In The Groove

a beautiful tomorrow yea


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一口にワインと言っても、作ってる国やら地域やらで、色々種類があるらしい。その上、高級ワインからテーブルワインまで、各国ごとにヒエラルキーがあるという。わけがわからない名前といい、なんだかワインってすごくめんどうだと思っているキミ。ふところ具合がどうであろうと、まず押さえるのは高級ワイン。熟成させた高級ワインはめちゃくちゃ高い。ただし、本当においしいかどうかはそれまでの保存状態。いいワインはいい条件で保存してゴージャスに花開く。これは、飲んでみるまでわからないから、一種の賭け。そして、この賭けの勝率は決して高くない。

 

世界中の高級フレンチレストランには、フランス人のソムリエが出稼ぎに行っている。高級ワインは熟成させて飲むようにつくってある。でも、出荷されて一、二年の若くて、とってもしぶいボルドーを本気ですすめるのがこの連中。結局、どの時点をおいしいと思って飲むかはその人次第。「まだ飲むには早い」「もう盛りを過ぎている」といったコメントはプロっぽいが、あまりあてにならない。

—葉山孝太郎著『ワイン道』(1996年)より

 

90年代の東京

高級ワイン」と「アシッドジャズ」と「外資系ホテル御三家

 

9月の東京は、俺にとって<音楽の秋>で始まり、最高の時間を過ごしたが、月が替わり、10月はとりわけ、俺好みの映画が怒涛のように劇場公開される。この三連休から来月にかけ、俺にとって<映画月間>となるのはほぼ間違いないが、<映画の秋>というのも悪くない。

 

先日、秋の夜長に、ロバート・グラスパーのアルバム『アートサイエンス』をBGMに、ボランジェグランダネ・ロゼを注いだバカラのマッセナのシャンパングラス片手に、自宅の書棚を眺めていると、1996に購入した葉山孝太郎の飲みたい夜長の裏スノッブ指南書ワイン道』が目に留まり、ぱらぱらと斜め読みした。

 

そう、96の東京といえば、先日もブログで取り上げたジャミロクワイなどの音楽、いわゆるアシッド・ジャズ・ムーヴメントの最中で、仕事帰りに、美女たちとインコグニートブラン・ニュー・ヘヴィーズガリアーノジャミロクワイのライヴに足を運び、ワインバーで音楽、映画、旅行、そしてファッションなど等について、夜な夜な楽しい会話をした記憶が未だ鮮明に残っている。90年代に足を運んだ恵比寿ガーデンホールでの数々のライヴをはじめ、2001年に恵比寿ガーデンシネマで観たブレット・イーストン・エリス原作の映画『アメリカン・サイコ』は最高で、俺にとって生涯忘れられない傑作へと昇華した。主演を務めたクリスチャン・ベールが映画のPRのため、当時宿泊したホテルはウェスティンホテルだった。

 

今振り返ると、80年代後半のバブル期はさておき、ワインバーが東京で本格的に流行りだしたのは90年代半ば頃だったかもしれない。2000年代に入ると、シャンパンが一般的にも流行し、シャンパンバーが都心で続々とオープンし、昨今のシャンパンブームに至っている。なお、俺は昔から赤ワインはあまり飲まない主義ゆえ、もっぱらシャンパン白ワインブルゴーニュ産)に限定される。要は、高級などれを選んでも、赤ワインとは異なり、シャンパンにはほぼハズレがないのだ。

 

そう、91年の日本経済のバブル崩壊後の東京には、92に「フォーシーズンズホテル椿山壮東京(現:ホテル椿山壮東京)」、94に「ウェスティンホテル東京」「パークハイアット東京」、いわゆる外資系ラグジュアリーホテル御三家が誕生し、東京の垢抜けないホテル群に世界を代表する超高級ホテルが加わり、ホテル業界は一段と洗練されていくのだ。

 

当時、渋谷の松濤に住んでいた俺は、渋谷西武で買い物し、仕事帰りにはHMV渋谷に立ち寄り、好みのハウスミュージックを探し、週末は徒歩圏の代官山界隈のレストランで食事し、恵比寿のウェスティンホテルに宿泊するなど習慣化していた。

 

当時、フォーシーズンズパークハイアットもよく利用したが、ウェスティンホテルには、多い年には年間で50泊ほどしたが、今ではすっかり足を運ばなくなった。なぜなら、渋谷から銀座方面に転居したのが最たる理由のひとつだが、銀座界隈には、最高のホテル群・・・フォーシーズンズ(丸の内)、ペニンシュラ(有楽町)、コンラッド(汐留)、マンダリン・オリエンタル(日本橋)、シャングリ・ラ(丸の内)、アマン(大手町)等々の外資系超高級ホテル2000年以降に次々と誕生したからだ。今後も銀座界隈には、外資系デザインホテルなどが開業予定で、東京の未来地図は多様性に富み、より成熟した世界的な国際都市が完成するはずだ。そう、俺がかつて住んでいた渋谷の大規模再開発然りね。

 

中秋の名月

映画の秋>に私的に観たい5作品

 

前置きが長くなってしまったが、9月のブログでは「夏の終わり」として、今年ナダルが達成した「全仏オープンV10」及び「全米オープンV3」を取り上げた。そして昨日、北京で開催された大会でも優勝し、「中国オープンV2」を飾ったが、ナダルが同大会で初優勝したのは今から12年前の2005年(当時19歳)まで遡る。

 

104日の中秋の名月も過ぎたが、俺の過度な期待に応えてくれて、俺を魅了する、果てなく続く王者<ナダル>のテニス・ストーリーはまだまだ続くが、彼のテニスをワインに例えるなら、完璧に熟成した、最も偉大で、今年ゴージャスに変身した、芸術的ともいえるそれだろうか。昨今、男子テニス界は若手が台頭してきているとはいえ、偉大なナダルの引き立て役に過ぎず、彼らは若いだけで、淡白な印象が否めないワインのようだ。12年前に観たあのテニスの記憶がぼんやりとフラッシュバックされる今日この頃でもあるけれど。

 

一方、今の東京は、「俺好みの映画」が毎週末公開予定となっており、男心と秋の空ではないが、俺の関心は今月に限れば、「音楽」や「テニス」から「映画」にシフト気味なのだ。

 

アンダー・ハー・マウス (107日~公開中)

期待度★★★☆☆

VOGUE』日本版最新号(11月号)には、同作品で初主演を務めたユニセックスなモデル<エリカ・リンダー>のインタヴュー記事が掲載されていた。同誌によれば、同作品は「女性のセクシュアリティや、女性同士の恋愛を、女性の視点から描いた映画」だと紹介されていた。トロントを舞台にした映画だが、同誌のインタヴューでエリカは「自分らしく生きるということと、自分が何者なのかというのを隠さないでほしいです」と。

 

ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ (1014日公開予定)

期待度★★★★☆

六本木の国立新美術館開館10周年として「安藤忠雄展」が去る927日から始まったばかりだが、俺の自宅を飾る高級家具は、近代建築の巨匠ル・コルビュジエをはじめ、アイリーン・グレイのガラステーブル等々でモダンにまとめられている。本作は、そんな2人の名建築家にフォーカスした人生ドラマを描いた作品だ。そして、歌手のアラニス・モリセットちゃん(現在43歳)が端役で出演しているが、彼女の世界的に大ヒットした95の失恋恨み節ソング“You Oughta Know”(当時21)は不思議と覚えてるよ(笑)。

 

アトミック・ブロンド (1020日公開予定)

期待度★★★★☆

近年、アクション映画に傾倒している俺のお気に入り女優<シャーリーズ・セロン>ちゃんが、ベルリンの壁崩壊前の1989年のドイツを舞台に、MI6の美女スパイロレーン>役を演じ、暴れまくる作品だ。共演は、英国の人気俳優<ジェームズ・マカヴォイ>君だが、彼の主演作『スプリット』(人格の多様性を利用したスリラー作品)を今年5月に六本木で劇場鑑賞したが、呆れるほどに駄作だった、過去記憶にないくらいに(笑)。話を戻すが、アトミック・ブロンドのサントラは意外に豪華だが、ベルリンの壁崩壊であれば、デヴィッド・ボウイの曲“Heroes”は外せないと思うのは俺だけだろうか?

 

ブレードランナー 2049 (1027日公開予定)

期待度★★★★★

小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?(1968)が原作で、1982に公開されたリドリー・スコット監督作『ブレードランナー』から35年もの歳月を経て、完成した続編だ。本作のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督によれば、デヴィッド・ボウイが当初ウォレス役の第一候補としてキャスティングされていたようだが、ボウイが★になったため、同役はジャレッド・レトに。前作公開時に40歳だったハリソン・フォードは現在75歳に。そして本作で主演を務めるのはライアン・ゴズリング君。色んな意味で、楽しみなSF作品だ。

 

ノクターナル・アニマルズ (113日公開予定)

期待度★★★☆☆

トム・フォード監督作品第2。前作の2009年公開作品『シングルマン』から7年。<要は、トム・フォードの初監督作品『シングルマン』同様、本作も「人生とは何か?」を主題にしており、今回もまた、彼らしい脚本の選択だと、俺の眼には映ったのだ>と記した20150625()付ブログ“Love is”の中で詳細に取り上げたので、興味がある方はどうぞ。ジェイク・ギレンホール君の演技も楽しみだが、トム・フォードらしい、美的センスや映像美をはじめ、音楽、ファッション等々、ディテールにまで注目したい作品だ。

 

 

最後になるが、ブログ冒頭に、RTしたロンドンのインターコンチネンタルホテルのツイート写真だが、同ホテルはロンドンのパークレーンに位置する、俺のお気に入りホテルのフォーシーズンズホテルの隣ゆえ、シャンパンをグラスに並々と注いでくれるのであれば、今度ぜひともお邪魔したいね。そう、ナイツブリッジに位置するマンダリン・オリエンタルからも徒歩圏の場所なのだ。夏に溺れるように口にしたブラン・ド・ブランのシャンパンから、秋はピノ・ノワール主体もしくはブラン・ド・ノワールのそれに変える時期なのか、たとえ、シャンパンを飲むのに慣れてはいても、ね。

 

Cheers!

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観客は油断しがちだけど、『トレインスポッティング』には驚くべき量の感情が込められているんだ。『T2 トレインスポッティング』は年月が経過したことで、もっと感情的なものになる。これは避けられないことだよ。前作は少年時代についての映画だった。若さの祝福だね。本作は大人になるということ、またいかに僕たちはそれに対処するのが下手か、についての映画だ。そして、子供がいるということや子供がいないということ、もしくは父親たちに失望させられる子供たちの物語だ。この映画はどれだけ彼らが変化したのか、そしてどれだけ変わっていないのかを描いている。

―ダニー・ボイル(監督)

 

戦後のある時期までは若者たちといえば、無軌道というイメージがすぐ浮かんできたほど、よかれあしかれ、エネルギーに満ちあふれたものでした。「アプレ・ゲール」、「太陽族」、「かみなり族」、そしてまた「全学連」が、それであります。その頃の若者たちの顔には、どことなく暗い翳りがあり、凶暴な目つきがあり、不敵なシニカルな唇がありました。べつに悲壮感をよしとするつもりはありませんが、わたしは、現在、それをなつかしく思い出します。よくテレビ・ドラマなんかに出てくる、すなおな、従順な、まじめな、いかにもおとなから気に入られ、「いい子、いい子。」と頭を撫でられるような優等生的な青年―そういう青年が、近ごろやたらにふえてきたことは、じつに嘆かわしい傾向だと思わないわけにはいきません。

 

わたしはいつも疑問に思うのですが、新時代のエネルギーに満ちあふれた若者が、そんなカビくさい「幸福論」なんぞに満足していられるのだろうか。そんな本を読んで、ますますお行儀のよい、ますます飼い馴らされた社会人になっていくのは、じつに嘆かわしいことではないだろうか。人生に目的がなければ、覚悟をきめて、自分でつくり出せばよいのです。欲望を満たそうとする努力こそ、人間が生きている以上避けて通ることのできない、人生の目標だともいえましょう。

―澁澤龍著『快楽主義の哲学』より

 

映画『トレインスポッティング』公開から21年、そして90年代

 

