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昨日は8月13日、田舎の風習で「盆迎え」に行ってきました。群馬県伊勢崎市の南部、利根川に近い地域です。


ここは母親の実家があったところで、昭和33、34年頃から、高校を卒業するまで過ごました。


僕が生まれたのは昭和31年、その前の年までは佐波郡豊受村でした。かつては伊勢崎銘仙を支え、周りからは「銘仙の本場」と呼ばれていたそうです。大きな養蚕農家ばかりで、周りも一面桑畑でした。


実はこの集落の中を日光例幣使街道が通っています。ほぼ国道354になっていますが、この集落の周りには旧道が残っています。ちょっと見ただけでは畑の中の農道といった感じですが、江戸時代には京都から日光東照宮へ参拝に向かう朝廷から派遣された例幣使の一行が通行した五街道に次ぐ脇往還でした。


その畑の中の道筋に、当時は京都まで知られた名所があったんですよ。それは『右赤城』という名所でした。


例幣使街道は中山道の道倉賀野宿から分かれて玉村、五料、芝宿、と進んできます。


ここでちょっと説明板を読んでいただきます。

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説明板にも書いてある通り例幣使街道は東へ進むので、日光に向かって赤城山は常に進行方向の左側に見えます。ところが豊受地区の馬見塚の清水町・小字で立川を過ぎたあたりで西へ向かいます。

それにはワケがあります。近くを流れる広瀬川が昔はもっと集落寄りを流れていました。僕が住んでた集落は広瀬川と利根川に挟まれた中洲のような場所にあります。集落はこの広瀬川が形成した自然堤防の微高地にあります。広瀬川の蛇行に沿って例幣使街道も西へと向きを変えました。

今は国道354から細い道に入るのですが、以前は広瀬川に架かる豊東橋への上り坂が馬見塚から来るともう少し手前にありました。この国道から旧道へ折れる辺りを子供の頃は「ドウロクジン」とよんでました。これは道祖神が訛ったものだということです。

そうしてこの説明板のある辺りまでくると、ちょっと右手後方に振り返ると、赤城山がそれまで左側だったのに数十メートルの間だけ右側に見えるんですよ。

その頃、例幣使の行列が右赤城までくると来ると、例幣使が乗ってきた輿を停めさせて・・・「これが東(あずま)の右赤城かいな。」と赤城山を見たということです。


右赤城のあたりからドウロクジン方面を望む
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右赤城より赤城山を望む・・(この日は蒸し暑い日で湿度が高く赤城山がかすんで見えませんでした。)

・・・・本当なら説明板の向こう側に赤城山が見えます。

写真の奥がドウロクジンン、奥から手前に歩いてきます。そうすると赤城山が右側になるでしょう、分かりますか?       ダウン

           
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子供の頃はこの辺りの畑はすべて桑畑でした。馬見塚にあった小学校から帰る途中、この旧道を通りドドメを食べながら帰りました。帰ると必ず家の者から「おおく食うと腹ぁ~こわすぞ!」と言われました。ドドメ(桑の実)を食べると口の周りが真っ赤になるからすぐバレます。


旧道は右赤城のあたりから集落に向かうため今度は直角に曲がり南に向かいます。



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ここで曲がります



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集落への入り口・・・上宿
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集落の入り口「上宿」で左に曲がり境町方面に向かいます。

そして、この曲がり角に道標があります。写真では「左ほん志やう」(本庄)と書かれてますね。


道標


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大きくします・・・


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読めますかね?


この道標のあるところを子供の頃は「上宿」と呼びました。その先が現在は国道354と県道の交差点になってますが「中宿」、さらに7~8軒先からまた国道から離れて広瀬川のほうへ進んで行きます。



上宿から中宿、下宿方面を望む
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下宿の分かれ道・・下武士(しもたけし)へ向かう道
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この細い道の先が広瀬川で、昔は武士(たけし)へ渡し船が出ていたそうです。

そして、この道が僕の住んでた集落と下武士との境界です

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この細い道を進み広瀬川を渡ると下武士で、その先が間(あい)の宿・境町です。例幣使街道は境町から三ツ木のほうへ行きますが、そのまま国道を進んでいくと世良田へ行きます。



それから、この辺りの地名には「島」の字がつく地名が多くあります。利根川を渡り本庄市と伊勢崎市を結ぶ坂東大橋のあたりが「八斗島」(やったじま)、僕の集落の隣が「飯島」(いいじま)、利根川の群馬県側と埼玉県側の両方にある「島村」、旧境町の中島・・・・

それから沼や川の付く地名・・・伊勢崎市に合併する前の僕が住んでた集落は「下蓮沼」(現在は下蓮町)でした。そして隣が馬見塚清水町・小字・立川です。


なぜそうなのかというと、それは坂東太郎・暴れ川で有名な『利根川』の影響です。

昔の利根川は大雨が降るたびに洪水をおこし、流れを変えていたそうです。集落の北を流れる広瀬川もかつては利根川が流れていたそうです。集落や畑があるところは利根川の中州や自然堤防、そして集落や畑の周りに帯状に広がる田んぼが、かつて利根川が流れていた跡だそうです。


この写真は集落の南側に帯状に伸びる田んぼですが、江戸時代・浅間山天明の大噴火以前は利根川の本流「七分川」が流れていたそうです。浅間山の噴火による泥流が流れを止めて、今の流れのほうに本流が移ったそうです。


この写真がその跡です。

写真の左側が北、集落側です。田んぼと段差があるでしょう、田んぼの部分が川の跡です。


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田んぼの農道より集落側を見る

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インターネットの航空写真で伊勢崎市南部の八斗島町(工業団地)あたりから長沼町、上蓮町、飯島町、国領町辺りを見てもらうと、この田んぼが川の流れのように帯状に伸びてる事が分かります。


天明の大噴火で浅間山から泥流がここまで流れてきたんですから、当時は大変な災害だったと思います。


集落の中の家は、ほとんど建て替えられ大きな養蚕農家も残っていませんが、まだ所々に懐かしい民家も見られます。


(同級生の家に残る立派な土蔵)


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今回は同級生の家へ遊びに行ってきました。

懐かしい話で盛り上がり、一日だけでしたが楽しい帰省となりました。


帰省と言っても親はもう他界しておらず、叔父夫婦が居るだけです。


それでも、ここが僕の原点なんですね・・・・


僕の人生は、ここから始まりました。


今回はトクチャンの懐古的なブログになっちゃったね・・・

たまにはいいかな(^^)/

参考に利根川の流れの変遷が今でも影響してる事を伝える動画を載せておきます。

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太田市と深谷市は土地の交換が解決しましたが、まだまだ利根川を挟んで群馬県側に埼玉県が、逆に埼玉県側に群馬県が取り残されてる地区が残ってます。埼玉県本庄市上仁手は群馬県側にもありますし、伊勢崎市島村は埼玉県側にもあります。

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