R-157 日本代表よくやったムードに水をさすようですが | INCORPORATE REPORT SEASON4 『CODE MAKER』
2010-06-30 11:26:01

R-157 日本代表よくやったムードに水をさすようですが

テーマ:ブログ

日本代表、選手達、本当に頑張りましたね。


カメルーン戦の本田のゴールが決まった瞬間から、選手達は本当に一つになりました。


「本田、言っていたようにまじで決めやがった。もしかして、俺たちもできるんじゃないか」


本田の「ゴールを決めてやる。優勝を狙っている」とのビックマウス→「ゴール」という結果を目の当たりにした選手達は、彼に引きずられるようにして、「どうせ俺たちは…」の成功回避の心理の殻を破り、実力をいかんなく発揮できるようになりました。


長友などはいい例です。


「おれは今、輝いている!」などと恩師か知人にメールをしていたようです。本田現象の顕著な例です。そして、成功回避の心理の殻を破ったとき、リミッターを外したスポーツカーのように、人は凄まじいパワーを発揮することになる。


川島も安倍も闘莉王も他の選手も、この流れに乗った。


ちなみに、大久保や松井はちょっと違います。元々スペイン、フランスと、世界と真っ向から闘ってきている彼らは、自分たちの評価が低い中で、虎視眈々とチャンスを狙っていた。彼らは最初からモチベーションが高く、本来の力を発揮することができていた。まあ、長谷部もそうですよね。


彼らの「おれたちはいけるんじゃないか」という信仰は、試合を経る毎に強くなりました。


スポーツとは、たぶんに気持ちでやるものだと思います。野球でもサッカーでも「流れが悪い」という時がありますよね。その時は大抵失点して、「おせおせ」の時は得点するものです。それはスポーツが気持ちによって支配されるものだからだと思います。フィジカルが強いことは当然のこと、後はその場にいる選手の気持ち如何なのだと思います。


水泳の北島選手やイチロー選手、そして本田選手が結果を残せているのは、そう言った意味で精神力が強いからだと思います。


カメルーン戦で勝ち、デンマーク戦で完勝して決勝トーナメント進出を決めました。


この時の「士気」は最高潮に達し、さらには選手達のコンディションも良かった。主力では怪我で泣いていた選手はほとんどいなかった。


つまり、ワールドカップが始まる前の日本というものは、確かに戦える状態ではなく、事によっては全敗もあり得た状況でした。けれども、本田のゴールによって、「士気」が高まり、結束が強固になっていった。つまり、決勝トーナメントに進出した時点の日本は、戦闘力においてかなり高いところにあり、パラグアイを圧倒する位置にいたと言えます。

これは何も日本だけに起きることではなく、前の大会のドイツやフランス、そして今大会のアルゼンチンでも起きていることです。要するにワールドカップでは前評判やここの選手の能力よりも、その時点での「士気」の高さが重要となってくる。


昨日、ホイッスルが吹かれる前の日本は、格下でもなんでもなく、紛れもなく「強い」チームへと醸成されていたのです。



ところが、この流れに乗ることができない人がひとりだけいた。


それが、岡田監督です。


選手の頑張りによって、決勝まで連れてきてもらったというのが、正しい見方かと思います。


フランスのワールドカップの頃から、僕は岡田監督の采配が好きではありませんでした。と、いうよりも、有り体に言ってしまえば、彼の監督としての手腕を少しも評価しておりません。なぜ岡田監督が日本代表の監督なのか、最期の最期まで腑に落ちませんでした。


紛れもなく、彼は理論派です。「机上の空論」を立案する上においては、これは一流に値する監督だろうと思います。形に拘り、理論に拘る。それゆえに、形と理論に縛られることとなり、臨機応変の才にかける。


つまり、彼は参謀向きの人なのだと僕は思います。サッカーで言えば、アシスタント・コーチ。決して、決断を下すリーダーの器ではない。たしかにJリーグなどでは通用するでしょうが、世界のプロの監督達と渡り合える実力は絶対にない。


