理解するとは、枠がありきで初めて成り立つ。 | キンジの自分軸哲学

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どもども。

 

キンジです。

 

 

 

理解するって言うと、

まぁ、

単純に、目先の物事くらいなら、

簡単に、

「理解した。」って言っても、

そない語弊は出ないことでしょうが、

 

まぁ〜〜〜〜〜、

大抵の場合の、「理解する。」

ってことは、

基本的に、勘違いが混ざっているものでしょうし、

 

また、

 

勘違いが混ざっていて初めて、

「理解した。」って表現するのが、

人との不要な摩擦を、避ける術ではあることでしょう・・・・・。

 

 

 

 

要するに、

 

「理解した。」ならまだしも、

「腑に落ちる。」ってことの、

重要性と危険性の、両方のことを、言いたいのではありますが・・・・・、

 

先に宣言しておきますが、

 

何でもかんでも、

「腑に落ちる。」必要なんてなくて、

 

大切なのは、

「自分自身の趣向」に沿って、腑に落ちることが、

肝要だと言いたいのです・・・・・!!

 

 

 

だからこそ、

 

その前提に立って見ると、

理解するってことは、枠組でもあり、

構造が存在している中で、

その枠組みでもあり、構造を意識にのぼらせて初めて、

「理解した。」って宣言なり、

考察なりする方が、

受け取る人にとっても、

負担になり難い側面も存在するってことです。

 

 

 

また、

 

「自分の趣向」に沿っているという、

確信があるような事柄であったとしても、

枠組みでもあり、構造的にも、

段階を踏んで、「理解する。」ってことが、

大事になるでしょうし、

 

またまた、

それこそが、

「腑に落とす。」為の、プロセスでもあるのです・・・・・!!

 

 

 

「理解する。」為には、

経験の数が、必ず必要にはなるでしょうし、

その経験による、感覚値ってものが、

理解の為の、構造とはなっているでしょうから、

 

ある意味、

 

言葉で伝える場合や、言語化する場合だと、

 

ど〜〜〜〜〜しても、

 

「外側からの理解。」ってことには、なってしまうことでしょう。

 

 

 

ま、それでいいでしょうし、

それが自然なのでしょうが・・・・(苦笑)、

 

だからこそ、

 

その、自分自身が得た智慧を、

余すことなく、伝える為にも、

同じ枠組みでもあり、同じ構造を、踏まえてもらいたいって想いも、

存在しているってことなのです・・・・・・!!

 

 

 

 

まぁ、

 

その枠組みでもあり、構造には、

自分自身の趣向が、混ざり込んでいるでしょうから、

 

尚更、

 

「勝手に端折られちゃあこまる。」

ってことでもあるのですが・・・・・(笑)、

 

そこは、まぁ、

各自の趣向で代用して、

使い方を変化させれば良いとでも言っておきましょうか・・・・(^^)

 

 

 

それらを踏まえて、

今回は、

 

理解するとは、枠がありきで初めて成り立つ。

 

ってテーマについて、考察してみましたよ〜(^^)/

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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