
今日からブログはじめます!
ブログをはじめるにあたり、何を書こうか考えた末、私の人生の半分以上を過ごしている、ニューヨークに渡った最初の日のことを書こうと思います。
私は、19歳で単身ニューヨークに渡りました。
荷物はスーツケース1つ。
お守りは祖父からのお手紙。
ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に降り立った日のことは、日が経つのと比例して微笑ましい思い出に変わっています。
でも、あの日の気持ちはずっと忘れられないでしょう。
話を戻します。
ニューヨークで暮らせる!
私は、心にありったけの希望と、これでもかというくらいの期待を詰め込んで日本を旅立ちました。
もともと私は「超」がつくほどの天然であり、まわりが呆れるほどの楽観主義。
「どんな楽しいことが待っているのだろう」
「英語はできないけど、お友達たくさんつくっちゃうぞ」
「私もューヨーカーの仲間入り!!」
、、、と、ニューヨークで暮らせることが嬉しくて、出発前夜は興奮して一睡もできませんでした。
まだその時はこれから起こる壮絶な
「ニューヨーク生活」との戦いがはじまるなんて1ミリも思っていませんでしたから、、、。
「そうぜつ」なんて大げさだな、と思う人もいるかもしれませんが、私の感じた率直な気持ちです。
成田空港から飛行機に乗り14時間、
空港に降り立った私は「独特の雰囲気」に圧倒されて呑み込まれそうになりました。
「ん?何かが変」
「ここはニューヨーク?」
説明が難しいのですが、どんよりしていて、殺気さえ感じる緊張感。
みなが早歩きで笑顔がない。
でも、先述したように私は超楽観主義、「ま、いっか」と、自分の心に湧いた胸騒ぎを無理やり蹴散らし、税関を通り、いざ、摩天楼と呼ばれるマンハッタンへ。
そこからが大変でした。
ニューヨークに知り合いのいない私は事前に調べた通り、タクシー乗り場へ。
今から思うとなんて無謀なのだろうと、思い返すだけでも怖くなりますが、「ニューヨーク」のことも「イエローキャブ」のこともよく理解していなかったのですから、仕方がないといえば仕方がないのです。
「イエローキャブ」は日本のタクシーと同様、自動ドアで、親切な運転手さんが笑顔で迎えてくれると疑っていませんでした。
想像ができなかった、といった方が適当かもしれません。
乗り込んだイエローキャブのドライバーは英語圏にもかかわらず英語が通じない、読めない、、私と全く目を合わさない、しかも今まで見たこともあったこともない人種の方、、。
空港から1時間で到着するはずが、2時間経ってもたどり着いていない。
銃をつきつけられちゃうのかな?
信号で止まったら逃げ切れるかな?、、と、生きた心地がしませんでした。
後からわかったことですが、当時のイエローキャブのドライバーは中東からの移民が多く、英語が話せなくてもありつける仕事のひとつだったのです。
空港から3時間以上かかったのは遠回りをされていたから。
遠回りしすぎでしょ!!
そう、私はずべてにおいて想像を超えた街、ニューヨークに着いてしまったのです。
まさに、ウエルカム・トウ・ニューヨーク!でした。
続きは次回に!