2013年10月末から開催される、劇団阿彌/ラナースグループ合同公演に先駆け、事前にSkypeセッションを行っています。

互いへの理解を深めていくための試みでもあります。


2013.6.29<その1>


劇団阿彌主宰 岡村洋二郎:以下、岡村

ラナースグループ主宰、演出家 フィリップ・ザリリ:以下、Z

           劇作家 ケイティ・オライリー:以下:K

 Told by the Windを読んだ感想について




岡村:2人の男女の出会い、すれ違ったままではあるが、非常に深い、しかしほのかな出会いが描かれていますね。ベケット的でありながら、ベケットよりは開放感、空間の広がりがあって面白い。

台本に使われている特徴的な言葉として、「足に露」dew on feetというのが西洋的で日本との違いが出ていると思います。


K:露という表現はたぶんお能(野々宮)からとりました。


岡村:例えば日本の場合の表現は「袖に露」Dew on sleeveというのが あります。

幽霊だから足がない、着物の袖が長く草の露(自然の露)がついてしまうということでもありますが、これは涙の意(悲しみ、内面的なもの)も含んでおり、自然と人間の感情が融合しているのです。

一方でこの世(現世)に限定されている部分が限定的であり、西洋的であると感じました。


K:西洋人にとっては足のあるなしで人間か幽霊なのかは区別しません。


Z:トレーニングにおいて「足を感じ取りなさい」とよく言います。そうすると内面に中心ができて表現力が出てきます。


岡村:同感です。自分の体重を足裏で感じられると相手も感じやすくなります。

toldの話に戻りますが)完全に違う場所にいる2人が思い出を通してすれ違ったまま交流しているのが素晴らしい。 


Z:インターネットの世界のような?


岡村:インターネットよりも孤独だと思います。

野々宮も救いがたい孤独、孤絶の悲しみを描いています。

ベケットを否定しているわけではないのですがベケットの孤独からは解放されたいと思っています。孤独でありながら過去の思い出の中で豊かに交流しているような。大げさでなく抑制された構造の中での交流が面白いですね。



 過去に上演された「Told by the wind」を観た客の反応について



K:チャプターアーツセンターでは詩的な批評が多かったです。

  批評家は普通自分の身体とか呼吸については言及しないものですが、その舞台を見て自分の

  体や呼吸がどう変化したのかが書かれていました。

一般客では心の深いところに響いて、自分でもよくわからない何かに突き動かされて

いている女性もいました。親戚の17歳の子も素晴らしいと言ってくれました。


  焦点の合った凝縮された熱い時間だったので若者にも響いたのではないでしょうか。


ポルトガルの屋外で上演した際も、小さな子供たちでも最初から終わりまで飽きることなく集中してずっと観ていました。



Z:太田省吾さんの「水の駅」を2004年に上演したのですが、西洋の観客は動きのある舞台を見慣れています。そんな中緩慢な動きに出会うことで、忙しい日常の時間から解放される喜びを感じた客もいました。

この「水の駅」を観ていた観客がいるのでToldの方の反応は特に驚きません。



岡村:遅延させると時間から外れることができます。一瞬一瞬を生きき

   ることができる。阿彌ではスローモーションではなく、日常的な時間を外れるための

   テンポを大事にしています。


   「水の駅」の最初に出てくる少女(を演じる安藤さん)は唯一、その「遅延」の中で

   動いていたと思います。他の人は動きの再現になってしまっており、その場を生きて

   いるわけではない。太田さんはあまり演技指導ができる方ではなかったので、

   俳優への指導はほとんどなかったのではないでしょうか。