、自分もそうだと、自覚症状がある人の方が少ないのです。
たとえば、彼はマメに連絡をするべきだとか言いながら、彼女はぶくぶく太ってたりするケース。
ぶくぶく太って魅力が低下したので疎遠になっているという場合、大抵、その事実を認めたくもないし、改善したくもないのです。
また、彼女は痩せているべきだとか言いながら、彼はマメに連絡しないケースもあります。
太るべきではないとか言いながら、マメに連絡しないのは別によくって、改善する気もないのです。
あの人は言っても聞かないとか言いながら、自分だって聞かないのです。
ほとんどの人は、勘違いしていますが、言ってわかる人なんて、ほぼ居ないのです。
だいたい、スルーするか、感情的になるか、どちらかになります。
事実、言ってわかるくらいだったら、みんな学業優秀になってます。
授業だって、宿題だって、試験だって、言われた通りにやってれば、もう1つや2つ上の学校に行けたことでしょう。
そうならなかったのは、言われたことをやらなかったからです。
言ってわかるぐらいなら、こんなにメタボリックシンドロームは、大流行しないのです。
これが、いわゆる日本人の普通ですから、つまり、言ってわかる人なんて、ほぼ居ないのです。
こうやれば痩せると言われたって、その通りに体が動かないのです。
言われても、体が動かない人の方が、ほとんどなのです。
主婦は、子供や旦那に「何度、言ったらわかるのかしら…」と言いますが、その主婦にダイエットはこうすると、何度、言ってもわからないのです。
これをもう少し深く掘って考察してみると、「言ったらわかる」というのは、そもそも幻想なのがわかります。
モテる人からすれば、モテるためには痩せればいいんだよ、で終わりですが、「はい、やります」と言える人の方が、稀なのです。
モテる人からすれば、モテるためにはマメになればいいんだよ、で終わりですが、「はい、やります」と言える人の方が、稀なのです。
1日に5分、10分のことでさえ、やりたくないのです。
モテる人にとっては当たり前の些細なことでさえ、モテない人にとっては、それだけはやりたくない、それをするくらいならモテなくてもいい、という風に決めるのです。
で、それを決めている人は、100%、その人、自身です。
絶対に、確実に、その人自身です。
他に誰も、つけ入る隙はありません。
つまり、願いが叶わないのは、「自分で自分に強烈なブレーキをかけて、自ら出来ないようにしている」からなのです。


あるいは、お金持ちになりたい、としましょう。
はたまた、モテたい、としましょう。
そうでなければ、痩せて綺麗になりたい、としましょう。
現代では、方法論は、全て揃っています。
昔のように、秘密でも、一部の人しか知らない訳でもありません。
インターネットの出現により、誰もが良いノウハウを知り得るようになったのです。
どれも、そんなに難しいことではありません。
あっけないくらい簡単なことだったりもします。
でも、背中を押すと、当の本人が、全力で抵抗をするのです。
口では、前に進みたいと言いながら、ブレーキはベタ踏みしているのです。
この「ブレーキはベタ踏み」の状態を自分で意識できる人は、けっこう稀です。
さっと意識できるのは、このブログを長いこと読んでいる人か、既に何かで成功している人、ぐらいでしょう。
そうでない人は、些細なことで、ものすごい拒絶反応を起こしてしまうのです。
たとえば、「モテるためにはマメになると良い」と言われたとしましょう。
その場合、モテない人は、
「見事にスルー」するか、
「そんなことをするくらいだったらモテなくていい」と感情的になるか、どちらかなのです。
一方、モテる人に、そう言うと、「当たり前でしょう」と受け入れます。
反応が、ぜんぜん違うのです。
たとえば、「モテるためには痩せると良い」と言われたとしましょう。
その場合、モテない人は、
「見事にスルー」するか、
「そんなことをするくらいだったらモテなくていい」と感情的になるか、どちらかなのです。
一方、モテる人に、そう言うと、「当たり前でしょう」という反応なのです。
反応が、正反対くらい違うのです。
スルーしたり、感情的になる人は、「未来の自分」にとって「役に立つことを拒絶する」のですから、何かがおかしいのです。
それって、「その病気は、この薬を飲めば治る」と知っても、飲まないようなものです。
そのお蔭で、当人は一生、悩み、苦しみ、もがき続けるのです。
この話は、案外、深くって、人によって避けるポイントが違うので、自分もそうだと、自覚症状がある人の方が少ないのです。
たとえば、彼はマメに連絡をするべきだとか言いながら、彼女はぶくぶく太ってたりするケース。
ぶくぶく太って魅力が低下したので疎遠になっているという場合、大抵、その事実を認めたくもないし、改善したくもないのです。
また、彼女は痩せているべきだとか言いながら、彼はマメに連絡しないケースもあります。
太るべきではないとか言いながら、マメに連絡しないのは別によくって、改善する気もないのです。
あの人は言っても聞かないとか言いながら、自分だって聞かないのです。
ほとんどの人は、勘違いしていますが、言ってわかる人なんて、ほぼ居ないのです。
だいたい、スルーするか、感情的になるか、どちらかになります。
事実、言ってわかるくらいだったら、みんな学業優秀になってます。
授業だって、宿題だって、試験だって、言われた通りにやってれば、もう1つや2つ上の学校に行けたことでしょう。
そうならなかったのは、言われたことをやらなかったからです。
言ってわかるぐらいなら、こんなにメタボリックシンドロームは、大流行しないのです。
これが、いわゆる日本人の普通ですから、つまり、言ってわかる人なんて、ほぼ居ないのです。
こうやれば痩せると言われたって、その通りに体が動かないのです。
言われても、体が動かない人の方が、ほとんどなのです。
主婦は、子供や旦那に「何度、言ったらわかるのかしら…」と言いますが、その主婦にダイエットはこうすると、何度、言ってもわからないのです。
これをもう少し深く掘って考察してみると、「言ったらわかる」というのは、そもそも幻想なのがわかります。
モテる人からすれば、モテるためには痩せればいいんだよ、で終わりですが、「はい、やります」と言える人の方が、稀なのです。
モテる人からすれば、モテるためにはマメになればいいんだよ、で終わりですが、「はい、やります」と言える人の方が、稀なのです。
1日に5分、10分のことでさえ、やりたくないのです。
モテる人にとっては当たり前の些細なことでさえ、モテない人にとっては、それだけはやりたくない、それをするくらいならモテなくてもいい、という風に決めるのです。
で、それを決めている人は、100%、その人、自身です。
絶対に、確実に、その人自身です。
他に誰も、つけ入る隙はありません。
つまり、願いが叶わないのは、「自分で自分に強烈なブレーキをかけて、自ら出来ないようにしている」からなのです。