俺のお気に入り作家のひとり<アーヴィン・ウェルシュ>原作(1993年)の、ダニー・ボイル監督作『トレインスポッティング』が日本で公開されたのは、今から21年前となる1996年まで遡る。当時の俺は大学を卒業し、社会人となり、某金融機関に勤め、20代という青春を、そして人生の愉快の絶頂を愉しんでいた。

俺のファッションもまた、大学時代から愛用していた<エンポリオ・アルマーニ>から<ジョルジオ・アルマーニ>へとワンランクアップした時期だ。 

あの時代を振り返ると、(俺のお気に入り小説のひとつ『アメリカン・サイコ』がアメリカで刊行された)1991年に日本経済のバブルが弾け、

同年西麻布にオープンしたのが伝説のクラブ『イエロー』であり、芝浦に誕生したのが英国系ディスコ『ジュリアナ東京』だ。後者はナンパ箱と形容され、ボディコンシャスなドレスを身に纏ったワンレンの女の子たちが扇子片手にお立ち台で踊り狂い、社会現象とまでなったが、1994年に閉店。そして、ジュリアナ東京が閉店した1994年の末に六本木にオープンしたのが巨大ディスコ『ヴェルファーレ』だった。 

付け加えるならば、バブル絶頂期(1989年)に芝浦にオープンしたファッションピープル御用達となった伝説のクラブ『ゴールド』が1994年に、『ヴェルファーレ』が2007年元日に、スーパースターDJのパーティ箱として名を馳せた伝説のクラブ『イエロー』が2008年6月に、それぞれ閉店した。俺の頭の中の、東京のキラキラした夜のパノラマは、2008年に終焉を迎えているのだ。

 

ところで、90年代の東京は、アシッド・ジャズの全盛期でもあり、当時一世を風靡したのが他でもない英国の<ジャミロクワイ>であり、<インコグニート>であり、そして英国のクラブカルチャーを盛り上げた立役者のひとりが<アンダーワールド>だ。今年は、ジェイムス・ブレイク、ノラ・ジョーンズ、コールドプレイ、ヘレン・メリル、EDC JAPAN、ブリトニー・スピアーズ、スティング、マリア・シュナイダー等々のライヴに足を運んだが、とりわけ記憶に残っているのは、コールドプレイ(東京ドーム)とスティング(武道館)だ。

 

ジャミロクワイの日本公演(5月)は突如中止が発表された一方、先日足を運んだスティングの日本公演は、俺が1995年6月に足を運んだ今から22年前の武道館公演と比較して、(いい意味で)何も変わっていなかった。

 

スティングの日本公演セットリストは、新作アルバム収録曲などを除けば、“Synchronicity II”、“Englishman in New York”、“Fields of Gold”、“Shape of My Heart”、 Message in a Bottle”、“Walking on the Moon”、“She’s Too Good for Me”、“Roxanne”、“Every Breath You Take”、 そしてアンコールの最後に“Fragile”は22年前と同じだ。

 

今回、特筆すべきことは、スティングがデヴィッド・ボウイの名曲“Ashes to Ashes”を披露したことなのだが、ボウイの追悼として何か歌うだろうと期待していた矢先、その選曲はとても予想外で、俺のハートを鷲掴みにしたのだ。先述した22年前に同じ場所で耳にした10曲を、25年もの歳月が経った今年耳にしたわけだが、その変わらない、哀愁漂う、素晴らしく力強い歌声に感動を覚えたのは俺だけではないはずだ。

95年当時20代だった俺は現在40代となり、日本公演当時43歳だったスティングは現在65歳となった。デヴィッド・ボウイが未だ健在であれば70歳であり、そして今年は、ボウイと親交があったアンディ・ウォーホル(1928-1987)没後30年だ。

或る意味、音楽家はみな「ボウイ・チルドレン」であり、写真家はみな「ウォーホル・チルドレン」だとも形容できる。そう、人生を変えてくれたヒーローは、人それぞれなのだろうが、音楽は甘い記憶を呼び覚ましてくれるから素敵だ。

 

T2 トレインスポッティング

 

1996年11月に日本公開となったユアン・マクレガー主演作『トレインスポッティング』を渋谷スペイン坂上のミニシアター「シネマライズ」で劇場鑑賞してから、早いもので20年もの歳月が経過した。同劇場は、渋谷パルコの再開発に伴い、昨年閉館した。そして今年、同作品の20年後を描いた『T2 トレインスポッティング』(以下「T2」)を、渋谷西武に隣接した映画館「シネパレス」で劇場鑑賞した。両劇場は小規模で、2階席があるという意味合いにおいて、とても似通った映画館だともいえるが、同劇場で特筆すべきなのは、メンズデーが設けられている点であり、毎週木曜日、男性は1000円なのだ。日本はとても治安が良く、そして世界でも稀に見る女性優遇のサーヴィスが数多く設けられた国(こんな国は他にはない)の筆頭だが、同映画館のそれはとても珍しい。

 

本題に入るが、『T2』の感想について―。

 

英国社会の底辺に生きる、無学で、将来に希望もない、そんな若者たちが欲望の赴くまま、青春時代を過ごした結果、彼らのその20年後の未来はどうなっているのかを本作は描いているが、人間の生成はさまざまな可能性の枯渇の歴史であるとはいえ、彼らは何も変わっておらず、昔のままクズだったという話に帰結する(笑)。本作は、エリートの没落を描いた物語とは真逆であり、登場人物たちの会話の程度が低く、したがって単純で、中身がないため、観ていて正直疲れるのだ。劇中、知的な会話も、シャンパンも、高級車も、高級アパートメントも、そしてアルマーニの服も登場しない。彼らの現実は、ボロアパートに安酒、そしてドラッグ漬けの毎日なのだ。

 

このどうしようもなく救いようのない彼らの生き方は、ブログ冒頭で一部引用した澁澤龍快楽主義の哲学』とも異なるそれなのだが、アーヴィン・ウェルシュが描く世界はドラッグに走り、現実逃避するのが彼らの日常であり、それが彼らの唯一の楽しみであり、目的なのだ。ウェルシュの中編三本で構成された小説『エクスタシー』のあとがきには、彼について「16歳で学校を辞め、電機修理などの仕事を転々としながらロンドンに移り、ヘロインとパンクの日々を送る。その後、禁断症状との闘いの末にヤク中から抜け出し、不動産ディーラーの職に就き、結婚。」とあるように、トレインスポッティングで描かれた世界と似通っている。

 

そう、2013年11月18日()付ブログ“You're so fucking special!”(テーマ: 映画)で、アーヴィン・ウェルシュの小説『フィルス』を映画化させた同名タイトルの作品について感想を綴ったので、興味がある方はどうぞ。

 

映画『トレインスポッティング』も『T2』も、俺の趣味でないのは確かなのだが、劇中で使用された音楽を含め、総合的に判断した場合、俺好みのアシッド・ムーヴィーという結論に至るわけだが、ユアン・マクレガー演じるジャンキーは<デヴィッド・ボウイ>に憧れており、音楽にはボウイと親交が深い<イギー・ポップ>や<ルー・リード>の曲が使われ、その場面毎の使われ方が最高ゆえ、前作が公開された96年当時、世界中の若者たちの共感を得、世界的に大ヒットしたのだろう。が、どうしようもない懲りない連中を描き、最高の音楽を劇中に使用するという意味合いでは、近年高い評価を得ているのが、他でもないカナダの若き鬼才<グザヴィエ・ドラン>その人だろう。以前のブログでも書いたが、彼は劇中、デヴィッド・ボウイの楽曲を最高の場面で使用するのだ。過去のデヴィッド・リンチ作品やデヴィッド・フィンチャー作品のように、ね。

 

澁澤龍は、「人生に目的がなければ、覚悟をきめて、自分でつくり出せばよいのです。欲望を満たそうとする努力こそ、人間が生きている以上避けて通ることのできない、人生の目標だともいえましょう」と言ったが、それをできるのは天才といえる限られた人達であり、例えば、それは情熱を音楽に変えた<デヴィッド・ボウイ>であったりするのかもしれないが、アーヴィン・ウェルシュが描く世界に登場する人物にはそれは到底無理な話だ。

なお、ウェルシュは、両作品ともに端役で出演している。前作で女子高校生だった知的なダイアンは、クズの彼らとは対照的に、

彼女は現在弁護士としてまっとうに生きている。

 

彼らが置かれた環境が悪い、育った環境が悪いといえば、それまでなのだが、ダニー・ボイル監督が描いたそのサイテーな世界にも、ユアン・マクレガー演じるレントンを助けていたのは、彼の両親であり、それが救いのひとつでもあったのは明白であり、20年経った続編では彼の母親は他界している。こんなサイテーな息子を家族は見捨てず見守り続けたが、先述したグザヴィエ・ドランは家族の在り方に注目し、低予算ながらも、家族の物語を描き続け、最高の音楽を劇中で使用するといったカタチで、ヒット作を近年立て続けに世に送り出している。

 

最後になるが、全仏オープン準決勝のナダルの試合をTV観戦しながら、時計の針は6月9日(金)の26時を回ったが、ウェルシュの『エクスタシー』は、現代の不安と焦燥をテーマに構成されており、『懲りない』といった章の中の台詞が、私的にとりわけ印象に残っている。

 

君があいつを“しごくまっとう”に変えてくれるといいんだけどな。

 
 

 

Have a nice weekend!

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大晦日。午後11時30分をまわって、気分は最高である。シャンペンは当たり年のクリュッグ、その泡がはじけ、血が騒ぎ、大勢の見知らぬ美もしくは美男たちが真夜中の時報とともにあなたにキスをしようと、すでに長い列を作って待っている。楽しかった1年よ、さようなら。と、そこで誰かが近づいてきて(どこのパーティでも必ずひとりはいるものだ、レモン入りのペリエを飲んでいるようなやつが)、こう尋ねる―。

 

新年の抱負は?

 

やれやれ。誰だい、いったい。せっかくパーティが乱れに乱れてもおもしろくなりそうなときに、そんな現実的な耳の痛い話を持ち出すのは。その場でわからなくても、翌朝には声の主は明らかになる。つまりそれは他人の姿を借りたあなた自身の“良心”に他ならない。よくないことは知りながら手放せないでいるあれやこれやの楽しみ、せめてそのひとつくらいはやめる決心をしたらどうだ、と問いかけているのである。

 

誰だったか、確かオスカー・ワイルドだと思うが、こんなことを言っている。「何事もほどほどに。ほどほどの中でも、ほどほどに」 何かというとはめをはずして大騒ぎしてしまいがちな人間の本能を、きちんと見抜いているところが賢い。新年の誓いにおいては、ふつうこんな格言は見向きもされない。やるかやらないかのどちらか。異様なほど凝り固まった考えのもと、みんなが“やりすぎ”という極端な方向へ向かって走りはじめる。だから結局は2月の中旬頃、それなりの罪悪感を抱くか、もしくは自分を正当化しつつ、一斉に元の生活へ戻らざるをえなくなるのだ。こうして意味のないことが何年も続いたので、いちいち誓いを立てることは、私はもうやめてしまった。

ピーター・メイル

 

どこからはじめようか?

