新年あけましておめでとうございます。
昨年はツイッターや、当ブログの記事をお読み頂きありがとうございました。
色々好き勝手書いてましたが、少しでも皆様のお役に立てたのなら幸いです。
と、ここで1つ私の抱負をここに書き記したいと思います。
「誰もがトランペットを楽しめるよう、そのお手伝いをする。」
昨年は色々ありましたが、私の中でこの考えは変わらないようです。(これが嘘なのか何かの建前なのかは分かりませんが・・・。)
その手段の1つとして、昨年よりアレクサンダー・テクニークを学んでおります。
学生の頃はほとんど思えなかったのですが、今は「学びとはこれほど楽しい物だったのか!」と再認識しております。学生の頃にそう思う機会が少なかったのは、恐らく自分で選んだ道では無かったからだと思うのです。
理系か文系か、大学はどこか、学部は・・・確かに自分で選んではいたのですが、そこに自由と責任は無かったような気がします。
大晦日~元旦にかけて考え悩み、夢が1つ出来ました。無謀とも思われそうですが、本当にやってみたい事が見つかったような、そんな気がします。
人生、楽しくいきたいですね。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
ブログ引っ越しました!(2014/05/25)
新しいブログはこちらになります。(一部移動しきれていない記事もありますが)
http://tokuya-tp.hatenablog.com/
既にご存知の方いらっしゃると思いますが書いてみます。
木管にも共通しますかね?
ローノート
・息の量多い
・息のスピード遅い
・息太い(イメージ)
・舌の位置低い(シラブルはア)
ハイノート
・息の量少ない
・息のスピード速い
・息細い(イメージ)
・舌の位置高い(シラブルはイ)
フォルテ
・息の量多い
・舌の位置やや低い
ピアノ
・息の量少ない
・舌の位置やや高い
ピッチ
息の量が多い→ピッチ高い→舌の位置やや低くする。
息の量が足りない→ピッチ低い→舌の位置やや高くする。
なので、フォルテで吹きたい場合、ピッチが高くなるので舌の位置を低くしてピッチを調節する、ピアノで吹きたい場合はその逆です。
赤字で書いたのは誤解されやすい、知られていないのではないか?と思うところです。
よく高い音、低い音とイメージすると難しく考えてしまいがちですが、アレクサンダー・テクニークのレッスンで「高い音は速い息、低い音は遅い息」「Cの音はFの音よりも遅い、ハイDの音はAの音よりも速い」と考えると良いと言われた事があります。
また、エリック宮城さんも「ハイノートは遠い、ローノートは近い」と言って説明されている事が多いです。高い音と考えるとどうしても身構えてしまいますが、自分なりにしっくりくる言葉で置き換えてみると良いと思います。
ちなみに「ハイトーン」という言葉、和製英語だそうです。
エリックさんの本に書いてあったような、それ以来ハイノート、ローノートと使っている影響されやすい私・・・笑
新しいブログはこちらになります。(一部移動しきれていない記事もありますが)
http://tokuya-tp.hatenablog.com/
既にご存知の方いらっしゃると思いますが書いてみます。
木管にも共通しますかね?
ローノート
・息の量多い
・息のスピード遅い
・息太い(イメージ)
・舌の位置低い(シラブルはア)
ハイノート
・息の量少ない
・息のスピード速い
・息細い(イメージ)
・舌の位置高い(シラブルはイ)
フォルテ
・息の量多い
・舌の位置やや低い
ピアノ
・息の量少ない
・舌の位置やや高い
ピッチ
息の量が多い→ピッチ高い→舌の位置やや低くする。
息の量が足りない→ピッチ低い→舌の位置やや高くする。
なので、フォルテで吹きたい場合、ピッチが高くなるので舌の位置を低くしてピッチを調節する、ピアノで吹きたい場合はその逆です。
赤字で書いたのは誤解されやすい、知られていないのではないか?と思うところです。
よく高い音、低い音とイメージすると難しく考えてしまいがちですが、アレクサンダー・テクニークのレッスンで「高い音は速い息、低い音は遅い息」「Cの音はFの音よりも遅い、ハイDの音はAの音よりも速い」と考えると良いと言われた事があります。
また、エリック宮城さんも「ハイノートは遠い、ローノートは近い」と言って説明されている事が多いです。高い音と考えるとどうしても身構えてしまいますが、自分なりにしっくりくる言葉で置き換えてみると良いと思います。
ちなみに「ハイトーン」という言葉、和製英語だそうです。
エリックさんの本に書いてあったような、それ以来ハイノート、ローノートと使っている影響されやすい私・・・笑
皆さんはどこからどこまでが自分だと思いますか?
