京都市蹴上にある発電所の建物です。日本で明治24年(1891年)に日本で最初の事業用水力発電所として創業した京都市営の発電所の二期工事で完成した建物(明治45年 1912年完成)らしいです。以前来た時も思ったのですが、この壁の六芒星は京都市内で謎蓋としていたあの蓋の紋章と似ていると考えました。
百万遍交差点にあるNo.1蓋と知恩院付近にある縁石付きの蓋です。二枚組の蓋もどこかにあった気がするのですがハードディスク内から見つけることができませんでした。
Wikiで京都市電気局を調べてみると「第二期発電所の完成後、京都市は本格的に市内の配電事業を始め、京都電燈との競争の末、おおむね三条通を境に北を京都市が、南を京都電燈が供給するという協定が1914年(大正3年)に結ばれた。」旨の記述があります。
で、上の二枚の蓋の設置場所ですが、確かに百万遍は三条通の北にありますが知恩院は三条と四条の中間付近にありちょっと微妙ですね。協定前の設置なのか、おおむね三条通の範囲に入っていたと考えてもよいのでしょうか?
一方の京都電燈ですが、この三枚は寺町三条付近、二年坂付近(四条と五条の間)中之町(三条通)にありました。
うーん微妙ですね。そもそも三条あたりを歩くことが多いせいもあるかもしれません。もう少し広範囲に歩いてみないといけないようです。
国会図書館のデジタルコレクションに京都市営電気事業沿革誌(1933年)が収載されているのですが送電事業に関する記述は少なそうです。特別高圧地中電線路の地図を転載しますが百万遍の交差点も知恩院の蓋のあった場所もこの路線からは若干外れているので配電の蓋なのかもしれません。この図の路線をたどれば特高とでも書かれた蓋とか、中がつぶれていなくて発電所の壁のものにもっと近い紋章の蓋が見つかるかも知れません。