 

クリスマスで慌ただしかった、東京の街がイルミネーションで素敵に飾られた日。“And the Party goes onそしてパーティは続く)”と題してブログを更新してから、早いもので1カ月が経過しようとしている。昨年末、幸運にも、航空チケットが急遽取れ、年末年始はカナダの<トロント>で迎え、その後<シカゴ>と<ニューヨーク>にそれぞれ滞在し、白銀の世界で約2週間を過ごし、新年の誓いはさておき、家族でヴァケーションを楽しみ、帰国した。

 

帰国した翌日は、<虎屋菓寮>で京都の白味噌仕立ての「雑煮」(正直、俺の好みのそれではなかった)をいただき、夜はディナー後、自宅で虎屋の羊羹「夜の梅」(切り口の小豆の粒が、夜の闇にほの白く咲く梅の花を思わせることに由来しているそうだ)に日本茶を合わせた。そう、かつて冬の季節にニューヨークに旅行した際、美術館巡りの途中、アッパーイーストサイドに位置した<TORAYA CAFÉ>に立ち寄り、羊羹と日本茶をいただいたものだが、同店はいつの間にかニューヨークから撤退していた。東京では、もうバレンタイン商戦が始まったが、スイーツは甘い記憶を呼び覚ます

 

そして日本での新年は、『デヴィッド・ボウイ大回顧展』をはじめ、年末年始に足を運ぶ予定だった映画3本(『ノーマ東京 世界一のレストランが日本にやって来た』『聖杯たちの騎士』『ネオン・デーモン』)をようやく劇場鑑賞した。

 

The Weeknd

 

ところで最近、自宅でヘヴィーローテーションしていたアルバムは、トロント出身のR&Bシンガー<エイベル・テスファイ>君(26歳)こと<ザ・ウィークエンド>のニューアルバム『スターボーイ』で、デヴィッド・ボウイへのオマージュ作品なのだ。なお、同アルバム収録曲“Party Monster”は中毒になりそうなくらい、俺の頭の中を“♪PARANOID♪”という一節が無限にループしている。

 

聖杯たちの騎士

 

デヴィッド・ボウイ大回顧展>に関しては、次回のブログで綴る予定だと前置きしておくが、まず今年初めてのブログは、クリスチャン・ベール主演、テレンス・マリック監督最新作『聖杯たちの騎士(原題: Knight of Cups)』について―。

正直、最高の映画だ! スローモーションで何度も繰り返して観たくなるくらいに、ね。俺は、その美しい映像の数々に何度もノックアウトされたのだ。劇中、素敵に、俺を夢の中に、心地よく誘(いざな)ってくれて、無意識に身体(からだ)がシャンパンを欲していたような、そんな不思議な感覚に包まれたわけだが、万人にはオススメしない。

人間は大抵、小説同様、映画に「実人生」を探したり重ねたりするものだが、前回のブログで、ジュリアン・バーンズの小説から「本の中では物事が説明されるが、人生ではそんなことはない。人生より本を好む人がいるのは驚くことではない。本は人生を意味づけてくれるからだ。唯一の問題は、本が意味付ける人生というのは他人の人生であって、決して自分の人生ではないということだ」を引用したが、この「」の部分を「映画」に置き換えても意味は通じる。

同作品を鑑賞後、「退屈だった」とか「つまらなかった」とか「共感できなかった」とか、そんな感想しか思い浮かばなかった人は、それは君の人生が、クリスチャン・ベール演じたハリウッドで成功した脚本家・・・知的で洗練された男<リック>の、享楽的で、パーティ続きの、魅惑的な人生とは対照的に、退屈な人生だからだろう、きっと。どちらの人生が善いとか悪いとか、それは大した問題ではない。アンドレ・マルローは「反回想録」の中で、「人間の真実は何よりもその人が隠しているものにある」と言ったが、リックの人生はコントラストに富んでいて、悩みなどなく、一見とても光り輝いているように見えるのだ

 

ところで、昨年クリスマスに53歳の若さで亡くなった、英国を代表する天才シンガーソングライター<ジョージ・マイケル>の名曲“FASTLOVE”(1996)をご存じだろうか。以前のブログでも何度か取り上げたそれだが、その歌詞には「刺激を求めて/夜の闇を手探りしていた/どこも下らない話ばかりだ/ベイビー、俺の合図が見えないのか?/たぶん君なら、僕を楽にしてくれる/僕はミスター品行方正なんかじゃない」とあるが、クリスチャン・ベール演じた脚本家リックも同じようなタイプの人間なのだろう。とはいえ、ハンサムで、知的で、社会的に成功している幸せな男の、過去に巡り合った、美しい女たちとの過ぎ去りし日の思い出を、約2時間(正確には1時間58分)もの長時間にわたり回想し、スクリーンで見せられると、それとは真逆の人生を送って来た(今も送っている)人々からしたら、腹立たしくなるのもわからなくもない(笑)が、一見そういう完璧なように見える人生も、世の中には存在するのだ

 

生活するとは、この世でいちばん稀なことだ。

大抵の人は、ただ存在しているだけである。

―オスカー・ワイルド

 

したがって、同作品を「素晴らしいお伽噺」と形容するのも悪くはないし、夢の世界ハリウッド>ではよくある話なのかもしれない。こういった俺好みの物語は、小説や映画の世界では珍しくなく、世界のどこかしらで何度となく語られてきたはずだ。そう、ブレット・イーストン・エリスの小説に登場しそうな・・・例えば、彼の代表的な小説『アメリカン・サイコ』に登場するスノッブな主人公<パトリック・べイトマン>がそうだが、『聖杯たちの騎士では殺人などは一切起こらず、大きな変化も生じない劇中、美しい音楽が流れ、そしてただひたすらに美しい映像と、美しい男女のラヴストーリーが延々と続くのだ、まるで、ジョルジオ・アルマーニの、美しい海辺で撮影された、香水のCMでも見せられているかのように、ね。本作は、真実の愛を探し、彷徨っている、クリスチャン・ベールの答え探しの物語なのだ

視点を変え、私的に分析すると、同作品の主要なキャストのふたりに注目してほしい。クリスチャン・ベールとケイト・ブランシェットは、それぞれアルマーニマンとアルマーニウーマンであり、劇中、クリスチャン・ベールが身に纏っていた衣装は<ジョルジオ・アルマーニ>のそれだ。アルマーニスーツに、ブラックシャツではなく、ネイビーシャツを合わせたその姿が、アメリカ西海岸の青い空の下、劇中とてもよく映えていた。

極論、同作品には、物語も、台詞も必要ないくらいに、そのディテールだけで観客にメッセージを伝えていたのだ・・・美しい男女、サンタモニカの美しい浜辺、LAの街を眼下に見下ろす丘の上に位置するプール付きの邸宅での華やかなパーティ、シャンパン、そして退廃の街<ラスヴェガス>、他には何もないくらいに、魅惑的なまでに単純化された、分かりやすい映画(世界)なのだと、俺の眼には映ったが、この作品を理解できない人は、「愛の経験」が足りないのかもしれない。何度も言うが、人生には遊びが必要だ。いや、愛なのかな。

聖杯たちの騎士』は難解な映画でないのは確かだが、日本国内のツイッターや映画評を見る限り、低評価のそればかりを目にし、それらが俺の感覚とかけ離れた意見ばかりで、内心とてもホッとしている(笑)。うーん、同作品は、テレンス・マリック流の「知的な芸術家気取りと虚栄についての物語」だとも言えるが、クリスチャン・ベールが演じたロマンティストでエゴイストな脚本家<リック>の気持ちは、俺自身とてもよく理解できた。フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』の主人公<ギャツビー>もまた、ロマンティストでエゴイストな男だが、リックは彼ほど純粋な人物ではない。

アンディ・ウォーホルの伝記本『パーティのあとの孤独』に何と書かれていたかはもう憶えていないが、そんな喧噪を通り抜けた果てに、リックには何が見えたのか―。彼が「成功」以外に、人生に欲していたのは「真実の愛」そのものではなく、「愛の経験」だったのだろうが、それも、俺自身、とてもよく理解できる、モテる男の宿命(女性には怒られそうだが 笑)なのだろう。そして、現実世界でそれを華麗に実践している男がひとりいる、レオナルド・ディカプリオその人だ。我々が生きている物質世界には、時間の意味を明白に示してくれるものはない。冷めた視点で語るならば、人生は無意味で、冷淡で、絶えず移ろい、儚いものなのだろうが、同作品の中では、人間の世界を「自然の世界」に結び付ける叙景の語りが、詩的でとても秀逸なのだ。ひとつだけ言える確かなことは、時間は万人に平等だが、我々人間にとって時間(人生)は有限だ、ただそれだけ。

 

を求め、彷徨う、ある男たちの映画

 

ところで、同作品に似たような作品をいくつか挙げるならば、ニコラス・ケイジ主演作『リービング・ラスベガス』(1995)をはじめ、ジャック・ニコルソン主演作『恋愛適齢期』(2003)、ジュード・ロウ主演作『アルフィー』(2004)、マイケル・ダグラス主演作『ソリタリー・マン』(2010)等々などがすぐさま思い浮かぶが、ソリタリー・マンに出演していた女優<イモージェン・プーツ>(当時19歳)が『聖杯たちの騎士』に出演していたのだ。

なお、日本において、2011年に劇場公開された『ソリタリー・マン』に関しては、2011年6月26日(日)付ブログ“If you start me up I'll never stop”(テーマ: 映画)で、イモージェン・プーツに関しては、彼女がミュウミュウの2015年春夏キャンペーンの広告モデルに起用され、来日した際、2015年3月31日(火)付ブログ“Young and Beautiful”(テーマ: ファッション)の中でそれぞれ取り上げたので、興味がある方はどうぞ。

 

聖杯たちの騎士のあらすじ

 

同作品のパンフレットに記載されたあらすじから、一部抜粋して紹介したい。

デラ(イモージェン・プーツ元妻の医師ナンシー(ケイト・ブランシェットモデルのヘレン(フリーダ・ピントリックの子を身籠った女性エリザベス(ナタリー・ポートマンストリッパーのカレン(テリーサ・パーマーリックを進むべき道へと導く若い女性イザベル(イザベル・ルーカスら女性たちとの交わりの中に、リックは気晴らしを求めていく。

リックには、女たちは自分が知るよりも多くのことを知っているように思えた。彼女たちのおかげで、リックは物事の核心に近づいていく。だが、気持ちの高鳴りの正体は分からない。どんなパーティも、男女の情事も、キャリアも、リックを満足させない。それでも、リックが人生を通して出会ってきた女たち、男たちが、ガイドとして、またメッセンジャーとしてリックを導いていく。リックの前には、東の国へ続く道がのびている。前に進むか? 勇気が足りずに諦めるか? 目を覚ましているか? それとも、すべて夢、希望、つかの間の空想としてしまうか? 旅は始まったばかりだ。

 

 

最後になるが、マドンナ1989年日本経済のバブル絶頂期、テイラー・スウィフトが生まれた年)にリリースしたシングル曲“Like a Prayer”の歌詞の一節は、“Life is a mystery”で始まる。なお、『聖杯たちの騎士』の最後の台詞は、「始めよう!」だ。

 

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二組の夫婦についての脚本を書きたいとずっと思ってたんだ。僕は夫婦の間で生じる様々なエネルギーや浮き沈みに興味があるんだ。例えば、夫婦二人だけでいる時と、夫婦が誰かと会う時とは、違う面を見せるんじゃないかな? それは当然だよね。誰と会うかにはよるけれど。そういうことを映画の中で掘り下げたかったんだ。僕自身がもはや“この部屋で一番若くはない”という年代に達してしまったから、そういう僕が二つの異なる世代のカップルを描くには今がちょうど良い時期だと思っていた。どの世代だって、時代遅れの人間になることへの恐れと闘っている。僕たちは誰もが皆、若者を見て「僕たちはもっとうまくやった」とか、逆に「へえ! 僕たちより随分うまくやるんだな」と感じる、人生のある地点に来るものなんだ。



ただ、この作品のトーンはこれまでとちょっと違っている。僕の子供の頃にあった古典的な大人向けコメディをやってみたかったんだ。ジェームズ・L・ブルックスマイク・ニコルズシドニー・ポラックウディ・アレンといった監督たちが80年代に撮ったような、洗練されたコメディの王道のような作品をね。



ジョシュ(ベン・スティラー)とコーネリア(ナオミ・ワッツ)は、ジェイミー(アダム・ドライバー)、ダービー(アマンダ・セイフライド)と一緒にいることによって、自分たちの若い頃の気持ちを思い出すようになる。彼らの人生はすでに、決まりきった日常と化してしまった。けれどもジェイミーとダービーの今の人生は、アートの世界を生きているようなものだ。いつも動きがある。常に何かをしていて、常に何かを作り出している。限界のないことに挑戦したいという抑えきれない気持ちが彼らを突き動かしているんだ。ジョシュとコーネリアには、表立ってこれといった問題はない。お互いがお互いの心の中に占める割合が同じで、それが幸せだと感じている。でも、彼らには何か刺激が必要なんだ。彼らは何かを探し求めているけど、それが何なのかはっきりとはわからない。それで二人はジェイミーとダービーに引き寄せられるんだ。

ノア・バームバック(映画『ヤング・アダルト・ニューヨーク』監督)



