自分のビジネスを構築するには、過去の上司の言葉を鵜呑みにしない事。 | キンジの自分軸哲学

キンジの自分軸哲学

~自分軸を掘り下げて、リアリティに、付加価値にデザインする為のブログ~

 

 

 

新年、明けましておめでとう御座います!!

 

今年も、自分軸哲学とキンジこと金山 徳允を、

よろしくお願い致します

 

 

 

・・・・・・・あ、

さて、

 

 

どもども。

 

キンジです。

 

 

 

自分のビジネスって言うのは、

勿論、

 

自分軸にての、

仕事でもあり、ビジネスの事を、

指し表すものではある事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

だからこそ言いますが、

 

そこには、

勿論、

 

クライアントが存在する事にはなりますが・・・・・・、

 

そのクライアントって言うのは、

ただ単に、

 

仕掛けられ側だけを、指し表す訳ではありませんし、

 

仕掛け側、仕掛けられ側、

双方の立ち位置でもあり、視点が存在した上で、

 

そこには・・・・・・結局は、

 

上下関係の、上下共に、

含まれてくるが故に、

 

そのクライアントって言うのは、

 

自分軸で繋がったからこそ、

 

運命共同体とか、同志のような関係性に、

なって行くものとは言える事でしょう・・・・・・・。

 

 

 

 

が、

だからが故に、

 

その選別方法には、

 

それなりの、敷居ってものが、

必須になると同時に、

 

それなりの、納得感ってものもまた、

そこには必要不可欠とはなって行くものなのです。

 

 

 

 

それって言うのは、

 

その選別方法ってものが、

 

全ての測りになると言っても、

過言では無いのですが、

 

その測りは、結局は、

 

自分自身をまず、測りにかけて行く事が、

望ましいものとはなるものなのです・・・・・・!!

 

 

 

 

 

要するに、

 

「在りたい自分。」ってものに、

当てはまるものではありますが、

 

その、

 

「在りたい自分。」ってものを、

まず、体現する事によって、

 

今度は、

その、

 

「在りたい自分。」ってものと、

人との関係性の科学反応において、

 

そこには、

 

アート性でもあり、ゲーム性でもあり、

世界観における、

 

代理戦争のような、戦いが起こって行くものとはなる事でしょう

 

 

 

 

その「戦い。」は、

結局は、

 

「在りたい自分。」と言う、

 

表現における、

叩き台を持ってして、

 

他人との関係性でも在り、

他人の、

「在りたい自分。」との、

せめぎ合いの中で、

 

自己実現でもあり、自己超越ってものを、

模索して行く・・・・・・って事と、

 

結局は、

同意な事ではあるのでしょうね。

 

 

 

まただからこそ、

 

「在りたい自分。」ってものが、

存在しない事には、

中々、

 

自己実現とか、自己超越ってものが、

 

他人軸では無く、自分軸としてのイメージが、

湧き上がり難いものでもあり、

 

それは結果的に、

 

自分自身の習慣でもあり、

過去のコンテキストまで、幅広く展開していけるような・・・・・・・、

 

自分自身の血肉とは、

なって行かない側面もまた、

 

そこに存在しているであろう、問題意識とはなっている事ではありますね。

 

 

 

だからこそ、

 

他人軸では無く、自分軸であり、

 

そこに必要となってくるのは、

 

いきなり、

自己実現とか、自己超越では無く、

 

ただ単に、

 

素朴でもあり、今までの経験に、

必ず関連が必須になると同時に、

 

それが長く、尚且つ、深みが存在していればいる程、

より、権威付けが成されて行くであろう、

 

「在りたい自分。」なのですし、

 

「在りたい自分。」だから良いものとは、

言えるのでしょう・・・・・!!

 

 

 

 

それを持ってして、

結局は、

 

自分自身以外の他者が、

決して消え去って行かないであろう・・・・・・・、

 

この世の中でもあり、

現実を、

 

その他者と、関わるのであれば、

 

出来うる限りは、

より良い関係性を育んで、

 

命が尽き果てるまでは、

 

人生を、邁進して行きたいものではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

即ち、

 

他人軸も、自分軸も、

概念的に言えば、

同じものとも言えるだけに・・・・・・・、

 

そこには、

 

自分自身のコンテキスト(背景)でもあり、

別々の個人と言う意味での、

 

肉体的個別性を持ってして、

 

アート性でもあり、ゲーム性でもあり、

世界観のせめぎ合いによる、

代理戦争(たたかい)を、行う事により、

 

自分軸哲学を、構築して行くものではあります。

 

 

 

 

上記の事柄は、

結局は、

 

俯瞰して、人事として見たが故に、

 

他人軸も、自分軸も、

概念的に言えば、

 

「同じもの。」って言えるだけでもあり、

 

そこに、

 

当事者=表現者でもあり、プレイヤーとして参加した上では、

結局は、

 

他人軸も、自分軸も、

 

たとえ、

 

概念的に言っても同じなんて、

言ってられるもんじゃあ無いものとなるだろうし・・・・・・、

 

それでこそ、

 

代理戦争=闘争本能を、

正統に活用して行く術とはなって行くものなのですよ・・・・・・!!

