草津宿を出ます。
中山道と合流しましたがタイトルは東海道に代表してもらうことにします。当時の中山道を旅してきた人たちも草津から京までは東海道を歩いているという感覚だったのでしょうか?
「右東海道」の道標。
素敵な洋館と煉瓦塀。
神社の参道の赤橋
巳午年の石碑も気になりますが奥の穴の開いた石は何でしょうか?
舊??川橋?礎石。ググってみると舊(旧)伯母川橋梁礎石なのだそうです。「母」だとは。篆書、難しすぎます。
草津市管工事工業組合の散水栓にも市の蓋と同じように市章が付いています。
「信」のようですが正体不明です。右下にちらっと見えている赤いプレートは大阪ガス。
右や?せ道。
案内板によれば「やばせ道」と読むらしいです。変体仮名の「は」ですね。これも難しい。
琺瑯看板が欲しい気もしますが「はりがみお断り」。
みずから舌を差し出す鹿っぽい牛。健気すぎる。哀れ。
年季の入った黄色標識
珍しいものではありませんが穴の配置が楽しい空気弁蓋。
結構お金がかかっていそうな案内図
消火用の連結送水管ではなく農業用水の送水管工事。デンえもんの「デン」は電気ではなく田んぼの「田」。
過激派の看板かと思いました。
いい蓋!蛸足地紋の逓信省電話蓋
言扁が堪りません。
電話線専用の橋。珍しいものを見ました。
やはり「東海道」としての案内板。中山道は草津が始点(又は終点)なのでしょうか?
電電公社のT字地紋も一応カメラに収めつつ京へ向かいます。
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