そもそも、本田のワントップ構想も、テストマッチが全敗になって、もうどうすることもできないほどに追い詰められて出た、苦肉の策です。おそらく、あの時点での岡田監督の頭の中は真っ白に近かったのではないでしょうか。皮肉にもそれが、それまでの形を全て棄て、理論の贅肉をはぶき、現時点での一番有用なコアだけを残す結果となったのかも知れません。フォワードをおかずに、ミッドフィルダーだけの前線布陣は、追い詰められた結果に出たものでした。


運良く、大久保と松井が予想以上の働きをして、そして、運良く、本田が結果を残した。


それなので、あの布陣が良かったと評価されるかも知れませんが、あれは大久保と松井と本田が、神がかり的な働きをしたからです。前述のように、彼らは欧州で闘ってきたので、成功回避の心理の殻はすでに破り済みです。彼らが日本の選手達ばかりではなく、ベンチをも引っ張ったと言える。


本来ならば、やはりワントップで岡崎をおいて、本田へのマークを和らげて、本田が前を向いてボールを受ける機会を増やした方が良かった。けれども、彼らはあの不利な状況において、三人で局面を打開して、実際にゴールをすることができた。


これを見た守りの選手達は、鼓舞されたことでしょう。自分たちは本当にやれるんじゃないかと目を覚ます想いをしたことでしょう。


けれども、何が起きているのか、十分に状況を把握できていなかった人がベンチにいた。

岡田監督です。


彼は試合前にこう言っていたという。

「前半は0-0で切り抜けたい。何なら0-1で相手がリードしても構わない」


これを聞いて、僕はため息でございます。性懲りもせずに、彼の頭の中には得意の「机上の空論」が展開していたに違いありません。


後半、岡崎を投入して、攻撃を厚くして、相手が疲れたところを一気に突く。


たしかに、本当にそうなればこれ以上なく美しいし簡単でございます。

だが、実際の試合はそうではない。事実、日本代表選手は前半からの献身的なディフェンスのために、カメルーン選手以上に疲労していて、最期の20分は防戦一方となった。

もし、本田のあのゴールがなければ、あの様な高い「士気」を保つことができずに、絶対に負けていた試合です。


選手交代での岡崎の投入は、僕から言わせてもらえば、本来あるべき姿に戻しただけのこと。それ以上のメリットを得るためではなく、デメリットをゼロに戻したに過ぎない。これは采配でもなんでもない。


しかも、どの試合でも選手交代は後手後手に回ってしまい、何ら効果を得ることもなかった。これは勝っていたために目立たなかったんですけれども、岡田監督はどの試合でも決断が遅れて、極めて無難な選手交代に終始しました。


無難で何が問題かというと、選手に監督のメッセージが伝わらないからです。リーダーがどうこのゲームを組み立てようとしているか、伝わらないからです。ブブゼラで指示が全く伝わらない状況の中で、選手交代のみが、監督からのメッセージを伝える機会と言ってもいい。


後半、選手達は疲れ切って、精神的な疲労も蓄積され、徐々に「士気」が低下します。

その時、選手達がもっとも欲しているのが、リーダーである監督からの明確なメッセージです。


「よし、このまま行くんだ!」

「流れを変えて攻め込むときだ!」

「つらいだろうが、このまま死守せよ!」


そう言った明確なメッセージが伝わるような選手交代だと、選手達は自分たちの行動に自信を持つことになる。


「あ、そうか、今はこういう状況にあるのか、切り替えなきゃ」

とか

「そうか、このままでいいのか。じゃあ、頑張ろう!」

とか


なのに、岡田監督の采配は後手に回った上に、メッセージ性が低かった。その場凌ぎの采配になっていた。


オランダ戦は、まるでフランス大会のアルゼンチン戦を見ているようで、実に岡田監督らしいつまらない試合になりました。守りに徹して守り切ろうとする。負けないサッカーをしかけて、負ける。世界にブーイングされた、あのサッカーを。

そうではなく、負けたとしても、たとえば韓国代表が見せたような、4-1や2-1のスペクタクルなサッカーを見せて欲しかった。


デンマーク戦、全てのゴールは本田の影響によるもの。1本目のフリーキックはもとより、遠藤のフリーキックもみんな本田が蹴ると思っていたところでのゴールで、三点目は言うまでもなく、本田のアシストがあってこそ。


つまり、一戦目、三戦目と、今回の日本代表は本田に引っ張られて、最高の「士気」の状態でパラグアイ戦を迎えた。これはもうひとつ、組み合わせが良かったことも原因している。


