「島田一郎」「暗殺」「大久保利通」 | けいきちゃんのブログ

🌸大久保利通を暗殺した島田一郎

 

大久保に50以上の傷を負わせる

 ☆大久保利通が乗った馬車が紀尾井町の清水谷を通過した
 *道の傍らでは2人の男が花を眺めている
 *刀を手にした4人の男が現れ、馬を斬り馬車を足止めた
 *花を眺めていた2人も刀を抜きながら駆け寄ってきた
 *大久保が馬車を降りようとしたとし刀が振り下ろされる
 *6人が大久保目がけて襲いかかる
 ☆絶大な権力を振るった大久保49年の生涯を閉じた
 *「紀尾井坂の変」と呼ばれる人久保利通暗殺事件だ
 ☆彼の体に残された50以上もの傷

 *暗殺劇は、確実に大久保の息の根を止めるための計画だった
 ☆中心的な役割は、島田一郎という石川県出身の士族である

 

島田らは周到に暗殺計画を練る

 ☆島田は徹底的に大久保の身辺を探ることから始めた
 *内務省に出勤する日や自宅を出る時刻

 *内務省へ向かうルートなどを入念に調べあげた

 *外出時に護衛をつけないことが判明した
 ☆暗殺場所に紀尾井坂を選んだ理由

 *道幅が狭く、屋敷が建ち並び逃げ込める場所がない

 *坂道にさしかかれば馬車の速度も落ちる
 *大久保が出勤する時間帯には、人通りが少ない

 *襲撃するには絶好のポイントだったのだ
 

⛳島田ら西郷に心酔した末の殺害

 ☆島田はこれほど大久保を憎んでいた理由
 *不平士族のカリスマ的な存在だった西郷隆盛の死

 *島田も彼に心酔する一人だった 
 ☆島田一郎大久保を斬る理由として

 *政治を私物化していること、民権を抑圧している等

 *5つの理由が書かれている

 ☆島田らは、西南戦争が勃発した折には挙兵も試みた

 *メンバー集めに苦労している間に、西郷軍は敗れる

 *島田は政府の要人暗殺へと方針を変えた
 ☆士族の味方西郷

 *大久保の追討軍によって死に追いやられた

 *島田らは、ゆえに鉄槌を下したというわけだ
 ☆目的を果たした島田は逃亡する気は毛頭なく

 *大久保の罪を告発した斬奸状を手にして自首する

 *その後、暗殺グループ全員が極刑に処せられた

 ☆取り調べの最中、島田は大久保以外にも

 *大隈重信や伊藤博文らの罪も並べ立て

 *自分のあとに続く暗殺者が出ることを期待していた
 ☆その大隈や伊藤こそが大久保の遺志を継いで

 *その後の日本を動かしていくことになる
 ☆島田は、元武士である士族が

 *政治に関わることができるような国家を夢見ていた
 *島田は、西郷隆盛の死によって大久保暗殺を企んだ
 *大久保利通暗殺の成功により、自分が思い描いた

 *新時代の到来を夢見た島田
 *現実は残念ながらそうはならなかった

                       (敬称略)

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⛳出典、『日本史の黒幕』

 

「島田一郎」「暗殺」「大久保利通」

(『日本史の黒幕』記事より画像引用)