在るモノが無いという不都合

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いつもそこに存在するものが「存在しない」または「消えた」或いは「移動してそのまま」だったことはありませんでしょうか。
私は最近、ソレをしまして、かなり不便な状況に陥っております。
自分でやっていることとはいえ、しかもそれを直しもせずに放置していることによる自分自身の生活サイクルの不便さ。

自分で言うのもなんですが、かなり「理不尽」ですw


それは「時計」。

私、かなり前になりますがダイソーで同じ「ミニ掛け時計」を6つばかし購入いたしまして。
壁の目に付く所あちこちに掛けておけば、時間を確認するのに便利とばかり、購入し、実際に「目に付く所」あっちゃこっちゃにセットいたしまして。
もう数年前になります。
単3電池1本で動き、半年~1年ほど持ちます。
「これは便利」
とばかり使っていたのですが、当然1年くらい経過すると電池切れになる時計が頻発。

掛けてある場所は「玄関前」「台所」「風呂場の鏡の横」「トイレ」「パソコンデスク」などなど。
当然ながらそのうち電池の消耗と共に時計が遅れたりします。
最初のうちはその都度時刻を直したり電池を入れ替えたりしていたのですが、ある時(最近ですな)忙しくなったりズボラになったりと理由は様々ですが、電池の入れ替えをしなくなりました。
すると、当然ながら時計は動かなくなっている。
そのまま壁に掛けておいても何なんで、取り外してリビングのテーブルの上に置く。
そしてまた、他の時計が動かなくなると、同じようにテーブルの上に並べておく。
これは「いつか(つか、早いうちに)電池を入れて同じところに戻しておく」ための、自分への催促のためにやった行為ですが。
ところが面倒が先立ち一向に電池を入れ替えて掛け戻さない。

朝にトイレに行く。
用を足しながら「時計のあった場所」に目が行く。
・・・ない。
ああ、そうか、電池切れしたんで外しておいたんだな。後で(というか、帰って来てから)電池を入れて元に戻そう。
そしてまた帰って来てから用を足しにトイレに入る。
壁を見る。時計が無い。


・・・
 

嗚呼、いつまでこれを書き連ねていけばいいんだろうかw
そんなこんなで、未だに壁の一点は、空虚にピンが刺さったままの白い壁が広がっております。
そう、そこに「今まで在った」のに「存在しない」ところに無意識に目が行ってしまうのです。
そりゃね、長い間そうやって同じところに存在していたんだもの。
クセが出来上がっているんですな。
「だったら早く元に戻せば(以下略」になるでしょうが、そこはそれ(ナンダソノハンノウワ
一つは単3電池のしまってある所からそれを取り出すのがとても面倒(だと思い込んでるもう一人の私)。
もうひとつは「そろそろもう少し良い時計を買いなおそうか」という、使えるのに捨てちまおうとしている太っ腹な私。

ほかにも「不都合な」状況に陥る事がある。
例えば台所の定位置に入れてあるハサミ
それがないと「困る」のにも拘らず、たまに変な所に置いてしまう。
するとそれだけで「?ん?ハサミはどこに消えた?」となってしまう。
例えばスマホ
いつも帰ってきたらソファの横に転がっている充電コードに差し込むのを慣わしにしているのだが、たまに玄関前の靴入れ台の上に置きっ放しにしてしまい「スマホはどこだ、どこに置いた?」と探し回る羽目に。別にそんなに広い家でもないのに探し回って、最後の最後にピント閃きが来て「ああ、そういや、玄関前に置いたな」と、事なきを得ることしばしば。
例えば財布
「あ、酒が切れそうだな、アコレでいつもの・・・ん?財布が無い」
そうやっていつまでもあちこち探しまわっていればいいんだよ、な、天の声。

ともかく、「いつも通りのところにいつも通り格納しておけばそんなことにはならない」のに、「いつもと違う事をしていつもよりも時間をかけて探し回る」愚かな行為をこれでもかと行う事は愚の骨頂。
人は1日のうち、何かを探すのに約15分ほど費やしている」などとどこかの雑誌に書かれていましたが、まだ私は少ない方でしょうね(ジマンニナラン
そう、ちゃんと「元通り」にしておけばそんな無駄な時間は金輪際使わずに済むことなのでしょうけど。
「魔が差した」
ちがうな(笑)

そして「いつも存在すると思っているモノが存在しない」感の、あのなんとも言いようのない不安定感ってものも感じる。
独り者なので自分以外動かすような人はいない(ハズ・怖!)。
だからもし探し物がその場にないとしたならば、自分以外「犯人」は存在しないんだが。

 

 


・・・ああ、いた。いました。
「酔っぱらってる自分」という「自分以外」の犯人がwww