頭を鍛えて損はない

いよいよ7月。
そろそろ夏休みです。
子供にとっては、ウキウキ、ワクワクの季節ですね。
そんな夏休みに、宿題なんかしないで遊んでいたい気持ち、わかります。
暑いから、勉強する気が起きない。わかります。
やりたいことは、友達と遊ぶこと、そりゃ~そうでしょう。
ただ、目先の欲に釣られて本当に遊びほうけてしまうと、後が大変なのです。
子供には、その判断がつきません。
何故なら、生きてきている時間が、短すぎるからです。
子供の世界では、家と学校の往復くらいしかしないので、世界がとても狭いのです。
そんな狭い世界の中で、たとえば「簿記」とか「英語」の必要性を聞かされても、いまいちピンと来ないのは、当然のことです。
とは言え、ピンと来るくらいになってからでは、遅いのです。
目の前は海で、浜辺で遊んでいる人たちが沢山いるのに、こんなことをやって何になるんだろうと思う気持ちは、わかります。
「じゃ~、夏は勉強せずに遊びほうけてみれば」
とは言えないのです。
何故かと言うと、手遅れになるからです。
それは、コーラとか、ピザとかを毎日食べて、食っちゃ寝る生活をするようなものです。
やりたいこと、食べること。
すきなこと、遊ぶこと。
それで好き放題やって、太っちゃって、勉強もしてこなかった人が辿る人生は、悲惨です。
特に、若い時の何でも吸収する力を、記憶や運動じゃなくて、食べ物に使ってしまったのは、もう取り返しがつきません。
18歳で資格の勉強をするのと、28歳で資格の勉強をするのとでは、体力的にも、時間的な余裕的にも、かなりの差が出来てしまいます。
これが勉強だからまだ良いものの、もし、スポーツだったら、もう埋まらないほどの差が出来ます。
サッカーをするにしても、野球をするにしても、バスケをするにしても、バレーボールをするにしても、走り込みは必要です。
何が悲しくて、真夏の炎天下にグラウンドを走らなければいけないんだ、と思うのはもっともです。
やりたいことは、家でゲーム、恋人とデート、ショッピングなど、そりゃそうでしょう。
それでもやっぱり、走り込んでおいた方が良いのです。
走り込みは、すぐには結果に結びつかないでしょう。
こんなことをやって何になるのかと思うかもしれません。
こんなに苦しいのならやめたいと思うかもしれません。
でも、走り込みをしなかったら強くならないのは、絶対なのです。
これは揺るぎの無い事実です。
特に、現代人に著しく劣っている点が、ここにあります。
物事を考え続ける時間が、著しく短いのです。
集中力が続かないのです。
先日、某慶応大学の授業風景を見たのですが、唖然としました。
学生のほとんどが、「集中力が続かない」のです。
後ろでぺちゃくちゃ話していたり、携帯をいじっていたり、本を読んだり、上の空なのです。
これのマズイのは、筋肉が使わないと衰えるのと一緒で、脳も使わないと集中力が続かなくなるのです。
勉強とは、頭を鍛えるという側面があります。
頭を鍛えるとは、簡単なパズルでは駄目で、複雑なパズルなほど良い訳です。
でも、学生は解けそうなものしか解こうとしない。
で、ちょっとでも難しいと、すぐ投げてしまうのです。
で、答えを見て、答えを覚えようとします。
率直に言うのが許されるのなら、
「バカ大爆発
」です。
どこの世界に、「知恵の輪」の答えを見て覚えて「解いた」というアホが居るでしょうか。
でもこれが現実に沢山いるのです。
某慶応大学でもそうなくらいですから、他の大学は言わずもがなでしょう。
確かに、受験のテクニックとしては、それは正しいのです。
数学の解法も、英語の単語も、解らなかったら答えを見て覚えた方が効率が良いでしょう。
でも、それはバカを量産する方法です。
実社会では、「知恵の輪」をちゃんと解いてきた人の方が、役に立つのは言うまでもないでしょう。
「知恵の輪」をちゃんと解くには、これをやったって意味ないとか、飽きたとか、やる気がしないとか、他のことに目移りして、放り投げるのではなく、集中し続けることが必要なのです。
正解、不正解ではなく、粘り強く取り組むことに意義があるのです。
答えを見て、解法を覚えて、一瞬で解ければ良いという話ではありません。
こんな簡単なことが理解できず、本屋では、お手軽本がたくさん出ています。
そのほとんどが、迷える子羊に答えを授ける本になっています。
その本を読んだ人は、自分で考える手間が省けますから、よりいっそう頭が弱くなるのです。
人生のうちで一番頭を使うと言われる学生時代。その中でもトップクラスの某慶応大学でも頭が弱くなってきています。
こう書くと、そんなことは無いだろうと反論されるかもしれません。
確かに、そんなことは無くあって欲しいのですが、これは本当なのです。
分り易い例で言えば、「追いがつおつゆ」を「一番だし」より上だと思うようなものです。
みんな、買ってきた「めんつゆ」で料理をするので、自分で「つゆ」を作れないようなものです。
出来合いの調味料や、インスタントに慣れ過ぎて、そもそもが何なのか知らないのです。
「醤油」と「酒」と「みりん」と「砂糖」と「かつお」があっても、それと「めんつゆ」が繋がっていないのです。
優秀な学生でも、答え(レシピ)を見ないと作れない。
そんなんじゃ新メニューの企画、開発なんて任せられないでしょう?
それなのに、クリエイティブな部署を希望したりするのです。
サッカーをするにしても、野球をするにしても、バスケをするにしても、バレーボールをするにしても、どんな陸上競技をするにしても、走り込みは必要です。
その走り込みを「やる気がしない」とか「飽きた」とか、「そんなのより試合したい」とか、言ってちゃお話になりません。
同じように、「知恵の輪」をすぐ放り投げるようじゃお話にならないのです。
「知恵の輪」は、「今やるべき課題のこと」です。
それが何であれ、走り込みのように、頭を鍛える訓練になるのです。
集中力を鍛えることに意義があるのです。
今はクックパッドなどのレシピ集が沢山あります。
だから勢い、答えを見て、市販の調味料で作りたくなる気持ちもわかります。
「だし」をとるなんて、そんなところはスキップしたいのでしょう。
でも、本当は逆なのです。
「だし」さえしっかりとれれば、後はどうとでもなるのです。
みそ汁にしても、煮物にしても、肉じゃがにしても、何でも作れるようになるのです。
「走り込みをして何になるの?」
「知恵の輪を解いて何になるの?」
「めんつゆを自作して何になるの?」
実力になるのです。
この話が必要な人に届きますように☆彡

