雑草軍団からラグビー日本一を目指し続けた軌跡 大学編連載第23弾! | TOM's RUGBY Blog / 雑草軍団本郷高校ラグビー部

TOM's RUGBY Blog / 雑草軍団本郷高校ラグビー部

★★★2008年の原点に戻って、TOM's RUGBY Blogを復活させました! 現在RUGBY手記の連載中です!★★★


テーマ:

皆さんこんにちは!夏休みでアップをさぼっておりまして、ランキングも下がってしました。また連載を再開しますので、是非応援クリックの方もお願いいたします。さてお話は、84年度の夏合宿に移ります。お楽しみ下さい!

 

 

 

【夏合宿でライバルとの対決・そして怪事件】

夏場のラグビーのメッカと呼ばれる長野県菅平高原。私にとっては三度目の菅平合宿であった。法政

大学は山喜荘と言う歴史のあるホテルに泊まっていた。練習グランドまでは、ボロボロのバスに乗って、

3kmほど離れたグランドに行く。朝は軽く牛乳とバナナを摂取し、すぐに朝練習に向かう。朝8 時から

11 時までの3時間、みっちりと走りこむ。体中の水分が抜けてしまうかと思うほど走る。走る。

練習が終わると、決まってすぐ脇に流れている小川で冷やしたスイカを食べて水分を補給する。これが

うまい事うまい事。一回の合宿でのスイカの摂取量は、物凄い量である。

 

この年の夏合宿で、前の年優勝争いをした、専修大学との練習マッチが行われた。この年11番の左ウ

イングに変わった私は、秩父宮で対戦したときにゴール前でぶち当たった、あの佐藤龍と対面になる。

ところが試合の途中にアクシデントが起きた。ハイパントをキャッチしようとした佐藤 龍が空中戦で法政

の選手と激突して落下。顎の骨を砕く大怪我をしてしまったのだ。これで佐藤はこの年のシーズンの半

分近くを棒に振ることになってしまった。

ラグビーにケガは付き物。その為に筋肉の鎧を身につけ、ケガから自身を守っていかなければなら

ない。佐藤は物凄い体の持ち主。上体及び下半身の筋肉は、大学生としては並外れた物を持って

いたが、顎だけは筋肉で鍛えることは出来ない。担架で運び出される佐藤を見て、気の毒に思った。

 

実は、この年の夏合宿前の春シーズンで、私も練習マッチではじめて骨を折る怪我をして戦列を離

れた時があった。試合中に相手のハイタックルで相手の頭が私の頬に当たったのだ。頬骨の陥没

骨折だった。手術でその陥没を補正しようとすると、整形外科の先生の話だと上唇の内側から顔の

皮を持ち上げ、陥没した部分にシリコンを詰める手術を行えば、きれいに直ると説明を受けた。

聞いただけで気持ちが悪くなるような手術だったし、更に詳しく聞くと、頬の皮が自然に陥没した骨

を引っ張り上げて、段差は出来るけどくっつくと言う説明があったので、私はその自然治癒を選択。

ちょうど合宿前の短いシーズンオフの間に完治させることが出来た。

 

夏合宿で、我々は昨年の無念を晴らすために、厳しい練習を課せられた、ランパスではスピードが

落ちると、何処から拾ってきたか、バットほどの太さの木の枝を持った石井監督から、容赦ない愛の

ムチが背中に入ってくる。全員がトップスピードでゴールを駆け抜けないと、ラストが掛かっていても

『アゲイン』になる。1年生2年生には物凄くきつい合宿だったと思う。

 

この年の合宿は、2次合宿が富士山の麓の湖の近くでも行われた。それはシーズン直前の仕上げ

の合宿であった。グランドの周りには、限りなく続く青木ヶ原樹海が広がっている場所だった。スタンド

オフの村田がタッチキックを蹴ると、ロングキッカーの彼のボールは、樹海の中深くと入り込んでしまう

事がある。そんな時ボールを捜しに行く役目は、そのキャッチを反対側でしている、1-2年生のウイング

の役割だった。

 

