昨日、高崎市で男児への虐待で母親とその元交際相手が逮捕されたというニュースを見ました。

 

かわいそう。かわいい子供になんでこんなことができるんだろうか。という感想を抱く人も多いと思います。

特に、今まさに被害にあった子供と同年代の子供の子育てをしている人からするとそんな思いは強いでしょう。

しかし、そういった感想は感想でしかなく、他人事と捉えているのと変わりません。

否定はしているわけではありません。感想もとても大事です。
しかし、さらに他人事としてとらえず、自分が虐待の加害者にならないために「考える」きっかけにするのであれば、感想で終わってはいけません。

私たちが感想を考えているとき、加害者である両親のことを自分とは違う化け物か何かだと勘違いしていませんか?
今回のケースがどうかは知りませんが、虐待の加害者が全員、育ちが悪く、悪い仲間たちとつるんできて、経済的に裕福でもなく、昔から問題行動を起こしていた人のように勝手に決めつけていませんか。

虐待の怖いところは「誰でも突然加害者になりうる」ところです。
感想の前提に「私はしないけど…」がある時点で他人事だととらえているということです。
虐待を受けた当事者の話、虐待をしてきた当事者の話、悲惨な事件の話、これらを聞くときに、まず大事なのは、「自分が虐待をする可能性あり」だと思うところです。

自分はどこまでストレスがたまったら、どんな種類のストレスがたまったら、どんな状況に陥ったら、つい手を挙げてしまうだろうか。

それを「自分事として考える」と言います。

自分が虐待をしてしまうとしたら、どんな状況で、どんな気持ちになって、どれくらいの力でどんな方法で、こんなにもかわいい子供を傷つけてしまうのかを考えてください。
そして、そうならないために事前にできる対策をパートナーやお子さんと話し合ってください。

親も人間です。予測できないことが起きて、想像もしていなかったほどのストレスを感じて、しないはずだった虐待をしてしまうことはあり得ます。

虐待をしてしまうタイミングで、子供を邪魔だと感じてしまったのか、うざいと感じてしまったのかはそんなに問題ではありません。
思ってしまうことは誰にも止められません。

責めるべきはそこではなく、思った感情を発散もできずに、解消もできずに、目の前の子供に、物理的な力でぶつけてしまったことです。

もし、自分が子供をかわいいと思えないときが来たときに、厄介だと感じてしまった時に、どうしたら、子供に手をあげずに済みますか?
どうしたら夫婦で互いをギリギリのところで踏みとどまらせられますか?

それを、虐待の加害者ではない今から「考えて」おいてほしいと思います。