デヴィッド・ボウイ>の楽曲を使用し続ける一方、

一流にはなれない不思議な監督<ノア・バームバック





ニューヨークのブルックリン
で1969年に生まれた脚本家兼映画監督<ノア・バームバック>の名を俺が初めて知ったのは、ウェス・アンダーソン監督作『ライフ・アクアティック』(2004年・米)であり、バームバックは同作品で脚本を担当したのだ。それは、ビル・マーレイをはじめ、ケイト・ブランシェット、ウィレム・デフォー等々、有名なハリウッドスターが多数共演した海洋冒険もののコメディ作品だった。



本日、リオ五輪の開会式が行われたばかりだが、『ライフ・アクアティック』の劇中では終始、デヴィッド・ボウイの名曲をカヴァーした、ブラジルを代表する歌手<セウ・ジョルジ>の曲が使用されたが、私的には音楽だけがとりわけ印象に残っており、それらの楽曲が、同作品に洗練を加味していたのは確かだろう。



カヴァーされたボウイの原曲は、1967年のデビューアルバム『デヴィッド・ボウイ』収録曲“When I Live My Dream、1969年にリリースされた2ndアルバム『スぺイス・オディティ』収録の同名タイトル曲“Space Oddity“”、1971年にリリースされた超傑作アルバム『ハンキー・ドリー』収録の・・・“Changes”、“Oh! You Pretty Things”、“Life on Mars?”、“Queen Bitchの4曲、1972年にリリースされた超傑作アルバム『ジギー・スターダスト』収録の・・・“Five Years”、“Starman”、“Lady Stardust”、“Ziggy Stardust”の4曲、そして1974年にリリースされたアルバム『ダイアモンドの犬』収録曲“Rebel Rebel”等々、11曲を数えるのだ。



要は、1970年生まれのセウ・ジョルジが、デヴィッド・ボウイの若かりし頃(20代)にリリースされたアルバム群から名曲ばかりをピックアップし、それらをカヴァーした楽曲が、映画『ライフ・アクアティック』の劇中で使われ、私的には、映画の内容よりも、楽曲のほうが記憶に残った、と。



同作品で脚本を担当したバームバックは、その後もウェス・アンダーソンとタッグを組み、彼はニューヨークを舞台にした映画『イカとクジラ』で監督デビューを果たし、第78回アカデミー賞(2005年)の脚本賞にノミネートされたが、同部門でオスカーを受賞したのは、俺のお気に入りの群像劇『クラッシュ』であり、監督兼脚本を務めたのは他でもない一流監督<ポール・ハギス>その人だった。付け加えるならば、同賞には、他にはウディ・アレン監督作『マッチポイント』がノミネートされていた。それゆえ、バームバックにとっては、ノミネートされた相手が、ハリウッドの大物揃いだったのが不運だったとも言えよう。

その後、バームバックが再びニューヨークを舞台にし、監督を務めた白黒映画『フランシス・ハ』(2012年・米)では、デヴィッド・ボウイの名曲“
Modern Love”(1983年)が、劇中でも、エンドクレジット曲としても使用された。



そして今回、ニューヨークのブルックリンを舞台にしたバームバック監督作『ヤング・アダルト・ニューヨーク(原題: While We're Young)』(2014年・米)では、デヴィッド・ボウイに多大に影響を受けたニューヨークを中心に活動するアーティスト<ジェームズ・マーフィー>(LCDサウンドシステム)が音楽を担当し、エンドクレジット曲として、デヴィッド・ボウイの名曲“Golden Years”(1976年)が使用されたのだ。同曲収録アルバムは、他でもない傑作アルバム『ステイション・トゥ・ステイション』だ。



私見だが、ノア・バームバックは、一流とはお世辞にも形容できない二流の映画監督兼脚本家だと捉えているが、『フランシス・ハ』では、非モテの変わった性格の女性(ダンサーを夢見る実習生)を主人公に据えたが、彼は非モテ系や退屈で平凡な人々を登場人物に据える物語を描くのが好きなのかもしれない。デヴィッド・ボウイの楽曲を除けば、彼の作品群の中で俺の興味を惹く材料が、残念だが何一つ見つからないのだ。映画のディテールを含めても、ね。劇中の台詞の中に、「長靴をはいた猫」(私的には渋澤龍彦訳がオススメ!)だとか、プルーストの名前が登場したのは記憶に残っているが、ブログ冒頭で彼の言葉を引用したが、ウディ・アレンの名前は口にしないほうが賢明だろう。そう、シャンパンではなく、ポーランド発のプレミアムウォッカ<ベルヴェデール>も劇中登場した。あの場面で、ウォッカボトルの選択は、私的には考えられない、しかも女性のフランシスによるオーダーだ。酔いたい気分だったのか(笑)。



ヤング・アダルト・ニューヨーク




先週末、日本公開を楽しみにしていたノア・バームバック監督作『ヤング・アダルト・ニューヨーク』を、日比谷のTOHOシネマズ・みゆき座で劇場鑑賞し、その日は久々に帝国ホテルでディナーをいただいた。



先述したように、今作もニューヨークを舞台にした作品なのだが、『フランシス・ハ』と異なるのは、今回は独身の男女の日常ではなく、既婚の男女2組を主人公に据えたのが特徴であり、ウディ・アレン監督作品のような洗練であるとか、知性は感じられず、平凡な脚本に嫌気が差したが、同作品もまた相変わらずのインディーズな雰囲気を醸し出した、或る意味、日本人には分かりにくい内容の物語だった。



とはいえ、彼が監督を務めた前作までとの大きな違いは、ベン・スティラーナオミ・ワッツアマンダ・セイフライド、そして『フランシス・ハ』に続いて今作にも出演したアダム・ドライバー等など、日本でも知名度が高いハリウッドスターを起用していた点だ。そう、ベン・スティラー主演作『LIFE!/ライフ』(2013年・米)では、劇中、デヴィッド・ボウイの名曲“Space Oddity”が使用された。

ヤング・アダルト・ニューヨーク』の特筆すべき点は見つからず、感想もとりわけないのだが、劇場用パンフレットに引用されていたジョシュ(ベン・スティラー)が妻コーネリア(ナオミ・ワッツ)に対して口にした台詞「初めてやめられたよ。“大人になりきれない子供”を。もう毎日が充実なんて無理だ。悲しいけど、でも僕には君がいる」が、この映画を一番うまく表現しているように思えた。


ニューヨークに25年以上、毎年足を運んでいる俺にとって、劇中に登場する街並みがどこなのかすべては分からないが、ベン・スティラーがブルックリンからリンカーンセンターまで向かう設定は無理があったように思う。日本人でそういうディテールにまで気付く人はまずいないだろうが、映画の場面場面を観ながら、とても知的とは言えない登場人物たちの会話に退屈を覚えながら、デヴィッド・ボウイの原曲がいつ流れるのかと期待したが、エンドクレジット曲として流れてきた瞬間、リドリー・スコット監督作『オデッセイ』を劇場鑑賞したとき同様、ボウイが今年★になったとはいえ、毎年のように何かしらの映画の中で、彼の歌声を聴けると確信したのは、世界中で俺だけではないはずだ。



デヴィッド・ボウイという偉大な天才アーティストが、ラフ・シモンズやエディ・スリマンなどのファッション・ピープルに限らず、映画人たちの間でもとても愛されているのを改めて知り、彼のクリエイティヴな精神が、若い世代のアーティストたちに確実に受け継がれている、と感激した。



したがって、ノア・バームバック監督には、今後も映画の中で、デヴィッド・ボウイの楽曲を使用することをぜひとも期待したい。とはいえ、非モテとか、変人とか、平凡な人々の日常を描くのではなく、モテとか、天才とか、ビジネスエリートとか、俺が興味を持つような登場人物を主人公に据えて、脚本を書いてほしいものだ。ウディ・アレンのような“閃き”や“意外性”、そして“遊び”を織り交ぜ、ウィットに富んだ洗練された会話劇を観てみたいものだが、いっそ、近年のアレン作品に見られるような“ファンタジー”要素を作品に取り込めるような余裕がでてくれば、ブログ冒頭で引用した彼の言葉のように「洗練されたコメディの王道のような作品」がいつの日か完成するかもしれない。



若さとは、長くは続かぬものだ。

―ウィリアム・シェイクスピア



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高校や大学を卒業して、人生の次のステージへと進む若者を描く映画をずっと撮りたかったんだ。セックス、ドラッグ、パーティーといったあらゆる誘惑の中、自分の進むべき道に迷い、大人への階段を登る途中にいる姿を。誰もが共感できる自分の体験を映画に盛り込んだ。僕たちはみんな、人生のサウンドトラックみたいなものを持っている。だから音楽界を舞台に、その特有の時期を描くことで力強い映画になると思った。すごくワクワクしたよ。



音楽は、感情的にも身体的にも、人をどこか別の場所へ連れて行くことができる。大好きな曲を聴くように、この映画が、どこか別のワクワクする場所へ、真実の場所へと観客を導けたらいいなと思う。コール(ザック・エフロン)たちと同じように、僕らは誰しもが、自分自身の真実を見つけ、自分自身の声に耳を傾け、自分の2本足で立ち、自分が選んだ未来と向き合いたいと願っているものだから。

―マックス・ジョセフ監督



ソフィー(エミリー・ラタコウスキー)は、すごく賢い女性よ。大抵の人が高校生活で味わう楽しいことをあまり経験していないの。スタンフォード大学に進んで、一生懸命勉強したけど、少し疲れてしまって休養が必要だった。そしてロサンゼルスに来て、ジェームズ(ウェス・ベントリー)と出会った。彼女は必死に、自分の進むべき道、自分の人生の目的を見つけようとしている。ソフィーとコールは、人生の同じような段階にいると思う。いろいろなタイプの人に囲まれて、さまざまな選択肢がある中で、自分のいるべき場所を探している。だからこそ、お互い繋がりを感じるの。

―エミリー・ラタコウスキー



俺のお気に入り<エミリー・ラタコウスキー





1991年英国生まれの女優兼モデル<エミリー・ラタコウスキー>ちゃん(25歳)を、ブログで初めて取り上げたのは3年前まで遡るが、彼女が端役で出演したデヴィッド・フィンチャー監督作『ゴーン・ガール』(2014年・米)では、ベン・アフレックの愛人役を演じたが、同作品に関しては、2014年12月16日
()付ブログ“All or Nothing ”(テーマ: 映画)の中で、詳細に綴った。



そして今年1月、来日を果たしたエミリーちゃんに関して、2月4日()付ブログ“Fa-fa-fa-fa-fashion ”(テーマ: デヴィッド・ボウイ)の中で取り上げ、彼女がデヴィッド・ボウイの顔がプリントされた衣装を身に纏ったツイートの写真と、京都を訪れたときのツイートの写真をそれぞれRTした。



ところで、俺のお気に入り女優は、長い間、他でもない<シャーリーズ・セロン>その人なのだが、彼女に関しては、このブログをスタートさせた12年程前から、何度も取り上げ、注目してきたので改めての説明は不要なのだろうが、ディオール・ウーマンの彼女は、来月7日に41歳の誕生日を迎える。90年代半ば、彼女が当時20歳だった頃から注目し、もうかれこれ20年もの時が流れ、当時20代だった俺も彼女と同じように齢を重ねたわけだが、その間に、彼女はオスカーを受賞し、現在(いま)では、ハリウッドを代表する女優のひとりとなり、最も輝いている、強くて、美しい女優だ。なお、映画『ゴーン・ガール』の作者<ギリアン・フリン>の小説「冥闇」を映画化させた作品『ダーク・プレイス』では、シャーリーは主役を務めており、公開後すぐに、俺は劇場まで足を運んだが、同作品の感想に関しては、後日気が向けば、取り上げるかもしれない。



そんなシャーリーとはタイプが異なるが、俺が近年注目し、俺のお気に入り女優のひとりとなったのが、映画『WE ARE YOUR FRIENDS』で、スターDJジェームズ(ウェス・ベントリー)の恋人ソフィー役を演じたエミリー・ラタコウスキーその人だ。シャーリーとの共通点を挙げるならば、お互いモデル出身の女優だということだろうか。

