シックスセンス
*注意*
昔の映画なので、大丈夫だとは思いますが、多分に、ネタバレを含みますので、映画『シックスセンス』を観てない方は、観てから本分を読んでもらえると、よりいっそうよく解ると思います。
シックス・センス [DVD]

¥4,179
Amazon.co.jp
それでは、はじまり、はじまり。
映画『シックスセンス』では、主人公は、自分自身が既に亡くなっていることに気が付きません。
当人は、自分は至って「普通」だと思っているのです。
自分は普通なのですから、異常があると周りがおかしいと思います。
これが、もう既に「普通じゃない」のです。
日本は、この「普通病」(いま作った造語です)にかかっている人が、激増しています。
でも、当人は「普通」だと思っているので、たちが悪いのです。
たとえば、認知症は、自分が病気だと思ってませんから、周りが認知症だと思ったりします。
なぜかと言うと、貸したお金を返してもらったのに、返してもらったことを忘れてしまうので、相手が返してくれないと考えるからです。
当人は自分が普通だと思っていますから、「相手が認知症にかかったから、返すのを忘れているんだ」と思うのです。
これが、自分は「普通」だと思っている「普通病」の症状にとっても似ています。
そこに、日本人の言わなくてもわかるハズ的な甘えが加味されて、訳が分んなくなってきているのです。
たとえば、普通とは、慣習として行われているとか、過半数以上の人がやっているとか、そういう共通の基盤があって、はじめて成り立つハズです。
それが、たとえば、祭りひとつとってみても、
「普通、祭りは神輿を担ぐでしょう」という普通から、
「普通、祭りの日は混むから家で寝てるでしょう」という真逆の普通があったりするのです。
こんなの「普通」でも何でもありません。
「普通」を免罪符代わりにして、だから自分は正しいみたな歪んだロジックを構築するのです。
何故かというと、自分の主張を通しながら、責任逃れが出来て便利だからです。
「普通病」の人は、「普通」なんだから正しいみたいな恐ろしいロジックを構築します。
躾と称して、暴力を振るうのも、「普通、躾ってそういうものだから」みたいな理屈でしょう。
他にも、人のせいにするのに、暴力的に使われています。
普通、旦那がゴミを捨てるものでしょう。
普通、家事は女房がするもんだろう。
普通、学校がなんとかすることでしょう。
普通、男が…。
普通、女が…。
普通、上司が…。
普通、部下が…。
普通、親が…。
普通、先生が…。
普通、若者が…。
などなどなど。
で、根拠は、自分は普通側にいるんだから、正しい。普通側じゃない方は間違っているのだから、正しい方に従えみたいな話になるのです。
一体全体、何なんでしょう、その普通って。
しかも、よく観察してみると、その時の自分の都合や立場で、普通がコロコロ変わるようです。
コロコロ変わる普通って、意味不明です。
この傾向が、老若男女問わず、とても増えています。
これは認知症みたいなもので、言葉足らずで、自分でも自分が何を言っているのか把握してないことがほとんどです。
小学生同士の喧嘩と言うか、単なる感情論になってしまっています。
念のため、繰り返しますが、これは大人の話です。
自分が、自分は何を言いたいのか解っていなかったら、相手にはもっと伝わりません。
自分が、一体何を言いたいのかは、安易な言葉に頼らずに、自分自身を記述する必要があります。
そのためには、「普通」とか「当たり前」とか「人間として」とか、さももっともらしい化学調味料みたいなインスタントな言葉を使わないことです。
「人間として」とか言う人に限って、友達が居なかったり、家の手伝いをしてなかったり、暴飲暴食をしてたりする人が、とてもとても多いです。
で、「あなたにとって『人間として』の定義は何ですか?」と聞いたところで、たいした答えを持ち合わせていないのです。
「普通」とか「当たり前」とかも、同様です。
たとえば、生まれた土地から一度も外へ出たことがない人がいたとしましょう。
その人が、北海道に住んでいたとします。
そしたら、その人の言う「普通」とは、「北海道では」と言う意味なのです。
ただ当人に言語処理能力が無いので、そういう意味だと自分自身でも認識が出来ないのです。
自分の家の匂いは、自分じゃ嗅げないようなものです。
普通、家ってこんな匂いだろうと言われたって、それは全然、普通じゃないってことです。
人間は、言語で思考します。
その言語が、安易と言うか幼稚だと、いくら思考しても、その幼稚な語彙で思考をする訳ですから、頭がよくなる訳が無いのです。
その頭で、受験に出てくる問題だけをかたっぱしから暗記していけば、良い大学へは入れます。
学歴は、つきます。
でも、言語処理能力、そのものが弱いままなので、社会へ出ても役に立たないのです。
ちなみに、女性が望む頭の良さとは、こういうことが解る能力です。
学歴や、資格とか、暗記さえすればとれる暗記力ではないのです。
そして、社会が望む頭の良さも、こういう理解力です。
ここを踏み外すと、世間を嘆くご老人になってしまいます。
なぜなら、自分が生きてきた小さな世界を普通として、それと今は違う(普通と違う)と嘆くしかないからです。
こうならないための理想は、現状を超えたゴール設定をして、現状から抜け出してみることですが、それが難しいようでしたら、「普通」とか「当たり前」などの安易な言葉を、使わないようにしましょう。
人間は、十人十色。生き方も一万人居れば、一万通りの生き方があるのですから。
