基本的には美術館や展覧会のことを書いているブログですが、今回は僕が独断で何だか気になる画家にスポットを当てて掘り下げていこうと思います。
そんな僕が気になる画家はカミーユ・ピサロさんです!!
印象派の展覧会や近代西洋美術を扱う美術館で、ほぼ必ず目にすると言っていい画家、それがカミーユ・ピサロ。
でも、モネやルノワールは度々単独で展覧会が開催されるにも関わらず、兄貴分のカミーユ・ピサロは、印象派の中でも言っちゃえばオマケ的なポジションで展示、紹介されることがほとんど。
カミーユ・ピサロの名の冠した展覧会は疎か、作品が大々的に取り上げられることもほとんどありません。
美術の本を読むと、
- いい人
- 面倒見がよい
- みんなの取りまとめ役
大抵ピサロの人柄はこんな風に書いてあります。
そんな真面目で素敵な人柄で紹介されているにも関わらず、ピサロにスポットが当たることは、ほぼ無し。
同年代のマネは同じ印象派の兄貴分として革新的な画家として知られているのに!
しかもマネは一度も印象派展に出ていないのに!
ピサロは全8回行われた印象派展、皆勤賞なのに!
- 彼、いい人なんだけどね。
- 悪くはないけど物足りないなぁ。
- 優等生のピサロくんより、ちょっと危ないマネくんがいいの。
- 小学校からずっと休まず皆勤賞らしいよ。逆にヤバくない!?
現代ならきっとそんなことを言われてしまいそうなピサロ。
なので、僕が勝手に、この場でピサロにスポットを当てることにしました!!
さて、そんな訳で、カミーユ・ピサロについて早速紹介していきます。
カミーユ・ピサロは1830年7月10日に当時デンマーク領だったセント・トーマス島に生まれます。
ってピサロってカリブの男だったのですね!
ピサロは1855年、25歳頃に画家になる為パリに出ます。
当初はサロンへの入選、落選を繰り返しながら貧しい生活をしていましたが、モネ、ルノワール、シスレー等と戸外で制作する様になります。
1874年には、そんなメンバー等と第一回印象派展を開催!!
ピサロはこの時既に43才・・・
ちなみにモネとルノワールは33才。
そんな第一回印象派展に出展されたピサロの作品がこちら↓
《白い霜》1873年| 油彩・画布| 65×93cm | オルセー美術館(パリ)
せっかくの映えある第一回なのに、どうにも田舎臭い絵を出しちゃうところがピサロ。
1886年まで全部で8回行われる印象派展、その全てに唯一参加した画家としても知られるピサロ。
若い画家達はサロンに出展したり、ケンカして印象派展の参加を取りやめちゃったりする中、一回り近く年下のみんなを取りまとめる年長のピサロ。
その姿はまるで、大学生なのに小学生といつも一緒のキテレツ大百科の勉三さん。
キテレツ達小学生といつも一緒の大学生、苅野勉三と年長者ピサロの姿が何だか重なります。
さて、ピサロは1885年、新印象派の画家スーラに出会うと、もろに作風が影響されます。
この時ピサロ55才、スーラ26才。
カミーユ・ピサロ《エラニーの農園》1885年 サントリーコレクション
親と子供くらいの年齢差があっても、貪欲に自分の作品に取り入れちゃうのがピサロ。
でも、点描で描いても結局、田舎臭がしてしまう。
それがピサロ。
その後、新印象派の画家スーラ、シニャックの参加を認めた第8回印象派展で、12年間に渡って開催されてきた印象派展は幕を閉じることに・・・
街を描いても、
《モンマルトル大通り、曇った朝》1897年 油彩・画布 73×92cm ヴィクトリア国立美術館(メルボルン)
なんで曇りの日に描くかなぁ・・・
だがそこがピサロ!!
人物を描いても、
《帽子を被った農家の若い娘》1881年73.4×59cm | 油彩・画布 | ワシントン・ナショナル・ギャラリー
何だか野暮ったい。
でもそこがいいっ!!
それがピサロ!!
赤い屋根、冬の効果(赤い屋根の家々、村の一角、冬景色) 1877年 54.5×65.5cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)
このグニャグニャッとした枝!!
これぞピサロ!!
《ジャガイモの収穫》1874年 | 油彩・画布 | 32.5×40.5cm | ササールドッティ・コレクション
ジャガイモ収穫っ!!
これがピサロ!!
展示室で作品を見つけると何故だかうれしくなる。
それがピサロ。
みんなに慕われ続け、今も人々に愛され続けるカミーユ・ピサロ。
みんな大好き、カミーユ・ピサロ!
と、ここで今回の記事を終わりにしようと思ってたのですが・・・
なんと、ピサロという名前のヴィジュアル系バンドが活動していました!!
ただの同名のバンドかと思ったら、バンド名の由来はカミーユ・ピサロとのこと!!
みんなに愛されるバンド名!
ヴィジュアル系バンドのピサロも応援しよう!!