カメルーンでは内紛があり、日本がやった相手は、エトーこそいたが、二軍的な顔ぶれで、しかも監督との確執があったから、一体感がなかった。

デンマークはヨルゲンセン、トマソンと、中田や小野が全盛の時代に全盛だった選手が今なお中心で、彼らが試合中の決定機をことごとく外してくれていたということもあった。

また、パラグアイも決勝に残った中ではそこまで強いチームでもない。


一方で、日本の「士気」は最高潮で、そのまま決勝トーナメントに進み、選手のコンディションも極めて良かった。普通に闘えば、勝てた試合だった。普通に闘えば、というのは、普通に攻めれば、ということを意味する。普通に選手交代すれば、という意味でもある。


岡田監督はパラグアイ戦で、二重の過ちを犯した。

一つ目が、堅守の相手に対して、堅守で挑んだこと。デンマーク戦の時のように攻めの姿勢を前半開始直後から示すべきだった。

そして、二つ目が選手交代の失敗。

選択選手の失敗と、そして交代時期の失敗。

とりわけ、交代時期の失敗が試合を決したと言っていい。


この場合、前述の通り、岡崎は本来はピッチにいるべき選手だから、岡崎の投入は采配のうちに入らない。ここで一枚のカードを無駄にしているとも言える。しかも交代の相手が、唯一ボールをキープできる松井だった。相手が最もいやがる選手を、早々に引き下げたということになる。


そして、次に入れたのが、中村憲。


「なぜ?稲本だろう?」と思ったのは僕だけじゃなかったはずだ。


さらに最後のカード、玉田の投入は、遅くとも後半10分前にするべきだった。


なぜ、延長後半から?


完全に岡田監督の決断が遅かった。しかも戦略的な交代でもなく、単にカードがあったから切ったというような采配だった。


後半、日本も疲れていたが、明らかにパラグアイの方が疲れていた。それはまるで、岡野のゴールで、フランス・ワールドカップ行きを決めた、あの試合のようで、最後に日本はとどめをさせばいい展開だった。あの時は岡野がとどめを刺した。今回もそういった展開が十分にあり得たのだった。


稲本や森本などを後半に投入して、中盤と前半をかき回して、90分以内にとどめを刺す。


または90分以内にとどめをさせなくとも、彼らがかき回した影響で、延長戦のパラグアイはさらにふらふらだっただろうから、とどめをさせたはずだ。


PK戦に持ち込まれた時点で、日本の負けだった。


それを最もわかっていたのは、選手達だった。


闘莉王はセンターサークルで仰向けに横たわり、本田は膝を落とした。

疲れ以上に、負けたという感覚が彼らの中にあった。勝てる試合を勝ちきれなかったという感覚が、彼らにはあった。


一方で、より疲れているはずのパラグアイは誰も横たわったり膝を落としたりしなかった。

命拾いしたという感覚があったからだ。何とか切り抜けたと思ったからだ。


PKはじゃんけんと一緒だ。オシム監督が常々言っているように、あれはサッカーではない。


今回の日本代表の奮闘は、まるで太平洋戦争当時の日本陸軍をみるようだった。

前線の兵士達は、それこそ獅子奮迅の働きをしたのに、大本営が無能で、補給もままならなかった。戦略的な作戦を立てることができなかった。結果的に兵士達を孤立させて、敗北に追い込んだ。


必要なのは、リーダーなのだと改めて感じた今回のサッカーだった。


戦術的なリーダーとして、つまりピッチ上では、若い本田がまさに獅子奮迅の働きをして、最前線で自ら闘い、選手達を引っ張った。

けれども、戦いは戦術だけでは勝てない。

戦略的なリーダーの岡田監督が、これまでどおりの無能さを露呈させた。勝てる試合を勝たせてやれなかった。後半の選手達のヘルプに応えることができなかった。

選手達の成長に、監督がついていけなかったのだ。おそらく、パラグアイ戦の後半、岡田監督はいわゆる「てんぱっている」状態だったのではないか。


監督は試合直後のインタビューでこういった類のことをいった。

「監督の私が何もできなかった。私の責任だ」

これは建前ではなく、岡田監督の本音だったのだと思う。そして、それが事実だったと僕は思う。


試合直後、放送でもニュースでもツイッターでも、日本代表よくやった!頑張った!奇跡を感動をありがとう!との論調で一色になった。これは逆の意味で、太平洋戦争に突入する際に日本国民に生じた一体感と同じなのだと僕はそら恐ろしく思った。


本当か?何も見えなかったのか、あの試合で?


