“歴史的蘊蓄”
◆平清盛と平将門◆
現在、NHK大河ドラマで、人気を博している
【平清盛】ですが…
[Yahoo!知恵袋]などでも
◆平清盛
(たいらのきよもり)と、
◆平将門
(たいらのまさかど)
このお二人に繋がりは?
お二人に【血縁関係】はあるの?
…といった質問が多く寄せられています
▼不肖、私、出来るだけ解りやすくご説明させて頂きます!
ではまず、【結論】から言いますね
【平清盛】 【平将門】
この二人は、先祖が同じ
“血縁関係”に当たります
▼両者とも[桓武平氏]と言われる、
同じ【平氏】の家系なのであります。
ただ、時代が全然違います。
[天慶3年(940年)]
平将門が戦死してから、
[元永元年(1118年)]
平清盛が生誕するまで、
【178年(1.8世紀)】もの時代の差がありますからね。
▼かつて…、平将門は、領地争いが原因で、
自らの伯父、[平国香]を討ち取り、
天慶の乱では、
討ち取った伯父[平国香]の息子(平将門の従兄弟)、
[平貞盛]と戦いました。
この平将門の従兄弟、
[平貞盛]の子孫に当たるのが、
★平清盛なのです。
繰り返しになりますが、
両者の生きた時代は掛け離れています。
[平将門(たいらのまさかど)]は、
10世紀後半、
平安時代中期に存在し、
[平清盛(たいらのきよもり)]は、
12世紀、
平安時代末期の人物です。
つながりは前述しましたが、血縁関係であり、
両者は“桓武天皇”の遠い子孫なのです
▼もう少し詳しくご説明する為に【系図】を用意しました。
まずは、
■:【桓武天皇の系図】
桓武天皇→葛原親王→
→高見王→高望王
この[高望王]が、
『平』という姓を与えられ、
初代【平氏】になったのです。
その初代平氏の[平高望]には、何人かの息子がいました
長男が[平国香]
次男は[平良将]
この長男である[平国香]の子孫が、
平清盛であり…。
弟の[平良将]の息子が、
平将門であります。
▼次に…
■:【平清盛の系図】
平高望→国香→貞盛→
→維衡→正度→正衡→
→正盛→忠盛→【清盛】
▼更に時代を遡って、
■:【平将門の系図】
平高望→良将→【将門】
という家系になります。
要するに…、
高望王、…つまり、
【平高望[初代平氏]】の血を受け継いだ、
平安の歴史上、名だたる武士が、
【平将門】と【平清盛】なのであります。
▼しかし…
その関係は皮肉なもので、
平将門は、自らの伯父であり、“清盛の先祖”に当たる[平国香]を討ち取っており、
また、平清盛は、将門を討伐した[平貞盛]の子孫です。
平氏一門の領地争いから端を発した[平将門の乱]なので、
清盛は、将門の仇敵側の子孫ということになるのです。
▼終わりに…、
両者の最期を記しておきます。
■:【平将門の最期】
天慶3年(940年)天慶の乱において、
将門は、朝廷に逆らった者として、平貞盛、藤原秀郷ら追討軍の攻撃を受け、
将門も自ら馬を駆って陣頭に立ち、奮戦するが、
馬の脚が乱れ、さすがの将門も武勇の手だてを失い、
敵の矢を額に受け、敢え無く討死した(享年38歳)
■:【平清盛の最期】
養和元年(1181年) 清盛は、反平家勢力を討滅する為、
平家一門を挙げて関東に進軍し、源頼朝を討とうとするが、
直前に熱病を患い、敢え無く病没した(享年64歳)
長文、大変失礼致しました。
上野山智幸
Tomoyuki Uenoyama