昔の映画なので、大丈夫だとは思いますが、多分に、ネタバレを含みますので、映画『シックスセンス』を観てない方は、観てから本分を読んでもらえると、よりいっそうよく解ると思います。
シックス・センス [DVD]

¥4,179
Amazon.co.jp
それでは、はじまり、はじまり。
映画『シックスセンス』では、主人公は、自分自身が既に亡くなっていることに気が付きません。
当人は、自分は至って「普通」だと思っているのです。
自分は普通なのですから、異常があると周りがおかしいと思います。
これが、もう既に「普通じゃない」のです。
日本は、この「普通病」(いま作った造語です)にかかっている人が、激増しています。
でも、当人は「普通」だと思っているので、たちが悪いのです。
たとえば、認知症は、自分が病気だと思ってませんから、周りが認知症だと思ったりします。
なぜかと言うと、貸したお金を返してもらったのに、返してもらったことを忘れてしまうので、相手が返してくれないと考えるからです。
当人は自分が普通だと思っていますから、「相手が認知症にかかったから、返すのを忘れているんだ」と思うのです。
これが、自分は「普通」だと思っている「普通病」の症状にとっても似ています。
そこに、日本人の言わなくてもわかるハズ的な甘えが加味されて、訳が分んなくなってきているのです。
たとえば、普通とは、慣習として行われているとか、過半数以上の人がやっているとか、そういう共通の基盤があって、はじめて成り立つハズです。
それが、たとえば、祭りひとつとってみても、
「普通、祭りは神輿を担ぐでしょう」という普通から、
「普通、祭りの日は混むから家で寝てるでしょう」という真逆の普通があったりするのです。
こんなの「普通」でも何でもありません。
「普通」を免罪符代わりにして、だから自分は正しいみたな歪んだロジックを構築するのです。
何故かというと、自分の主張を通しながら、責任逃れが出来て便利だからです。
「普通病」の人は、「普通」なんだから正しいみたいな恐ろしいロジックを構築します。
躾と称して、暴力を振るうのも、「普通、躾ってそういうものだから」みたいな理屈でしょう。
他にも、人のせいにするのに、暴力的に使われています。
普通、旦那がゴミを捨てるものでしょう。
普通、家事は女房がするもんだろう。
普通、学校がなんとかすることでしょう。
普通、男が…。
普通、女が…。
普通、上司が…。
普通、部下が…。
普通、親が…。
普通、先生が…。
普通、若者が…。
などなどなど。
で、根拠は、自分は普通側にいるんだから、正しい。普通側じゃない方は間違っているのだから、正しい方に従えみたいな話になるのです。
一体全体、何なんでしょう、その普通って。
しかも、よく観察してみると、その時の自分の都合や立場で、普通がコロコロ変わるようです。
コロコロ変わる普通って、意味不明です。
この傾向が、老若男女問わず、とても増えています。
これは認知症みたいなもので、言葉足らずで、自分でも自分が何を言っているのか把握してないことがほとんどです。
小学生同士の喧嘩と言うか、単なる感情論になってしまっています。
念のため、繰り返しますが、これは大人の話です。
自分が、自分は何を言いたいのか解っていなかったら、相手にはもっと伝わりません。
自分が、一体何を言いたいのかは、安易な言葉に頼らずに、自分自身を記述する必要があります。
そのためには、「普通」とか「当たり前」とか「人間として」とか、さももっともらしい化学調味料みたいなインスタントな言葉を使わないことです。
「人間として」とか言う人に限って、友達が居なかったり、家の手伝いをしてなかったり、暴飲暴食をしてたりする人が、とてもとても多いです。
で、「あなたにとって『人間として』の定義は何ですか?」と聞いたところで、たいした答えを持ち合わせていないのです。
「普通」とか「当たり前」とかも、同様です。
たとえば、生まれた土地から一度も外へ出たことがない人がいたとしましょう。
その人が、北海道に住んでいたとします。
そしたら、その人の言う「普通」とは、「北海道では」と言う意味なのです。
ただ当人に言語処理能力が無いので、そういう意味だと自分自身でも認識が出来ないのです。
自分の家の匂いは、自分じゃ嗅げないようなものです。
普通、家ってこんな匂いだろうと言われたって、それは全然、普通じゃないってことです。
人間は、言語で思考します。
その言語が、安易と言うか幼稚だと、いくら思考しても、その幼稚な語彙で思考をする訳ですから、頭がよくなる訳が無いのです。
その頭で、受験に出てくる問題だけをかたっぱしから暗記していけば、良い大学へは入れます。
学歴は、つきます。
でも、言語処理能力、そのものが弱いままなので、社会へ出ても役に立たないのです。
ちなみに、女性が望む頭の良さとは、こういうことが解る能力です。
学歴や、資格とか、暗記さえすればとれる暗記力ではないのです。
そして、社会が望む頭の良さも、こういう理解力です。
ここを踏み外すと、世間を嘆くご老人になってしまいます。
なぜなら、自分が生きてきた小さな世界を普通として、それと今は違う(普通と違う)と嘆くしかないからです。
こうならないための理想は、現状を超えたゴール設定をして、現状から抜け出してみることですが、それが難しいようでしたら、「普通」とか「当たり前」などの安易な言葉を、使わないようにしましょう。
人間は、十人十色。生き方も一万人居れば、一万通りの生き方があるのですから。