チャンネルを回せど、ツイッターのTLを見れど、インターネットの速報ニュースを見れど、論調は一緒。


日本、よく頑張った! 岡田監督、感動をありがとう! 岡ちゃん、批判してすまなかった!


ただ一人、僕と同じ意見の人がいた。現地で試合を見ていた中田英寿である。


「この試合は本当は勝てた試合だと思います。守りに入らず、前半から攻めていれば、勝てた試合だった。パラグアイは100%の力を出し切った感がありますが、日本にはまだ余力があった。これを糧にこれから日本のサッカーをどうしていくのか、考えるべきです」


そう、中田は言っていた。それを聞いて、僕はとても安心した。


そもそも、日本頑張った、の論調の背景には「日本なのに」との言葉が大前提として誰の胸にもあったからではないか。

これはG20やG8の会談の際の記事でもしばしばみられることだが、日本の首脳が外国の首脳と対等くらいに応対すると、記事はよくやった的な論調になる。明らかな劣等感の表れである。


日本は、いい加減にペリー来航以来のこの劣等感から卒業すべきなのではないか。


日本よりも後に世界に進出したはずの中国や韓国の方が、今や堂々と世界と対等以上に渡り合っている。政治にせよ、経済にせよ、である。


ところが、日本と来たら、どうであろうか。


たとえば、今回のワールドカップ。

本来ならば、この勝てる試合で勝てなかったことで、大いに反省なければならないのに、良かった、ありがとうで済ませて、この失敗から何も得ようとしない。次につなげようとしない。


それ以前に、日本は今回のパラグアイ戦の最中から、ある種の心理、僕が以前より唱えているところの、「成功回避の心理」の厚い雲に覆われていたのではないだろうか。それは岡田監督のみならず、選手も、そして、日本で応援していた我々サポーターもそうだったのではないだろうか。


日本が本当にベスト8にいっていいんだろうか?


ふと、そうした疑問が、深層心理のレベルで、誰の胸にも宿っていたのだとしたら、この結果は必然である。


後半のある時点で、僕はリアルタイムでツイッターでこう唱えていた。


「仕方なくないぞ、勝てる試合だぞ!勝たなきゃならない試合だぞ!」


まだ負けると決まった訳ではなかった。だが、僕は画面に映る選手達の戦い振りから、根底にある共通心理を読み取れたように思えた。


「ここまで来られたのさえ、奇跡なんだ。頑張ったじゃないか。ここまで頑張って負けたら“仕方がないじゃないか”」


これは闘っている選手達だけではなく、観ている多くの日本人の中にも、この意味での許容があったのではないか。


だから、一色の「頑張った、よくやった」論調になった。


違う。違うんだと思う。

あれは勝てた試合で、日本代表としてピッチに立って闘っている以上、勝たなければならない試合だった。気持ちが弱くなって、深層心理にあった、ある種の劣等感があたまをもたげて、これで中田が言うところの「力を十分に出し切れない」状態になった。

それを救う役割が、何度もいうが、岡田監督だったのだが、この人が最もこの「成功回避の心理」にやられてしまって、冷静な判断と決断、もっと言えば、大局的な勝つ判断ができなかった。


ここまでなぜ僕が熱く長々と語るかと言うと、無論、僕がサッカーフリークという面も原因しているが、それ以上に、我々日本人はサッカー以外でも、同じ過ちを犯してはならないと思うからだ。


勝つべき所は堂々と勝たなければならない。勝つことに対して、誰に遠慮をする必要はない。


そして、本当に全力を出し切って敗れたとき、はじめて「頑張った、よくやった」と言えるのだと思う。



繰り返すようだが、選手は本当によく頑張ったと思う。



けれども、岡田監督は終始さえなかったし、「よくやった、頑張った」論調に終始しているマスコミや日本国民の姿勢に、僕は危惧を覚えるのである。

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