同作品で、スター
DJになることを夢見るコール役を演じたザック・エフロン君は、エミリーについて、次のように語っている。



エミリーはとても愛らしい人だったよ。おおらかさと自信を持った女性としてソフィーを演じたんだ。コールがソフィーに惹かれた点はそこだと思う。ソフィーの自分を持っているところ、その強さ。エミリー自身も彼女に似ているね。ソフィーにすっかり魅了されてしまったコールは、ジェームズの恋人だと知って、どうしたらいいかわからなくなってしまうんだ。

―ザック・エフロン



WE ARE YOUR FRIENDS  ウィー・アー・ユア・フレンズ



劇中、EDM(エレクトリック・ダンス・ミュージック)が鳴り響く青春映画『WE ARE YOUR FRIENDS ウィー・アー・ユア・フレンズ』(2015年/米・仏・英)を六本木ヒルズで、先月末に劇場鑑賞した。

同作品の特筆すべき点はいくつかあるが、エミリー・ラタコウスキーが出演していること以外に、ブログ冒頭で引用したマックス・ジョセフ(今作が長編映画の監督デビュー)が、1982年生まれの34歳という若手監督だったこと、そしてエミリーの恋人役で、スター
DJジェームズを演じたのが、俺のお気に入り映画『アメリカン・ビューティー』(1999年・米)で、(ケヴィン・スペイシー演じる主人公の隣人の)不気味な変人役を演じていたウェス・ベントリー君(現在37歳・写真中央)だったことだ。それには少しばかり驚きを隠せなかったが、そう、あれから17年もの歳月が経過し、彼はすっかり洗練され、オトナの男に成長していたのだ。彼は『ラヴレース』や『ファインド・アウト』、『インターステラー』にも出演していたが、その記憶はほとんど残っていない。



映画のあらすじは、簡単に言えば、ロサンゼルスのサンフェルナンド・ヴァレー地区に住む、学歴もコネもない、社会の底辺に属する若者4人が、それぞれの夢を追いかけ、どん底から這い上がり、夢を実現させるシンプルな物語だ。そのひとりが、スターDJになることを夢見るコール役を演じたザック・エフロンであり、彼はあるパーティーに足を運んだ際、クラブの裏口で、スターDJジェームズに遭遇し、それを機に、彼の人生は好転していくのだが、ジェームズの魅力的な美しい恋人ソフィーにすっかり心奪われていく過程はよくあるそれだろうか。



映画の感想は、劇場鑑賞する前に、同作品のサントラを数回聴いた際、あまりピンとこなかったというのが本音なのだが、映像と共に流れるEDMの楽曲を劇場で耳にすると、すべての曲がそれぞれのシーンを盛り上げ、うまくアッサンブラージュ(組み立てられ)され、一体感を増し、俺自身、エンディングでは気分がとても高揚し、ワクワクした。そのエンディングでは、コールが大観衆の前で、自然音や日常の身近な音などをミックスさせたオリジナルの楽曲を披露し、見事に観客を魅了するのだが、それは音楽を通じて、人々に「幸せ」を届けた瞬間でもあり、その後、もうひとつの「幸せ」を不幸な境遇に見舞われたある家庭にも届けるのだが、私的には、その超ハッピーエンディングの流れはやりすぎだろ?とも思ったが、EDMは、人々を「幸せ」な気分にさせるそういう音楽であり、成功し、お金を得ることも大切である一方、監督が伝えたかったであろう「幸せの先に見えた」ものとはそういうことだったのだと思う。一見退屈そうな映画にも思えるが、私的にはオススメの作品だ!



2人のスーパースターDJ


デヴィッド・ゲッタ>と<カルヴィン・ハリス



劇場用パンフレットには、EDM界の2大巨頭として、デヴィッド・ゲッタカルヴィン・ハリスの名前が挙げられていたが、劇中、彼らの音楽は一切使用されていない。彼らに関しては、過去何度も取り上げたが、カルヴィン・ハリスに関しては、2014年12月29日()付ブログ“EMPORIO ARMANI for Calvin Harris ”(テーマ: 音楽)の中で、「カルヴィン・ハリスの奇跡」として詳細に綴ったので、興味がある方はどうぞ。



なお、同作品のタイトルにもなっている“WE ARE YOUR FRIENDS”は、フレンチ・エレクトロ・デュオ<Justice(ジャスティス)>が2006年にリリースした曲であり、俺もあまり印象に残っていなかったそれなのだが、ハウスミュージック好きを除けば、当時ほぼ無名に近かった存在の2人だが、彼らが世界的に有名となったのは、翌2007年にリリースしたキラー・チューン“D.A.N.C.E.”(同曲は劇中使用されていない)に他ならない。2003年から活動している彼らだが、オリジナルアルバムはわずか2枚しかリリースしていないが、2007年リリースのデビュー作『†(クロス)』は、衝撃的ではないにせよ、とても興味深くて、面白いサウンドだった。フランス勢では、ダフト・パンクデヴィッド・ゲッタがとりわけ有名だけど、ね。



デヴィッド・ボウイ写真展



ところで先日、代官山のギャラリーで、マーカス・クリンコ撮影によるデヴィッド・ボウイの写真展に足を運んだが、ボウイが2002年にリリースしたアルバム『ヒーザン』のジャケット写真の衣装は「バーバリー」だが、同ギャラリーに展示された写真は大きくて(小さな写真もあり)、アルバムジャケットでは判別できない、そのディテールがよく分かり、映画同様、ファッション好きな俺にとって、とても興味深いそれだったが、その1枚1枚に引き込まれるように、凝視するほど魅了された。狼と一緒に写ったそれは、合成写真だとはいえ、とても美しい写真だった。参考までに、俺の記憶が間違っていなければ、展示されていた写真は、大きさにもよるが、1枚約50万円から約140万円で、一番小さなハガキサイズのものが2万円台だった。



そして何よりも印象に残ったのは、デヴィッド・ボウイのあのやさしい眼差しなのだが、彼が今年1月10日で★になったのが未だ信じられないくらい、その写真の中の彼は生き生きと輝いており、彼の音楽と出会った「1983年の記憶=“Let's Dance ”」が脳裏をよぎったのは俺だけではないはずだ。



最後になるが、デヴィッド・ボウイの親友で、72歳の<ミック・ジャガー>が、29歳の恋人との間に、8人目となる子供を儲けたようだ。そして彼は今月26日、73歳の誕生日を迎える。Congrats!




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スウェーデン人女優<アリシア・ヴィキャンデル



今年2月末に開催された第88回アカデミー賞の、助演女優賞部門において、映画『リリーのすべて』で見事オスカーを獲得した、1988年生まれ(現在27歳)のスウェーデン人女優<アリシア・ヴィキャンデル>をご存じだろうか。



俺が彼女を初めてスクリーンで観たのは、トルストイの名作『アンナ・カレーニナ』を映画化させ、キーラ・ナイトレイジュード・ロウが共演した同名タイトルの映画(2012年)だ。今年の日本で流行語!?になりそうな「不倫」を題材とした、上流階級を舞台にした映画なのだが、当時はまだ無名だった英国のスーパーモデル<カーラ・デルヴィーニュ>も端役で出演するなど、今改めて振り返ると、色んな意味で、見どころ満載の作品だったように思う。しかしながら、当時、同作品に出演していたアリシア・ヴィキャンデルがここまで大化けしようとは思いも寄らなかったし、正直、同作品で目にした彼女を美人だとも判別できず、近い将来ブレイクするとも予想していなかったというのが本音だ。



とはいえ、同年公開されたデンマーク映画『ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮』で、彼女の美しさにようやく気付いた一方、ウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジを題材にした2013年の映画『フィフス・エステート/世界から狙われた男』では、彼女は端役を演じ、そのときは『アンナ・カレーニナ』出演時同様、彼女を美人だとか、演技派女優だとか、何も感じ得なかったのだ。単に、好き嫌いの問題なのだろうか。



そんな矢先、ユアン・マクレガー主演のオーストラリア映画『ガンズ&ゴールド』(2014年)に、彼女は出演を果たし、私的には同作品が彼女の魅力を見事なまでに開花させたように、俺の眼には映ったのだ。付け加えるならば、ユアン・マクレガーの魅力もまた全開だったが、映画そのものはとても退屈だった。



彼女の出演作品すべてに言及しないが、ガイ・リッチー監督作『コードネーム U.N.C.L.E.』(2015年)で、彼女は重要な役で出演を果たしたが、スパイ映画なのに、そのとても退屈な出来に幻滅したわけだが、彼女の魅力も同作品では半減していたように思う。



前置きが長くなってしまったが、アレックス・ガーランドが脚本・初監督を務めた、“AI(人工知能)”をテーマにした2015年のイギリス映画『エクス・マキナ』が、ようやく日本でも今月公開され、(今年8月にパルコの建て替えに伴い閉館する)渋谷パルコ内の映画館<CINE QUINTO(シネクイント)>で劇場鑑賞した。



同作品に、美しいロボット役で出演しているのが、他でもないオスカー女優<アリシア・ヴィキャンデル>その人であり、先述した2012年のイギリス映画『アンナ・カレーニナ』にも彼女は出演していたが、『エクス・マキナ』で彼女と共演を果たすのが、『アンナ・カレーニナ』の劇中で夫婦役を演じた1983年生まれ(33歳)のアイルランドの俳優<ドーナル・グリーソン>君その人なのだ。同作品のキャスティング・ディレクターの目の付けどころはシャープだとも言えよう。



日系イギリス人女優<Sonoya Mizuno



アリシア・ヴィキャンデルの話はそれくらいにして、『エクス・マキナ』で注目すべきもうひとりの女優が、劇中、言葉を発しないロボット役を演じた1988年生まれ(現在27歳)の女優<ソノヤ・ミズノ>ちゃんだ。彼女は来週7月1日、28歳の誕生日を迎えるバレエダンサー兼女優だ。参考までに、彼女の身長は、アリシア(身長166cm)より4cm高い170cmで、ハリウッド女優の中ではごくごく平均的なそれだろうか。スクリーンで目にした彼女は、ダンサーゆえ、無駄を削ぎ落としたような、引き締まったボディの持ち主だった。



日本ではほぼ無名な彼女を、俺が初めて知ったのは、俺のお気に入りの英国を代表するダンス・アクト<ケミカル・ブラザーズ>が昨年リリースした傑作アルバム『ボーン・イン・ザ・エコーズ』に収録された曲“Wide Open feat. Beck”のMVに、彼女が出演したのを目にしたときだ。ライナーノーツには、同アルバムの特徴として、「EDMの音圧に対して、強烈なトリップ感」と書かれていたが、彼らの音楽のトリップ感は、前作の大傑作アルバム『時空の彼方へ』(2010年)でも立証済みであり、今に始まったことではない。


ソノヤ・ミズノちゃんの話に戻すが、或る意味、『エクス・マキナ』の見所のひとつ(名シーン)が、彼女のダンスシーン(不思議な妖しいダンス)だろうか。ジョン・トラヴォルタとぜひとも踊って欲しいね(笑)。なお、同シーンで流れたのは、オリヴァー・チータムのダンス・クラシック“Get Down Saturday Night”だ。彼女には今後益々の活躍を期待したい。



ところで、俺が音楽担当であれば、あの場面では、ベースメント・ジャックスの“Never Say Never”、もしくはダフト・パンクが2013年にリリースした傑作アルバム『ランダム・アクセス・メモリーズ』収録曲のいずれかを選ぶだろうね。なお、ベースメント・ジャックスの同曲に関しては、2014年7月24日()付ブログ“Oh my gosh ”(テーマ: 音楽)で詳細に綴ったので、興味がある方はどうぞ。



エクス・マキナ



同作品の特筆すべきことは、レオナルド・ディカプリオ主演の映画『ザ・ビーチ』の脚本を担当し、原作者でもある1970年生まれの英国人<アレックス・ガーランド>が、初めて監督を務めたということに尽きる、ただそれだけ。他に真新しいものは特になく、美しい映像作品であるのは確かだが、哲学を散りばめた作品(メタファーはある)でもなく、俺のお気に入りの画家<ジャクソン・ポロック>の絵画を登場させるなどして、作品に特異性を持たせてはいるが、メッセージというよりも寧ろ、深い意味はなかったように私的には解釈した、ディテールでの遊びだとも言えよう。とはいえ、洗練を加味していたのは確かだし、劇中使用されたシューベルトバッハなどのクラシック音楽に限らず、面白い音楽の選択が、俺の興味を惹いたとも言えよう。映画の感想は、特になく、オススメもしない。パンフレットのコラムには、同作品に「複雑さ」と、深い!?意味を持たせようと、御託が並んでいたが、俺は眠くなった(笑)。