 

 

 

 

要するに、

 

人が、個人視点に立ち返ると、

必ず付き纏う問題意識の一つとなるのが、

 

個人の闘争本能でもあり、

 

それは結局は、

 

突き詰めて行けば、

 

闘争本能=生存本能と言っても、

過言では無いだろうし・・・・・・、

 

だからが故に、

 

突き詰めて行けば、

 

闘争本能を無くしてしまう意識ってものは、

死に直結する方法論であると言っても、

 

ほぼほぼ、間違いが無いものとはなるのです。

 

 

 

 

・・・・・・・・が、

だからが故に、

 

そこには、

 

「覚悟。」ってものが、

必要となると同時に、

 

「覚悟。」だけじゃあ、

中々、

 

自ら、自殺する事さえも、

人間、出来るものじゃあ無い事でしょう。

 

 

 

 

即ち、

そこには、

 

死地に向かいながらも、長寿を全うする「在り方。」ってものが、

求められるものでもあり、

 

死地に向かうのであれば、

 

自らの意思で、向かう「在り方。」ってものが、

求められるものだと言う事です。

 

 

 

 

また、

 

死地に向かうだけでも無く、

 

死地を回避する為にもまた、

 

長寿を全うする「在り方。」ってものが、

求められるものでもあり、

 

その為には、

 

自分自身の死地ってものを、

自分自身で制定する必要があると同時に、

 

そこには、

ある程度の、臨機応変さ、

即ち、

 

応用性・流用性ってものが、

必要不可欠となるでしょうから、

 

あまり、

 

前のめり過ぎなスタンスってものは、

相応しくは無いものとも、

なって行くのでしょうね。

 

 

 

 

また、

だからが故に、

 

ボチボチするとか、程々にするって事が、

その裁量性の為には、必須となり、

 

その、

 

ボチボチするとか、程々にする為にこそ、

 

頭を働かせて、

最低限の能率性を、確保する方が、

 

何かと、都合が良いものとはなりますが、

 

長い人生、毎回毎回、

 

効率良く生きれるものじゃあ、無い事でしょう・・・・・・(笑)。

 

 

 

 

即ち、

たとえ、

 

ボチボチするとか、程々にするって意識の元であったとしても、

 

そこには、

あまり、

 

能率を意識する場合でも無い場面ってものにも、

 

誰しもが、

遭遇する可能性があるでしょうし・・・・・・・、

 

ある程度の年齢を経た、

 

大人になった我々にとっては、

 

誰しもが、

 

そのような機会に、巡り合っているのもまた、

必然ではあるのでしょうね。

 

 

 

 

けれども、

 

そこでの、

ボチボチするとか、程々にするって意識は、

結果的に、

 

自分自身の身を助ける、

裁量性を、

行動ベースにて、引き出してくれるものとなり、

 

ボチボチするとか、程々にするって意識であったとしても、

 

その行動自体は、

結果的に、

 

しんどい経験とか、逆境の経験とはなるでしょうが、

 

その、

しんどい経験値とか、逆境の経験値自体が、

結局は、

 

「自分自身の楽さ。」を、

生み出す代物とはなる事なのでしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

即ち、

 

その、

しんどい経験とか、逆境の経験ってものは、

結局は、

 

個人個人のものでもあり、

 

客観的に見た、しんどさよりかは・・・・・・・、

 

主観的に見た、しんどさの方が、

より、

 

「自分自身の楽さ。」を、

引き出して行くものとはなるのでしょうし、

 

客観的な、しんどさの表現ってものは、

結局は、

 

主観的な、しんどさの表現力が足らない状態とも言えるだろうし、

 

それはまた、

 

しんどさだけでも無く、

 

主観的な、表現力全般にも関わってくるものでもあり、

 

その表現力に必要になってくるのは、

 

アート性でもあり、ゲーム性でもあり、

世界観といった様な・・・・・・・・、

 

エンタメ的、または、芸術的な、

引き出しの多さでもあり、

 

表現してみた数によって、

その表現力ってものに、違いが出てくるものとはなるのでしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

要するに、

そこには、

 

「ポリシー。」ってものも、

必要とはなりますが、

 

その土台となるのは、

 

自分自身が、見たり聞いたり、身近に関わってきたであろう、

 

現実的な、芸術性でもあり、

 

現実的な、エンタメ性となって行くものなのでしょう。

 

 

 

 

即ち、

 

芸術性でもあり、エンタメ性の方にこそ、

 

