『ある朝鮮総督府 警察官僚の回想』(2004年) | 韓国語教室 とるめんい川西

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2005年から兵庫県川西市で韓国語を教えています。

朝鮮総督府の警察で働いていたという、1913年生まれの方の個人的な手記。
どんなこと書いてあるのかな?という先入観なしの気持ちで読みましたが、大変面白かったです。
文章も読みやすいです。

この方が物心ついた頃には朝鮮は日本が支配している地域であり、
九州に住んでいたことから、玄界灘をわたって京城帝国大学(今のソウル大学)を受験したのが
朝鮮に渡ったきっかけ。1931年の合格者は内地人・朝鮮人ほぼ半々だったそうです。
その後1945年に引き上げるまでのこと、引き上げてからのことまで書かれています。
とても貴重な記録なので、こういう本として出されたのは
ありがたいことだと思います。

回想の合い間に荒木信子氏による解説が入りますが、それは飛ばして読みました。
集中をそがれるので、入れるなら後ろにまとめてドンとあるほうがいいと思いました。
あとで読みましたがやはり、解説には解説者の主観が随分入ってますよね。
この本はこのように読みなさいという意図が感じられてちょっと嫌でした。

『ある朝鮮総督府 警察官僚の回想』 坪井幸生 2004年、(協力・荒木信子)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%82%8B%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B7%8F%E7%9D%A3%E5%BA%9C%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E5%AE%98%E5%83%9A%E3%81%AE%E5%9B%9E%E6%83%B3-%E5%9D%AA%E4%BA%95-%E5%B9%B8%E7%94%9F/dp/4794213565

アマゾンのリビューとは逆で
著者の少年時代・青年時代が、私は一番良かったです。
経済的に恵まれない田舎の秀才が紆余曲折を経て京城帝国大学に受験に赴き、合格し
そこで学生生活を送り(ソウルの当時の地図や地名が興味深い…)就職するまで。
青春時代の回想をもっと読みたかったです。

むしろ朝鮮総督府に就職してからのロシア国境「対ソスパイ工作」の話は
専門的すぎて長かったです。
朝鮮内で人事異動が頻繁にあり、最後は忠清北道の警察部長、そこで1945年8月を迎え、
引き揚げとなります。(著者32歳の頃、まだ若いですね)

学生時代の記述まではみずみずしくて読んでて楽しいんですが
やはり朝鮮総督府に入ってからはエリート官僚っぽいです。しかも警察に配属
取り締まるお立場。支配する国のお役人なので仕方ないんですが、
支配される側の立場で見てしまう私としては
ちょっと違うかなーと思う部分もありました。
でも当時の日本官僚として真面目に働いた素晴らしい方だと思います。

はしがきで「日本の軍部は…対ソ北進の政策を対英米南進の政策に180度変換した」と批判し
「日本国民が戦前、戦中になした懸命の尽力のすべては、心なき軍部要路の専断、迷走により
その一切が無駄となった」と書かれていたのが頭に残りました。

【以下追加しました。 3.31】

この文章に「そうなんだー?」と思った次に
「軍の暴走さえなければ、ずっと朝鮮にいることができたのに」ってことかなーと思ったり、
実はそれがここ数年私が抱いているテーマだったりするのです。

先の戦争については後悔したり反省しているが
植民地支配については正当、という考え。
自民党系の方はほとんどそうでしょう。昔は今より見下していたでしょう。
そういう考えで日韓条約を結んでいるから、今になってボロボロとほころびが出てるんじゃないかと。

いつも戦争被害を悔い、戦争でアジア諸国に迷惑をかけたという声に埋もれ
植民地支配についてどう考えるかは曖昧。
いまは「いいこともした」という声が日本国民の過半数な印象。
だからずれるんですよね。

「いいこともした」が本当でも、見方にバランスが必要では。

「≪解説p,217≫京城は独立運動が燃え盛っていたわけでもなく、日本をいいと思って協力した…」
の裏に

1919年の大規模な弾圧で殺された人を見ていたり、長い物にまかれろという処世術に
黙ってしまった一般市民たちの姿をどうして想像しないのかと。

本当に不思議なんです。

目立った反対運動が起こっていないからといって、北朝鮮の人が(不満なし)なのかというと
そうじゃないでしょう。逆らうと恐いから黙っているだけです。
平穏だったのは、それほど上手に統制していたってことでしょうね。




*川西中央図書館で借りました。