そう、「AI(人口知能)」には、私的には全く興味がないと前置きしておくが、スティーヴン・スピルバーグ監督作、ジュード・ロウ出演の映画『A.I.』(2001年)は心に残る作品のひとつであり、全部は書かないが、例えば、2004年の『アイ、ロボット』、2013年の『her/世界でひとつの彼女』、2014年の『トランセンデンス』、2015年の『チャッピー』等々も、記憶に新しいところだ。



とりわけ、私的に忘れられない「人工知能」をテーマにした映画は、他でもない、2011年のスペイン映画『EVA<エヴァ>』であり、同作品で美しいロボットを演じたスペイン人女優<クラウディア・ベガ>(当時12歳)と、壮大で美しいあの雪の映像だけは未だ脳裏に焼き付いている。付け加えるならば、『エクス・マキナ』でロボット役を演じたアリシア・ヴィキャンデルの劇中での名前は『AVA(エイヴァ)』だ。そして、同作品で彼女が最後に選んだドレスは、映画『アンナ・カレーニナ』同様、白いドレスだった。



映画の感想は特にないので、再び、音楽の話に戻すが、エンドクレジット曲は、英国のロックバンド<Savages サヴェージズ)>の“Husbands”だった。もし俺が音楽担当であれば、英国の<Unkle(アンクル)>の“Burn My Shadow”を選んだかもしれない。同曲は、2012年の映画『推理作家ポー 最期の5日間』のエンドクレジット曲だが、退屈な同作品に対し、洗練を加味したという意味では、とても秀逸な選曲だったように思う。ケミカル・ブラザーズの曲でも良かったと思うが、映画が音楽に負けそうな気もする。



最後になるが、映画『エクス・マキナ』のエンディングは、私的には好きなそれだったが、アリシア・ヴィキャンデルが演じた美しいロボット<AVA>(改めて、同作品の彼女は美しかった)に、シェイクスピアの名言を贈りたい。



ブルータス、お前もか。



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20世紀の後半50年間は、世界の料理界をフランスがリードし続けた。私がフランス料理を食べ始めた70年代はポール・ボキューズ、その後80年代はジョエル・ロブション90年代はアラン・デュカスが世界の料理界を牽引してきた。しかし、その後、21世紀に入ってからはフランスからスーパースターは出現せず、90年代後半から頭角を現したスペインはカタルーニャ地方バルセロナ近郊カラ・モンジョイのレストラン「エル・ブリ」のシェフ、フェラン・アドリアは科学を料理に導入するというまったく新しい意匠で世界を席巻し、時代の寵児となって君臨した。



そして今、この「エル・ブリ」で修業したコペンハーゲン「ノーマ」のレネ・レゼッピはじめ、30代40代の料理人たちが、自分の故郷で「料理」というより「作品」を発表して、世界各地で喝采を浴びている。

山本益博著『美食の世界地図』より



ノーマのスターシェフ<レネ・レゼッピ>に関する過去のエントリー



先日、“食の最先端”とも形容されるデンマークの高級レストラン「Noma」の、オーナー兼シェフ<レネ・レゼッピ>を4年間追った食のドキュメンタリー映画『ノーマ、世界を変える料理』(2015年・英/99分)を、時代に取り残されたような新宿のミニシアター<新宿シネマカリテ>で劇場鑑賞した。なお、同レストラン及び同シェフに関しては、俺のブログでは珍しく、近年数多く取り上げてきた要注目な人物のひとりであり、世界中の美食家や料理人達の感性を刺激しているとも言えよう。過去のエントリーの中から、以下いくつか一部抜粋して紹介したい。

◆2012年7月22日
()付ブログ

Kitchen Confidential ”(テーマ: レストラン&バー、カフェ)

イギリスで発行されているグルメ雑誌『restaurant(レストラン)』が2003年から毎年、 サンペレグリノ 世界のベストレストラン50”を発表している。今年4月30日にロンドンで発表された“サンペレグリノ 世界のベストレストラン50 ”に、改めて注目してみたい。1位は、デンマーク・コペンハーゲンにあるスカンジナビアン料理店『noma(ノーマ)』が3年連続で首位に輝くなど、異彩を放つ存在だ。

◆2014年6月15日
()付けブログ

Hard Choices ”(テーマ: レストラン&バー、カフェ)

レゼピ氏は、キャリアをスペインの『エル・ブリ』で1999年にスタートさせ、翌2000年には(以前のブログでも取り上げた)カリフォルニア・ナパバレーの高級フレンチ『フレンチ・ランドリー』で修業し、2003年にデンマークで北欧料理店『ノーマ』を立ち上げ、現在はオーナーシェフとして腕を振るっている。また、2012年には、ロンドンの超高級ホテル<クラリッジス>内に期間限定で『ノーマ』を出店するなど、海外展開にも積極的だ。ブログ冒頭で、1971年生まれのフランスの経済学者<トマ・ピケティ>氏の言葉「最高級の市場には信じられないほどの需要がある」を引用したが、マンダリン・オリエンタル東京に出店する「ノーマ」での美食体験は、平均的な所得者層であれば、“HARD CHOICES(困難な選択)”になるはずだ。


◆2014年6月30日
()付ブログ

Atmosphere ”(テーマ: 本・雑誌)

山本益博著『美食の世界地図 料理の最新潮流を訪ねて』は、ブログ冒頭で取り上げた『Casa BRUTUS』の特集「今、世界が噂するレストランはどこだ!?」にも通じる内容のそれであり、第1章の「美食の新天地の世界地図」で紹介されたロンドン郊外のヘストン・ブルメンタールの『ザ・ファット・ダック』、コペンハーゲンの『ノーマ』、ニューヨークの『BLT』『ブラッシュストローク』『イレヴン・マジソン・パーク』等々は、『ノーマ』を除いて、俺が過去に足を運び、ブログで取り上げた店ばかりで、新しさは感じられなかったが、その選択に異を唱えるつもりはない。



◆2015年2月24日()付ブログ

Does that make me crazy? ”(テーマ: 番外編)

2015年2月6日付ブログ“Blue Bottle Coffee Begins”では、レネ・レゼッピが足を運んだ「ブルーボトルコーヒー」と「すきやばし次郎」のツイートを追記した。世界でも最も注目される料理人<レネ・レゼッピ>と、世界で最も有名な鮨屋「すきやばし次郎」の組み合わせこそが最先端の話題のひとつであり、料理の最新潮流のひとつだとも言えよう。そして、アルマーニとシーアの組み合わせも同義だろう。

◆2015年3月5日
()付ブログ

Ah look at all the lonely people ”(テーマ: 映画)

近年ニューヨークでもブームとなったノルディック料理の店がアクメなのだ。同エリアには、他にも「Contra(コントラ)」(ノリータ)や「Skal(スカル)」(イースト・ヴィレッジ)など北欧料理の店が、「Noma(ノーマ)」に続けと言わんばかりに、海外進出しており、ニューヨークのグルメたちからも注目を浴びているのは確かだろう。私的なオススメの北欧料理店は、何度も言うが、ミッドタウンに位置する「Aquavit(アクアヴィット)」だ。同店の場所は、五番街に位置するアルマーニのコンセプトストアからも徒歩数分の好立地だ。

◆2015年3月15日
()付ブログ

The dots will somehow connect in our future. ”(テーマ: 番外編)

ダイヤモンド・オンラインの2015年2月25日付コラム“なぜ「Noma」は世界一のレストランなのか”より、以下一部抜粋して紹介したい。デンマークの美食が今、世界的に注目を浴びていることに改めて気付くはずだ。記事の内容をおおまかにまとめると以下の様になる。〈Nomaが用意できる年間2万席に対して100万人以上の予約応募がある──のだけれど、Nomaの成功はコペンハーゲンを訪れる目的を変えたことだ。旅行者はNomaが予約できなくても他のレストランを訪れる。涼しさを求めてデンマークを訪れるのではなく『おいしいものを食べたい』という旅行者を増やした。結果、観光客は11%増加した。Nomaはスカンジナビアの食材しか使わないので、農家や牡蠣養殖家なども恩恵を受けている〉。



ノーマ、世界を変える料理



映画の感想だが、特筆するようなことは何もない。なぜなら、上記のエントリーをまとめたようなそれであり、新しい発見が何もなかったからだ。ひとつだけ言える確かなことは、彼の反骨精神はさておき、“ロックスターのようなシェフ”と形容されるレネ・レゼッピ本人の、劇中での言葉遣いが汚く、幼稚な発言の連発と、学がないゆえか、その人間的未熟さに、俺は少しばかり興ざめしたというのが本音だ、悪意はない。とはいえ、レネ・レゼッピの名誉のために、彼が「前衛的な料理を創造する、想像力豊かな新しいタイプの天才料理人」だということも付け加えておきたい。



最後になるが、今週末から2017年春夏ミラノ・メンズ・コレクションがスタートする。



Have a beautiful day!

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お金はもちろん、この世で生きていくのに欠かせない。しかし、現金を手にした刹那の、純粋な、めくるめくような感覚が過ぎ去ってしまうと、お金そのものだけでは飽き足りないことに気付くのが人の常だ。一方、お金を使って何ができるかという話になると、夢は果てしなく広がっていく。



金持ちがに求めているものについて、ある個人資産の運用家はこう言い切った。「それは、一にも二にもだね」 まあ、一面の真実だろう。

リチャード・コニフ著『金持ちと上手につきあう法』より



今年もまた、カンヌの宴が始まった。





ジョルジオ・アルマーニ
のオートクチュールライン<ジョルジオ・アルマーニ・プリヴェ>の華やかで贅沢なドレスを身に纏ったハリウッドを代表する女優たちが、南仏のリゾート地<カンヌ>のレッドカーペット上に続々と姿を現し、世界で最も華やかな映画祭<カンヌ国際映画祭>が11日(日本時間12日)、幕を開け、オープニングセレモニーには、フランスを代表する大女優<カトリーヌ・ドヌーヴ>も登場した。



ブログ冒頭で引用したリチャード・コニフの同書に関して、以前のブログでも度々取り上げたが、第2章の「猿から億万長者へ―金持ちの進化論」の“富への不適応”は、次のように始まる。



進化とは驚くべきものだ。ある科学者の言葉を借りるなら、「木にぶらさがり、ぼりぼり昆虫を食んでいたぎょろ目の小さな霊長類が、ジュリア・ロバーツに」変容してしまうのだから。



そして第3章の「なぜ、パーティをするのか? ―金持ちの黎明」には、PJオロークの名言が引用されている。



あなたの上役がパーティを開く目的は何だろう? むろん、あなたに楽しんでもらうことではない。それだけなら、シャンパンときれいどころをタクシーで送り届ければ済むことだ。

PJオローク



カンヌ国際映画祭は、今年で69回目を迎えたが、奇しくも、それは今年1月8日に69歳の誕生日を迎え、その2日後に★になったロックスター<デヴィッド・ボウイ>と同じ年齢ということになる。が、正確に言えば、デヴィッド・ボウイが生まれたのは1947年で、カンヌ映画祭が初めて開催されたのは終戦後の翌1946年まで遡るとはいえ、同映画祭は1948年及び1950年が中止となっているため、今年で69回目の開催にあたるのだ。



なお、今年の同映画祭の私的に気になる作品群に関しては、2016年4月17日()付ブログ“Spring Breakers ”(テーマ: 映画)の中で、少しばかり触れたので、興味がある方はどうぞ。気が向けば、それに関しては、後日ブログで改めて取り上げるかもしれない。



パウロ・コエーリョ





ところで、今から7年前となる2009年、1月6日
()付ブログ“Onze Minutos ”(テーマ: 本・雑誌)の中で、正月に読破した4冊の文庫本について言及したが、それは、ポール・オースターの小説「ミスター・ヴァーティゴ」(1994)をはじめ、パウロ・コエーリョの小説・・・「アルケミスト‐夢を旅した少年」(1988)、「ベロニカは死ぬことにした」(1998)、「11分間」(2003)だった。



