脱線と浮遊 | プラクティス

脱線と浮遊

ゴールまで続く線路があったとします。

そこを走る列車が、脱線したり、浮遊したりしてしまうと、ゴールにたどり着けません。

たとえば、ある人が、お医者さんになりたいとします。

そのために、医大に行くという手段が見えたとします。

それに向けて勉強します。

と、この際に、英語、数学、国語、理科、社会の勉強をしっかりしないで、医療とは何かみたいな問題を考えるのが、浮遊状態です。

これは一見、ゴールに繋がっているように見えるので、たちが悪い病気です。

正気に戻るのは、大学に不合格になってからだったりします。

もっとたちが悪いと、一生目が覚めなかったりします。


脱線は、浮遊と似てるのですが、ゴールとは全然関係ない明後日の方向へ行くことです。

勉強しようと思ったら、携帯が気になって、携帯見たら友達からメールが来てて、電話したら友情について語り合っちゃって、あ~、有意義な1日だったな、みたいなのを繰り返すことです。

そのうち、ゴールのイメージが希薄になってきて、現状にただ流される楽な日々が心地よくなってしまい、すごーく年を取ってから、一体、自分は何をやってきたんだろうと思うパターンです。


脱線と浮遊。

どちらにしてもゴールに辿りつかないのは一緒です。

車輪が、しっかりとレールにくっついていないのです。

チェーンが外れてるか、空回りしています。

エンジンだけふかしたって、ギアが入っていなければ、まったく全然、動かないのです。


でも自分ではなかなか気が付けない。

そのために、コーチが居たり、メンターが居たり、瞑想法があったり、このブログがあったりします。


脱線した電車に乗ってても、レールから車輪が浮いている電車に乗っていても、ただ年老いていくだけになってしまいます。

何年かくらいは、あっという間に過ぎます。


…非常にもったいない。


ただ、ややこしいのは、

「車輪が浮いてる電車ってリニアモーターカーみたいで良い気がする~♪」

みたいに、その電車に乗っていたいという人も少なからず居ます。

それは、どうぞ乗っててください。当人が良ければ良いんです。


そうではなく、自分でも自覚がなくてやってしまっている人には、誰かが声をかけてあげた方が親切でしょう。

もし、周りにそういう人が居たら、一言だけでも良いので聞いてあげてください。


「あなたはどんな人になりたいの?」


相手の答えは何でもかまいません。

聞いて我に返ることに意義があるのです。

それで、10人に1人でも地に足が付いたら、大成功です。

1人の人生を救ったのです。それはとても素晴らしいことです。


そんな訳で、私もさっそく実践したいと思います。


「あなたはどんな人になりたい?」


この声が必要な人に届きますように☆彡

みんながなりたい人になれますように☆彡
(^人^)

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