勉強って意識が必要とも言えるだろうし、

 

そこは、

 

アート性とか、ゲーム性とか、

世界観といった様な、

 

あらゆる要素に、影響力を発揮してしまう領域であるが故に、

 

大人になった個人としては、

 

ある種の、保守性ってものもまた、

必要にはなってくるものではあります。

 

 

 

それは結果的に、

 

「ポリシー。」と呼ばれるものとはなるのでしょうが、

 

勿論、

 

「保守性。」ってものが、

第一にくると同時に、

 

その各々が、

 

自分自身の裁量を発揮して、

新しい領域を、開拓しても良いものとはなるだろうし、

 

僕自身を例にしても、

 

保守性は保守性でも、

 

具体的にしたり、細部まで詳細に見てみれば、

 

全く同じことを、繰り返す行為は、

避けて行く試みを持ってして、

 

「保守性。」とか、「ポリシー。」と、

認識している次第ではあります。

 

 

 

 

即ち、

大枠で言えば、

 

同じアート性でもあり、

同じゲーム性でもあり、

同じ世界観とは言えますが・・・・・・・・、

 

それを応用・流用した上では、

 

新しいアート性でもあり、

新しいゲーム性でもあり、

新しい世界観と認識出来うる、

 

自分自身の納得を引き出す為の、

 

細かい拘り=細かい変化を為すって事を、自分自身に課しているってわけですね。

 

 

 

 

まぁ、

上記で、

 

応用・流用とは言いましたが、

 

その応用・流用は、

既に、

 

当たり前の領域でもあり、

無為自然の領域にて、行われるものでもあり、

 

日々の経験を通した、

表現によって、

 

それは為されるものとはなっています。

 

 

 

また、

 

その保守的な、

エンタメ性でもあり、芸術性にて、

 

小さな変化を、意識的に行う事により、

 

そこから、

 

新たな充実感でもあり、新たな楽しさでもあり、

新たなやりがいとなりうる、しんどさを(苦笑)、

引き出す事が出来れば、

後は、

 

その応用・流用を持ってして、

 

それを意識的に行えば、

 

その影響力は、計り知れないものとなるだろうし、

 

上記の三つの概念は、

 

どれを持ってしても、

 

自分自身に、精神的豊さと言う名の実りを、

もたらす事にはなるでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

それ即ち、

 

「自分のビジネスを構築するには、過去の上司の言葉を鵜呑みにしない事。」

なのです。

 

 

 

部分的、

または、

局所的には、

 

「人を真似る。」ってことは、

役に立つ側面はある事でしょう。

 

 

 

・・・・・・が、

 

「真似る。」って事は、

結局は、

 

そのエンタメ性でもあり、芸術性にて、

発揮する事が望ましいものでもあり、

 

また結局は、

ただ単に、

 

勉強的に真似るって行為は、

「なんか違う。」って思う次第でもありますし、

 

それを、

自分のビジネスとか、自分の仕事とか言ってみた所で、

 

代わりはいくらでもいるって不安もまた、

消える事は無いのでしょうし、

 

「それはそれで良い。」のでしょうね。

 

 

 

何よりも、

 

代わりが効く方が、

 

ビジネスとしては、発展し易く、

廃れ難いとも言えるでしょうけど、

 

自分自身の生命でもあり、

生き様でもあり、

行動如何を、

表現とした時、

 

それを芸術性とかゲーム性として、

考察して行くと、

 

そこには、

 

「生きがい。」とか、

「生きてる証。」とか、

「生きた証。」ってものを、欲するものでもありますし、

 

その為には、

 

エンタメ性とか、芸術性が、豊な方が、

何かと、強みってものが、出来上がるものでもありますし・・・・・・・、

 

そもそもとして、

 

そのエンタメ性とか、芸術性の、

代理戦争ってものは、

 

自分自身も、突き詰めて行けば、

望む側面がありますし、

 

情報過多な現代においては、

何の理由もなしに、

 

その代理戦争に、巻き込まれるのもまた、

「当たり前。」な状態であるとも言えます。

 

 

 

だからこそ、

 

それを本物の戦争にはしない試みってものが、

必須となると同時に、

 

自分自身の、生存本能=闘争本能にも、

戦いの場を用意して、

 

納得=自分自身との折り合いを、

付けて行く必要性もまた、

無きにしも非ずなのです・・・・・・・・!!

 

 

 

 

その代理戦争にこそ、

 

芸術性とか、エンタメ性ってものが、

相応しいものとなるでしょうし、

 

その納得度合いを持ってして、

 

個人的な、表現力の戦いを、

紡ぎ上げて行けばよろしいものなのでしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

まぁ、

勿論、

 

その芸術性とか、エンタメ性の、

表現力の戦いには、

 

ゲーム性ってものもまた、

含まれるものとはなるのでしょうが。

 

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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