そして当時、同エントリーの中で、2008年の夏にブラジルで出版されたばかりのパウロ・コエーリョにとっては異色の小説『O vencedor está só(オ・ヴェンセドール・エスタ・ソ)』について、俺は次のように記していた。なお、同小説の英題は『The Winner Stands Alone』だ。



彼の新作『勝者はみな一人』のテーマは、セレブの孤独。昨年の夏、ブラジルで発売されたばかりで、日本語訳のものはまだ存在しない。そんな新作について、パウロ・コエーリョが次のように語っている。



私自身、セレブの世界に属していますが、その世界には常に疑問を抱いています。映画祭に参加するようなセレブたちも、実際には消費されていくだけの存在であることが多い。そんな現実を、書いておきたかったんです。

―パウロ・コエーリョ



なぜ今、ブラジルを代表する同作家の、2008年8月に同国で初版20万部が発売された小説(*日本では未だ邦訳されていない)に注目したのかと言えば、今夏(8月5日)に開幕するリオデジャネイロ五輪とは全く関係なく、同小説の舞台がカンヌ国際映画祭だったこと、そして小説の主人公であるロシア人の億万長者イーゴルが、同地で次から次へと殺人を犯していくといった物語であったのをふと思い出したからだ。同小説は、ハリウッドで映画化されてもおかしくない素材だと思うが、「アルケミスト」を書いたパウロ・コエーリョの作品には到底思えないような異色の作品ゆえ、それが当時、俺を強烈に刺激し、興味を引いたのだろう。要は、実験的にも、彼は自身の作品に「変化」を求めたと言えよう。



ウディ・アレンの新作『Cafe Society





第69回カンヌ国際映画祭のオープニングを飾ったのが、御年80歳(1935年生まれ)になるアメリカを代表する大物監督<ウディ・アレン>の、彼のファンならずとも興味を誘う内容の新作『カフェ・ソサエティ』だ。同映画祭のサイトには、同作品について次のように紹介されている。


映画産業で働くことを夢見て、1930年代のハリウッドに向かい、恋に落ち、この時代に刻印を残したカフェ・ソサエティの熱狂に陥って行く青年の物語です。ハリウッドで人気上昇中の世代の2人の俳優、クリステン・スチュワートとジェシー・アイゼンバーグが、スティーヴ・カレル、パーカー・ポージー、そしてブレイク・ライヴリーら豪華な俳優陣に支えられた『
Café Society』の中心を成しています。



近年、劇場鑑賞したウディ・アレン作品の中で、『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)及び『ブルー・ジャスミン』(2013)の2作品はとりわけ素晴らしく、改めて彼の圧倒的な脚本力に魅了され、彼の映画の虜になった俺にとって、彼の新作が気になる一方で、米ニューズウィーク日本版の5月12日(木)付のコラム“ウディ・アレン小児性愛疑惑を実の息子が告発”が目に留まった。とはいえ、その真偽はさておき、いずれにせよ、彼の人生もまた「映画」のようであり、夢の世界ハリウッド」の住人として生き続ける彼にとって、それは大した問題ではないのかもしれない。付け加えるならば、彼は生粋のニューヨーカーで、ここが一番大事なのだが、とても“知的”な人物だ。



ジュリア・ロバーツ×ジョージ・クルーニー『マネーモンスター』





ナオミ・ワッツジェシカ・チャスティン同様、世界中から集まった多数のメディア関係者たちによるカメラのフラッシュを一斉に浴びながら、ジョルジオ・アルマーニのオートクチュールドレスを身に纏い、胸元にはショパールの宝石が輝き、颯爽とカンヌのレッドカーペット上を歩く、ジュリア・ロバーツは無敵に素敵だったが、

ジョディ・フォスター(写真上: 衣装はディオール)が監督を務めた今作『マネーモンスター』で共演したジョージ・クルーニーは妻アマル(写真上: 衣装はアトリエ・ヴェルサーチ)を同伴してのカンヌ入りとなったが、かつて、カンヌ映画祭について、ジョージ・クルーニーは次のような名言を残している。

を飲むか、パーティ以外に、カンヌですることがあるかい?
ひっそりしていたら、カンヌに行った意味がない。
―ジョージ・クルーニー


最後になるが、先日、帰宅後、カンヌ映画祭に関する海外ツイートの写真を眺めながら、BGMとして選んだのは、2002年に結成された英国のロックバンド<アークティック・モンキーズ>の、“Come on, come on, come on”のフレーズが印象的な曲“No 1 Party Anthem”だった。もし、先述したパウロ・コエーリョの小説『O vencedor está só』が今後ハリウッドで映画化されるようなことになれば、ぜひとも同バンドの同曲をエンディングで使ってほしいものだ。


全てにおいて、デヴィッド・ボウイのような美しきロックスターとは趣を異にすると前置きしておくが、今年30歳となった同バンドのフロントマン<アレックス・ターナー>の声もまたボウイのように色気があり、そして彼が歌い上げるその字余り的な物語にどこか懐かしさを覚えると同時に、21世紀の今、英国の<レディオヘッド>や<コールドプレイ>の音楽以外で、こういうのも悪くはないなぁ・・・と思う今日この頃だ。とはいえ、俺が近年よく聴いている英国のお気に入りミュージシャンは、ジェイムス・ブレイクアンディ・ストットの2人なのだが、彼らが作り出す、実験的で、独創的で、そして最先端な音の洪水に魅了されている。そして、パーティは続く。ヴァニティ上等!



Come on, come on, come on

Come on, come on, come on

Come on, come on, come on

Before the moment's gone

Number one party anthem

Yeah, yeah



Have a nice weekend!


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現代文化は、まったくもって外見重視である。
セレブたち、ファッション雑誌(そう、『ヴォーグ』もだ)、インターネット、増殖するテレビチャンネル―こうしたイメージ重視の文化は、イメージに自分の外見を合わせようとする脅迫観念を生んだ。



では、私たちは本当に「美」に執着しすぎなのだろうか? 「そんなことはない」と答えたいところではある。自分自身は、人を外見で判断なんかしていないと思いたい。しかし現実には、美人は素敵な恋人を持てるだけでなく、よりよいサーヴィス、よりよい席、よりよい仕事を手に入れている。美しさは機能し、虚栄は意味を持つのだ。

スーザン・アーヴィン

~雑誌『VOGUE NIPPON』(2006年2月号)のコラムより



49年目のサマー・オブ・ラヴ



今年1月10日、1947年生まれのロックスター<デヴィッド・ボウイ>が星になって以降、次から次へと海外の大物ミュージシャン達の訃報(プリンス然り)が世界中を駆け巡り、俺はそれらのニュースに驚くと同時に、色んな意味で、2010年代はとりわけ、時代の「転換期」なのだと、その都度、改めて再認識している。1967年の夏、デヴィッド・ボウイは20歳で、それは「サマー・オブ・ラヴ」と呼ばれた年だが、来年で50年目を迎える。もし来年まだボウイが生きていたならば、70歳の誕生日を迎えたはずだ。



デヴィッド・ボウイの前妻<アンジー>は、自身の著書の中で、当時を次のように振り返っている。以下、一部抜粋して紹介したい。



1966年から1967年にかけて「サマー・オブ・ラヴ」がまっさかりだったスウィンギング・ロンドンにいた私は、セックスに関する社会的許容範囲がどういうものかを、同年代の人たちよりもよく理解していた。私は一夫一婦制と異性愛しか認めない因習的なモラルや法律、慣習的刑罰は、自然と人間愛の精神に反するということを、はっきりと認識していた。それは悪意に満ちたおぞましいでっちあげだった。そんなものに巻きこまれるのはごめんだった。私は自由が欲しかった。デヴィッド・ボウイは、その自由を手に入れようとする私を助けてくれたし、私も彼の手助けをした。そして、私たちはふたりして世界を救ったのだった。

―アンジェラ・ボウイ



あれから約50年。世界中の若者達を当時夢中にさせた音楽「ロック」を牽引してきた40年代生まれのミュージシャン達が、現在では70代となり、1935年生まれのエルヴィス・プレスリーも、1940年生まれのジョン・レノン(ビートルズ)も、1946年生まれのフレディ・マーキュリー(クィーン)も、もうこの世には存在しない。



全部は書かないが、幸い、1941年生まれのボブ・ディランをはじめ、1942年生まれのポール・マッカートニー(ビートルズ)、1943年生まれのミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)、1945年生まれのロッド・スチュワートエリック・クラプトンブライアン・フェリー、1947年生まれのエルトン・ジョンイギー・ポップ、1948年生まれのブライアン・イーノ、そして1949年生まれのブルース・スプリングスティーン等々は現在もすこぶる元気なようだ。



ルイ・ヴィトンのの続き





ところで、アメリカのカリフォルニア州に位置するコーチェラで、野外ロックフェスが始まった1999年、日本でファッション誌『VOGUE NIPPON』(現: VOGUE JAPAN)が創刊された。同誌最新号(2016年6月号)をめくると、ソルヴァ・スンツボ撮影によるオランダ人モデル<Birgit Kos(ビルギット・コス)>を起用したジョルジオ・アルマーニ2016年春夏キャンペーン)の広告(写真: 上)が目に留まった。10代後半の頃から毎月、外国の有名ファッション誌に自然と目を通すようになってから、もうかれこれ20数年以上が経過したが、美の定義はさておき、かつてオスカー・ワイルドは「外見で人を判断しないのは、愚か者である」という名言を残した。


なお、同最新号の付録は、現在ホテルニューオータニ近くで開催中の『ルイ・ヴィトン展』(4月23日~6月19日)に関するそれなのだが、デヴィッド・ボウイを起用し、2013年に放映されたヴェネツィアを舞台にした「」をイメージしたルイ・ヴィトンの
TVコマーシャルがつい昨日のことのように思い出されるが、共演したモデルのアリゾナ・ミューズが同CM中、その物語のワンシーンで見る夢に登場するデヴィッド・ボウイに、俺も夢の中で会ってみたいものだ。





ハリウッド女優



本題に入るが、ブランド広告でよく目にするファッションモデルの、その変遷はさておき、21世紀の今、多くのハリウッド女優がそれに起用されるようになって久しい。本日のブログは、21世紀のハリウッドで活躍している女優に、今回改めて注目してみたい。



とはいえ、1940年生まれ(~70歳台)及び1950年代生まれ(~60歳台)の女優は今回取り上げないが、1960年代生まれ以降(56歳以下~)の女優を100人のみ、年代別に「名前」「出生地」「身長」「生年月日」、そして「私的に記憶に残った作品」(代表作や賞を受賞した作品ではなく、あくまでも記憶に残った作品なので、あしからず)を、エクセルで簡単にまとめてみた。洋画をよく観る人にも観ない人にも、色んな発見があると思う。付け加えるならば、ヴォーグ最新版で特集が組まれていた1972年生まれの女優<ジェニファー・ガーナー>は今回の100人の枠から外したが、彼女の出演作『バレンタインデー』(2010年)は私的に記憶に残っている作品だ。

かつてラヴコメの女王と形容された女優<メグ・ライアン>が今年55歳になるのだから、正に「光陰矢の如し」だ。

今年6月に来日が予定されている女優<ジョディ・フォスター>は、ジョージ・クルーニーを起用した映画『マネーモンスター』で監督を務めている。また、俺が小学生だった80年代、フランスの女優<ソフィー・マルソー>主演の映画『ラ・ブーム』で一目ぼれし、83年の映画『アウトサイダー』以降、アメリカの女優<ダイアン・レイン>に心奪われた。

60年代生まれの女優の中では現在、とりわけ活躍しているのは、ニコール・キッドマンジュリア・ロバーツ、そして先日、今年2度目の来日を果たしたケイト・ブランシェットだろうか。

