きのうテレビで「少年H」という映画をしていたので見ました。
水谷豊と伊藤蘭さんの夫婦役が去年話題になってましたね。
戦前の生活から太平洋戦争突入、空襲、戦後の生活と
市民の暮らしの移り変わりを描いた映画でした。
戦争前の神戸の街って人も建物もオシャレでしたね。
それが「欲しがりません勝つまでは」になって、空襲で焼け野原に。
豊かだった神戸の街が…。
だから二度とあんな体験をしなくていいようにと、私たちは毎年特に8月、重ねて平和を願います。
ところが韓国人は、日本人が戦争で被害に遭ったことを知りません。
いえ、知ろうとしない、認めようとしないのかもしれません。
「見ざる・聞かざる・言わざる」です。
だから私たち市民が空襲にあったとか、家族が死んだとか、焼け野原になったとかいう
戦争時の悲惨な話をしても共感を得ることができないのです。
日本人は「加害者」でなければならないからです。
「被害者づらするな」と言われます。
「私は貝になりたい」のようなBC級戦犯の話も、到底理解を得られません。
上官の命令で捕虜を殺さなければならなかった人の話ですが、
まさに「被害者づらしてる」映画ということになります。
上記は一般的な考えられ方です。
個人になると少しずつ違うかもしれません。
私の韓国人の友達は「日本の一般市民も戦争の犠牲者だよ」と一定の理解を見せたあと
「いや、だけど同情心を起こさせようとするものだから(日本の加害を隠ぺいするものだからこの映画はダメ)…」と言葉をつづけました。
これはマスコミで繰り返し言われていることですので、そのような考え方が
韓国では「知識人」という認定を受けているから出た言葉と思われます。
国是だから。
偉い人たちが書くことや言うことが世論を形成しますね。
なので心優しい友人は、人として「一般市民も戦争の犠牲者」と言ってくれたけれども
韓国人としては言い切ることができないのです。
その下でもっと悲惨だった祖先の話が身近にあるから。
日本人が苦労した話は見たくない(知りたくない)のです。
日本は常に加害者の立場でなければならない。
そういうのを感じるとちょっと気が滅入りますね。
戦争で日本人が苦労した話を知らないから
そのあとの人々の平和を希求する心情も知りません。
(報道されるのは軍事的脅威のみなようで)
植民地支配により韓国人が苦労した話
戦争で日本人が苦労した話、
認め合えれば良いと思うのですが。
文字で書けば簡単なことですね…。
現状は、
植民地支配で韓国人が苦労した話も(日本は)否定するし
日本が起こした戦争で日本人が苦労した話も(韓国は)否定します。
売り言葉に買い言葉の状態。
でもね、「私は貝になりたい」に10点つけた韓国人もいるんですね。(韓国語)
http://movie.naver.com/movie/bi/mi/reviewread.nhn?code=51821&nid=1929987
これが袋叩きになってない状況、これは希望だと思います。
評価点は「私は貝になりたい(2008)…(6.42 計59人の平均)」「少年H…(8.67 計3人の平均)」
被害者づらして最悪!っていうステレオタイプの感想が目立ちますが、意外と高得点です。
考え方が昔より多様化しているからだと思います。
私が見たところ
韓国は若い世代ほど多様な考え方。
日本は若い世代ほど右傾化・・・。
と思います。
危惧しているのは日本のほうだったりします。