手段の幅と可能性の幅 | プラクティス

手段の幅と可能性の幅

可能性の幅を大きくするには、先に、手段を決めないことです。

手段の幅が可能性の幅ではなく、可能性の幅が手段の幅になります。


幅が広いというで、多くの人が考えているイメージが、道幅が広い道路です。

4車線くらいある高速道路のイメージでしょうか。

でも、ここで言いたいのは、いくらあなたが運転が得意で好きだとしても、その車という「手段」を手放すことです。

手段の幅、いわゆる車線の多さがいくら多くても、それは可能性の幅とはイコールではありません。

それどころか、可能性の幅が狭まるのです。


可能性の幅は、まずゴールがあって、それに行く道筋が数多くあること、です。

大阪に行くにあたって、高速道路だけではなく、飛行機も使えることです。

車が良いからと言って安心してはダメなのです。

なぜなら、可能性の幅が狭まるからです。

可能性の幅は、多様な手段を知って、それを選択できる状態のことを言います。


これって当たり前!?


いやいや、仕事の話になると、途端に出来なくなったりするのです。

たとえば、Aさんは新幹線で移動していたとします。

ですが事故で、新幹線は動かなくなりました。

ここからは、バイクか車を使って自分で移動するしかないとします。

ところが、Aさんは時間はあったのに、免許をとっていませんでした。

こうなってしまうと、お手上げです。


可能性の幅は、多様な手段を知ってるだけでなく、

それを選択できる状態のことを言います。


選択できなければ、無いも同然なのです。


選択して、出来る力を能力と言います。

もっと話を単純にしましょう。

障害物競走があって、そこに溝や、川や、壁があったとします。

万全なのは、飛べて、泳げて、登れることです。

でも、仕事では大抵どれかを専門でやります。

すると、いつも飛んでて得意になってた人が、ある日、突然、川に囲まれて、自分は泳げないことに気が付くと、絶望してしまうのです。

その人の世界観の中では、多様な手段とは、高飛び、幅跳び、3段ジャンプとかだったのです。


井の中の蛙の世界では、それが常識だったのです。

周りも誰一人、疑う者はいません。

なぜなら、みんな同じ蛙だったからです。


井の中での多様な手段は、本来の意味の多様な手段ではありません。

本来の多様な手段とは、飛び方のバリエーションではなく、飛べて、泳げて、登れることです。


ですから、可能性の幅を大きくするには、先に、手段を決めないことです。

先に、飛ぶと決めてしまうと、もう外の世界は見えなくなってしまいます。

すると、その手段が断たれた時に、何もできなくなってしまうのです。


今後、このことに気づかない、あるいは気づいても可能性の幅を大きくしないところは、バタバタと倒れて行きます。

その勢いは、ますます加速して行くでしょう。


だから、言いたいのです。倒れる前に、可能性の幅をもっと大きく、と。


「フジフイルム」というフィルムで有名な会社があります。

そこは、写真に関するものを売っていました。

でも、その手段が行き詰まって、そろそろ行き止まりが見えてきました。

飛ぶの例で言うと、目の前に川が迫ってきたのです。

その川は海まで続いていて、とても飛び越えることは出来ません。

で、どうしたか。

手段(成功体験)を捨て、可能性を模索したのです。

そもそもカメラとは何か。

写真とは何なのか。

会社が提供する「価値」とは何なのか。


たとえば、それは母親が子供と一緒に笑っている光景を記録に残すこと、です。


それを可能にするには…。

こうやって可能性の幅を広げることで、カメラや写真だけでは足りない、手段が見えてきました。


それが、「美しい写真」のための技術で化粧品を作り「美しい肌づくり」をすることです。

一見、化粧品と富士フィルムは関係ないようですが、可能性の幅を大きくすると、矛盾はないのです。

なぜなら、母親の肌を美しくすることで、母親が子供と一緒に笑っている光景を、よりキレイに記録に残すことが出来るからです。


これが、可能性の幅を大きくすることです。


可能性の幅を大きくするには、先に、手段を決めないことです。

成功体験がある人は、その手段を繰り返したがりますから、いったんそれを忘れることです。

そして、あるべきゴールのイメージを鮮明にしていくことです。

すると、手段は後から見えてきます。


可能性の幅を大きく、末広がりの人生を歩んで行きましょう。


この声が必要な人に届きますように☆彡

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