俺と同じ70年代生まれの女優たちには、不思議と親近感を覚えるわけだが、その筆頭が、六本木ヒルズのジャパンプレミアで目にしたオスカー女優<シャーリーズ・セロン>その人だ。30年前の記憶を辿れば、86年、デヴィッド・ボウイと映画『ラビリンス/魔王の迷宮』で共演した当時15歳だったジェニファー・コネリーのあどけなさは未だ鮮明に覚えているが、彼女は今年でもう46歳だ。そして、2000年の映画『あの頃、ペニーレインと』に出演した当時21歳だった笑顔が素敵な女優<ケイト・ハドソン>は、今月19日に37歳の誕生日を迎えた。付け加えるならば、彼女の母親は今年71歳になる女優<ゴールディ・ホーン>だが、彼女が78年に出演した『ファール・プレイ』を先日初めて視聴したが、古臭い作風であるのは否めなかったとはいえ、意外に楽しめたのも事実だ。



70年代生まれの女優は、アクション映画シリーズで活躍するケイト・ベッキンセイルミラ・ジョヴォヴィッチをはじめ、ユマ・サーマンキャメロン・ディアスグウィネス・パルトロウリヴ・タイラー、そして近年ブレイクしているジェシカ・チャスティンレイチェル・マクアダムス等々、バラエティに富んだ面々が揃っている世代だとも言えよう。

つい10数年前まで、洋画を観る際、ほとんどが俺より年上ばかりだった一方、今では80年代生まれを代表する3人の女優・・・ナタリー・ポートマンアン・ハサウェイスカーレット・ヨハンソンを目にしない年はないくらい、彼女たちはハリウッドで大活躍している。94年の映画『レオン』で、当時13歳だったナタリー・ポートマンは今、オトナの女性へと成長し、ディオールの広告にも起用されるなど、大化けし、今年35歳の誕生日を迎える。この世代では、英国の女優・・・キーラ・ナイトレイキャリー・マリガンがブレイクし、それ以外では、ミシェル・ウィリアムズサラ・ガドンの活躍も顕著だが、フランスの女優・・・エヴァ・グリーンレア・セドゥには今後もさらに注目してみたい。また、エミリー・ブラントが今後アクション女優に固定されそうな感がとても強い。独り言だと前置きしておくが、この80年代世代では、私的にはミステリアスな雰囲気が漂う女優<エヴァ・グリーン>と付き合ってみたい。

この世代って、俺が大学時代に生まれているわけだが、正直、クリステン・スチュワートエマ・ワトソンカーラ・デルヴィーニュも俺の趣味ではない。この世代で一番活躍しているのは、ジェニファー・ローレンスその人だが、敢えて選ぶとするならば、タイプ的にはマーゴット・ロビーエミリー・ラタコウスキーが好みだろうか。また、今後益々の活躍が期待されるのは、現在10代のクロエ・グレース・モレッツちゃんをはじめ、エル・ファニングちゃんとマッケンジー・フォイちゃんの3人だろう。ひとつ言えることは、この世代に限れば、先述した60年代、70年代、80年代生まれとは明らかに何かが違うようにも思えるのだが、その答えはまだ見つかっていない。




最後になるが、英国人作家<マーティン・エイミス>は、サマセット・モーム賞を受賞した処女作『二十歳への時間割』の中で、「20歳は、本当の転換点だということさ。16歳、18歳、21歳―こんなのはどうでもいい里程標」だと記している。





Happy holidays!

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トルストイ以外に、幸福をページの上で踊らせることのできる作家がいるかい?
 呼んでにっこりさせるような幸福を書くというのはおそろしく難しい。小説にせよ人生にせよ、物事がうまく行っている時には「いいぞいいぞ」くらいの感想しか思い浮かばないのさ。休暇先からもらう手紙のようなもん。「楽しい休日を過ごしています」だなんて、そんなもの読みたいと思うか? 私が興味を持っているのは、へヴィなコメディ。こわばった、ファンキーな笑いなんだ。二日酔いの時の笑いのように、痛みを伴っている。



ウラジーミル・ナボコフには、その世間を見下した態度に影響を受けた。中でも『ロリータ』や『絶望』は、大好きな作品だ。フィリップ・ロスの『ポートノイの不満』もそう。ジョセフ・ヘラーも忘れちゃいけない。『何かが起こった』の文体の凄さと言ったら。ディケンズも、文章のリズムに影響を受けたし、PG・ウッドハウスイーヴリン・ウォーにも、むろん影響を受けている。トム・ウルフの言っていることにも頷けなくはない。畢意、主題は社会なんだ。オーウェルは『鯨の腹のなかで』というエッセイで、作家はクジラの中では生きてはゆけない。大海に乗り出してゆかなければならない、と書いた。

マーティン・エイミス~『CUT 』(1990年7月号)のインタヴュー記事より



マーティン・エイミスの小説「LONDON FIELDS」の映画化



1990年5月15日(火)及び16日(水)、デヴィッド・ボウイのコンサート“Sound + Vision”ツアーが東京ドームで開催され、両日共に俺は足を運んだ。生涯忘れることはないであろう、その甘い記憶に関しては、過去何度も書いたので本日は言及しないので、あしからず。そして同年6月19日、ロッキング・オン社から発売されたのが、映画専門誌であるインターナショナル・インタヴュー・マガジン『CUT』の第4号(創刊当初、同誌は偶数月の19日発売)であり、同号の表紙を飾ったのは、他でもない<デヴィッド・ボウイ>その人であり、撮影はハーブ・リッツだった。



先日、『Defected in the House Miami』シリーズの2006年版(3CD)、2007年版(3CD)、2008年版(3CD)、2009年版(3CD)、2010年版(2CD)をBGMに、シャンパンではなく、珍しくカリフォルニア産の高級ワイン<オーパス・ワン>(ヴィンテージ2012)をリーデルのグラスに注ぎ、先述した雑誌をゆっくりと読み返したのだが、44頁と45頁に掲載されていたインタヴュー記事が、デヴィッド・ボウイ(当時43歳)のお気に入り作家のひとり<マーティン・エイミス>のそれだったのだ。エイミスに関しては、このブログで過去何度か取り上げたが、2013年7月24日()付ブログ“David Bowie Experience
”(テーマ: 本・雑誌)の中で彼にフォーカスしたので、興味のある方はどうぞ。



そのインタヴュー記事は、1990年当時、英国人作家<マーティン・エイミス>(当時40歳)が新作『LONDON FIELDS』を刊行した後のインタヴューであり、同小説は、2000年のロンドンを舞台にした、恋愛と地球環境の問題を見事に絡めた作品だと紹介されている。今年で、あれから早26年もの歳月が経過したことになるが、同小説を基に、アンバー・ハード(29歳/*今月22日に30歳の誕生日を迎える)をはじめ、カーラ・デルヴィーニュちゃん(23歳)やリリー・コール(27歳)等々が出演で、映画化され、アンバー・ハードの現夫<ジョニー・デップ>がカメオ出演している。日本公開は未定だが、アメリカでは今年公開されるようだ。



そう、ギャスパー・ノエの新作『LOVE 3D』の感想を今回綴る予定だったが、映画について、他にも色々と書きたいことがあったので急遽内容を変更した。話を戻すが、同作品のパンフレットに掲載された世界各国を代表する有名紙のコメントに目を通していると、「メランコリー(憂鬱)、メランコリック(物思いに沈むさま。憂鬱であるさま。)」という形容がとりわけ目に留まった。「失われた愛のメランコリーに取り憑かれた内面的映画」だとか、「美しく、スリリングで、メランコリック。生々しい性的欲望と、情念的な感情が一つに溶け合っている」だとか、「至上のメランコリーの圧倒的体験」だと、使い古された言葉で表現されていた。



スプリング・ブレイカーズ



ところで今週、銀座のワインバーで、ファッションピープルの女の子達と久々に会食し、ロゼ・シャンパン片手に、(ファッションでも音楽でもない)映画の話をしたのだが、

フロリダを舞台にしたハーモニー・コリン監督作『スプリング・ブレイカーズ』(2012年・米)が話題に上った際、同作品に出演しているのは、セレーナ・ゴメスちゃんやヴァネッサ・ハジェンズちゃんだと前置きしておくが、20代の若い女の子が「エマ・ワトソン、可愛いですよね」とか、「パリス・ヒルトン」や「リンジー・ローハン」の話題を口にするので、俺は当初、意に介さなかったのだが、会話が数分間も噛み合わないので、俺はロゼ・シャンパンをおかわりした際、ようやく彼女の勘違いに気付いたのだ(笑)。



彼女が話していたのは、ビヴァリーヒルズを舞台にしたソフィア・コッポラ監督作『ブリングリング』(2013年・米)のことだったのだ。両作品が似ていないとは言わないが、とってもアメリカ的な作品であるのは間違いないが、そんな流れで、今週末『スプリング・ブレイカーズ』のDVDを再見したわけだ(オススメはしない)が、同作品の続編が、俺のお気に入り英国人作家<アーヴィン・ウェルシュ>の脚本で、映画化されることが決定してから数年が経ったことをふと思い出したとはいえ、その後どうなったのだろうか?

アメリカにおける大学生の休み事情はさておき、ニューヨークのセントラルパークではが満開となり、


ニューヨークの五番街に位置する超高級デパート<バーグドルフ・グッドマン>のツイートのチューリップの写真はそれぞれにとても美しく、
RTした。



第69回カンヌ国際映画祭



東京では、今月29日(金・祝)から5月5日(木・祝)までの7日間、今年で16回目を迎えた恒例の「イタリア映画祭」が有楽町朝日ホール(有楽町マリオン)で開催される一方、

フランスのカンヌでは、「第69回カンヌ国際映画祭」(5月11日~22日)が開催される。同映画祭に関しては、改めて来月ブログで取り上げる予定だが、今年の出品作品は、私的には気になる作品が数多くて、カンヌのレッドカーペット上に登場する華やかなドレスを身に纏った女優陣以上に、とても興味深い映画祭となりそうだ。



全部は書かないが、例えば、ポール・ヴァーホーヴェン監督作『Elle(原題)』をはじめ、ジム・ジャームッシュ監督作『Paterson(原題)』、グザヴィエ・ドラン監督作『Juste la fin du monde(原題)』、ペドロ・アルモドバル監督作『Julieta(原題)』、ショーン・ペン監督作『The Last Face(原題)』、ジョディ・フォスター監督作『マネーモンスター』、マット・ロス監督作『Captain Fantastic(原題)』等々、派手さこそないが、今年は私的に興味深い監督陣が集まったカンヌだとも言えよう。ジョディ・フォスターに、(アメリカン・サイコに端役で出演していた)マット・ロス。そしてショーン・ペンが監督を務めた同作品では、シャーリーズ・セロンとハビエル・バルデムが共演しているが、ショーン・ペンはシャーリーズ・セロンとは別れ、現在に至っているゆえ、カンヌには同伴するのか、少しばかり気になるところだ。



先述した7作品も気になるところだが、今回私的に最も気になる作品が、ニコラス・ウィンディング・レフン監督作『The Neon Demon(原題)』なのだ。主演にエル・ファニングを配し、アビー・リー・カーショウ、キアヌ・リーヴス、クリスティーナ・ヘンドリックス等々、興味深いキャスティングなのだが、クリスティーナ・ヘンドリックスに関しては、2012年4月23日()付ブログ“Oh My Love
”(テーマ: 映画)で、ニコラス・ウィンディング・レフン監督作『ドライヴ』の感想を綴った際、彼女も取り上げたので、興味がある方はどうぞ。



なお、エル・ファニングに関しては、日曜日の早朝、イマジカBSで放映された(俺好みの、ジョン・アーヴィングの小説『未亡人の一年』を原作にした)トッド・ウィリアムズ監督作『ドア・イン・ザ・フロア』(2004年・米)で、

キム・ベイシンガー
ミミ・ロジャーストム・クルーズの元妻/写真上:
1987)等と共に出演しており、2004年公開当時のエル・ファニングの年齢は6歳だった。彼女が主演を務める最新作『The Neon Demon』は、アメリカのモデル業界を舞台にしたホラー作品になっているが、ニコラス・ウィンディング・レフン監督独特の映像美とB級感が今からとても楽しみだ。



最後になるが、昨日、映画『スポットライト 世紀のスクープ』のPRで初来日を果たしたカナダの美人女優<レイチェル・マクアダムス>が、有楽町の日劇で舞台挨拶に登壇したが、「2015年の世界の映画収入が4兆円を突破」したことも付け加えておきたい。



Have a wonderful night!


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