筋整流法 池袋道場のブログ

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対処法は、既に出てる結果にアプローチする。


善かれ悪しかれ、次元が固定される。


何か問題があるから、その症状、その結果なのだから、


否定されるべき結果を肯定してしまう。


問題の継続、さらには悪化に貢献してしまう。


その症状は、既にしている事の結果だ。


何かしているから、そうなっているのだ。


結果をどうする、こうするではなく、


している事を止めないと。


ここで困るのが、


既にしている事だから、本人に判らない。


何かしらしているのに、


していることが判らない。


そこで、何をしているかが大事と思うでしょ?


それは人間らしく、予め分かってたい、


知ってたいだけで、


これまた人間らしく、


分かりました、出来ませんとなるだけだ。


止めれない。


何か問題が出てるなら、


それが何であれ、


分からなくていいから、


何かしている実感無くてもいいから、


何かしているんだから、止めるだけ!って


発想しないと。


在る通りになっているのだから、


在るだけでなく、


何かしているって在り方をしている。


何をどうしても、 在るままでない というだけだ。


何かしている事自体が問題なのに、


その上に更に何かしなくちゃ ってなってしまう。


それは、問題を封印して、


次元を下げる移行だ。


次元が上がる移行を促さないと。


次元が上がれば、問題も問題じゃなくなる。


別の問題が浮き上がってきたりもするが、


それまた、より微妙に、より根本的に、


何かしているのだ。


既にしている前の、既にしていること。


封印の解除段階だ。


何かするは、それが何であれ、


在る の否定だ。


それにより、


在る以下になる。


どうしたって、下げることしか出来ない。


にもかかわらず、何かせずには居れない。


何かする罪 の罰が、症状だ。


罰を誤魔化しても、症状は消えない。


罰に対処しても、


何かする罪を、水面下で続けるのだから。


露骨に罰を受ける方が、


罪を認めやすい。消えやすい。


その人のレベルとして、


どこまでの罪を、罰として捉えられるだろうか?


どこまでの 何かしている を、


止めれるのだろう。


罰を罰として捉えてないということは、


つまりは、何かしちゃっている事を、


罪として認めてない。


罰が教えてくれているのに、


何かしているぞ って。


事実、止めるだけ。


その意味を、分かろうが、知りようが、


止めない。


まず、止めれると、


在り様が変わるので、


その後に、それまで何をしていたか?が解る。


概念的にではなく。


何が止んだか?


病むのが止んだら。


何かするのが、問題で、罪で、


逆にいうと、


ただ、在れない問題だ。


在る ことが、答えで、謎で、


ナゾで居れない問題が、


ミステリーとして、


続いている、、、

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