この二次合宿も、まだ暑さの残る9月の上旬の話。涼しい富士山の近くの場所とは言っても、走り込み

のきつさは半端では無かった。午後の練習が終り、いつものように、スタンドオフ村田のキックの練習が

始まる。1-2本目のウイングは、アタック・ディフェンスで対面を抜き去る練習をしたりするが、SO 村田

のボール拾いには1-2年生のウイングがこの日の練習でも付いていた。日も傾き始め、アフター練習も

一段落したときに、村田が異変に気が付く。

 

村田  『おい!もっくん(私のあだ名)、伊東知らねぇか?』

 

伊東とは、昭和57年度花園準優勝した時の目黒のウイングの選手である。

   『あれ?ボール拾いやってなかった?』

村田 『いや、さっき中に入っちゃって取りに行ってさぁ。それから見てないんだよね。』

   『え??』 と言って、村田が指差す方向を見た。大きくそびえ立つ富士山とその手前に続く、

巨大な青木ヶ原樹海。二人は目を見合わせて、青ざめた。

 

二人で伊東の名前を大声で呼んだが、返ってくる返事は無かった。

樹海にボールを探しに行ったまま、姿が見えなくなってしまった二年生ウイングの伊東を、村田と私は呼び続けた。

『伊東~!出口はこっちだぞ~!』回りに居た部員も声を上げるが、返事はない。先に宿舎に引き上げていた監督に状況を報告し、暫らく様子を見ることにした。間もなく日もとっぷりと沈み、部員の心配もつのるが、伊東は結局宿舎のホテルに帰ってこなかった。

 

翌日、捜索願い が出される中、伊東の安否はまだ掴めない。彼の居た部屋には、彼の荷物がそのまま置いてある。伊東の行方が分からなくなった翌日の練習も、予定どおり行われた。村田のタッチキックのキャッチング相手に名乗り出た私は、実際に樹海に蹴り込まれたボールを拾いに行った。樹海に足を踏み入れて、10 メートルほど入りボールを探していると、たしかに自分がどちらを向いているか分からなくなる。頼りは、グランドでまだ練習している部員の声だけだ。声の聞こえる方向に行けば、グランド方向に脱出出来る。

 

そこで私には、ある疑惑の念が沸いてきた。グランドに響く声を聞いて方角を確認する事さえ出来れば、グランドから、宿舎のホテルに繋がる 200 メートル程の距離を、誰にも見られることなく、樹海の中で進むことが出来るのではないか?と言う疑問である。つまりこれは、樹海での遭難を装った、逃走なのでは無いか?

 

しかし、そうだとしても、近くに施設も、交通手段もない、この地域から東京に戻るのは簡単では無いはずである。宿舎から離れれば離れるほど、本当に遭難してしまいかねない。

様々な憶測が頭をよぎる。二日目の夜を迎えた。

伊東が消えて二日目の夜。遭難ではなく、脱走の可能性もあると言うことで、石井監督から伊東の家族に連絡し確認を取ることになり、自宅の電話番号を調べて連絡してみることになった。

連絡を取ってみると、翌日東京の自宅に帰宅していた事がわかった。無事だったのだ。練習の厳しさに負け、ボール拾いをしているときにふと思い付いた脱走計画であったようだ。

しかし、家に帰るまで、どうやってたどり着いたのであろうか?考えようによっては、そっちのほうがきつかったのでは?と思えるところも合った。今でもその部分についての詳細は謎である。あの目黒高校の準優勝メンバーが逃げ出そうと思うほどの厳しい練習。経験の無い人には想像もつかないと思う。とにかく走りこみの凄さは、法政バックスには避けられないものであり、練習後には血尿がでたりするほど、体には負担が掛かるのだ。

 

しかし、皆が練習中に脱走を図った、伊東の決断とその大胆な計画の実行力。それは花園で決勝まで登り詰めたプレーヤーの持っている大きな器だったのかもしれない。彼は大学卒業後実家の洋菓子屋をついで、今では複数の店舗を大田区に持つオーナーとして頑張っている。

 

 

↓↓↓↓ 応援クリックをお願いいたします!青いリンクをクリックして下さい!

https://blog.with2.net/link/?1969265 人気ブログランキング 『ラグビー』

 

T^O^M #14さんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス