「とのさま とのさま」・・・(ちっちぇ時分のあすび) | トクチャンのブログ

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昭和33年頃の下蓮(下蓮沼)十字路・・・写真に写ってるんは僕ね(^^;

 

まだまださみぃ日が続かいね。

今週の火曜日あたり、関東じゃ雪が降る予報が出てらいね、まぁ僕がいま住んでる品川辺りじゃ雪じゃなくって雨だんべけんど、まだまださみぃ日が続くみてぇね。

 

僕がちっちぇ時分、関東じゃ今頃っから3月にかけてドカ雪が降ったんさね。

小学校の何年だったかハァおぼいてねんだけんど、三日間降りっ通しで30センチぐれぇ積もったことがあったんさ。あんときゃ同級生4~5人で同級生んちの裏に子供が3~4人へぇれるぐれぇでっけぇカマクラぁこせぇたんさね。降った後もさみぃ日が続いたんでいくんちも融けなくって、まいんちカマクラん中であすんだんさ。

群馬はさぁ、冬場に空っ風が吹くんで、子供らも風除けのあるとこでよくあすんだんさ。

僕が住んでた下蓮(下蓮沼)じゃ、集会所のことぉ「お寺」っつってたんだいね。明治時代まで集会所のあるとこに「東林寺」っつぅお寺があったんで、そうゆってたんさね。そのころ、集会所は木造で、ザシキの北っかわに扉のついた棚があって仏様がおさめらいてたんさ。

そんで、集会所へ出入りするとこの前に物置みてぇな小屋があって、そこは南に向いたとこ以外は板壁んなってたんで風が除けらいたんさ。そんで、壁際にずっと腰かけみてぇな台があったんで、ちっちぇ子だったら10人ぐれぇ腰かけらいたんさ。

そのこら、「お寺」(集会所)の庭は下蓮じゅうの子供が集まるあすび場だったんさ。

そんで、いまごろよくやったんが「とのさま とのさま」っつぅあすびだったんさね。

ハァ、あすび方は思い出せねんだけんどさ、小屋んなかの腰かけに7~8人の子が横んなって並ぶんさ。一番奥(向かって左)にいる子が(とのさま)で、その右が家老だったんべか??

えれぇ順に右へ家来役の子が並ぶんさ。そんで鬼が一人いて、一番右の子からチッカ(じゃんけん)してって(とのさま)の手前の家来のとこまでいったんだっけかなぁ???そんときチッカして負けると鬼がどうしたんだったけか??

おぼいてるんは一番えれぇ(とのさま)のすぐ右に並んでた家来の子が「とのさま、とのさま誰々が参りました」だったかゆうんだいね。そんで(とのさま)となんか問答みてぇなんをやってから「ちからばとおせ」だったか、(とのさま)がなんかゆってチッカしたんじゃなかったっけかなぁ??

よくあすんだんだけんどさぁ、おうか昔のことでハァ思い出せねんね。

誰かおぼいてたら教えてくんねぇ~かい(^^;

あと、じゃんけんのことぉ何でチッカっつぅかっつぅと、僕が育った辺りじゃ、「じゃんけん」するときに「ちっかくぅ~い  まんじゅっくい」っつったんさ。そんなんで、じゃんけんするときゃ「チッカすんべぇや」なんつったんさ。僕が育った豊受じゃ通用すんだけんど、よそじゃどうゆったんかねぇ。

あたぁ、「押しっくら」だの「馬跳び」、「下駄隠し」なんかやってあすんだんさね。

今のわけぇてぇにゃ分かんなかんべなぁ(^^;

それと、今でも豊受じゃ「ちっかくぅ~い  まんじゅっくい」っつってるんかねぇ?

こうゆんは地域の文化なんで、残ってるといいやねぇ。

さて、きょうはこれぐれぇにしとくべぇ。

んじゃまた。

あばねぇ~(^^)/