「頭のてっぺんから手足の爪先まで」物理的な大きさはそうですね。
ですが、ここに影響力や存在感と加えると、それは変わってきます。そしてそれは誰もが持っているものです。パーソナルスペースという言葉がありますね。実際には触れてないのに他の人を感じてしまい不快に感じてしまう、人によってはとても狭く人ごみが苦手という人もいますが、それはこの影響力や存在感を認識しているからではないでしょうか?
ではこの影響力はどこまであるのでしょうか?どこまで認識できるのでしょうか?
大きな部屋で数名の人がいるとします。そこで誰かが話を始めたらその人の「大きさ」は一気に部屋いっぱいに広がります。
その話を聞いている人はどうでしょうか?話始めた人は誰に話しかけたのかと言うと部屋にいる他の人にですね。近くにいる人は視覚的に「大きい」し、遠くにいる人も自分と距離が離れているのに視界に入るくらい「大きい」のです。
「自分(相手)」って意外と大きいんです。
話をする人は一方的でなく、会話も出来るし、頷いている人も見れます。不思議そうな顔をしている人もいれば興味の無い人も見る事が出来ます。
その反応を目で、耳で、また別の五感で感じられますね。会話をすれば相手に自分の影響力がおよび、その反応が返ってくるとまた自分が変わる、その人を構成する一部分にまで「自分」がいる事になり、そして自分の中にも相手が入ってきます。
ここで、アレクサンダー・テクニークのレッスンで面白かった事を一つ。「人前でパフォーマンスをするのが苦手なので何とかしたい」というレッスンをされている方に先生が一言
「声が落っこちているよ」とアドバイスをしました。
その人は「自分の大きさ」を自分自身で凄く小さくしてしまっていたんですね。そして相手を認識せず(認めず)に声を出したので、話しかけられた人は「声は届いたけど、思いが伝わって来なかった。」と話されていました。
もう一度、相手の存在を認め自分も認識したら、しっかりとその願いを達成(叶え?)されていました。
では、これを演奏者と楽団員、コンサート会場に置き換えるとどうでしょうか?
まず楽器ですが、よく「楽器を体の一部のように」と言うように楽器も自分に含まれますね。そしてそこから発する音も自分です。ホールに響いて反響する音も、自分に帰ってきて耳に聞こえる音も。
そして周りのメンバーにも音は届き、それによりメンバーのピッチなり音量なり音色が変わるのも「自分」が影響を与えたからなのです。そしてもちろんその逆も、メンバーの音も自分に影響を与える、自分を構成する一部になるのです。
アンサンブルを揃える時、音だけに集中してしまいがちですが、メンバーは近くにもいれば遠くにもいます。ステージ上の自分はお互いステージいっぱいにいるんですね、こうして考えるととても大きいです。
そしてパフォーマーとして最も忘れちゃならないのはお客さんですね。
「自分」である音を聞いたお客さんは何らかの影響を受け、反応を返してくれます。それは表情だったり、歓声だったり、拍手だったり。そして「それ」が返ってきてまた演奏者は「自分(を構成するもの)を認識」し、演奏が出来るんですね。
自分の音はどこまで届きますか?楽団員は何人いますか?ホールの広さは?観客は?これって実は凄いエネルギーを持っているんですね。
このエネルギーを自分にも使って奮い立たせれば、緊張を見方にする事もできると思います。
なので、音を合わせるためだけに意識が行ってしまい自分を小さくしてしまう人。緊張しないようにお客さんを自分に迎え入れていない人。楽譜だけを見てその小節内にしか自分がいない人・・・すこーしだけもったいないです。
自分がいて、自分が好きな楽器を持って、好きな音を出し、楽しく演奏出来るメンバーがいて、ホールいっぱいに音が響いて、お客さんに届き、何らかのフィードバックが得られる。
そしてそれは自分に返ってくるのです。
自分→楽器→音→ホール→観客→(観客の心?)→観客→ホール→音→楽器→自分→楽器・・・
演奏が終わり、お客さんが一斉に会場の外に聞こえるくらいの拍手をしたら「あなた」の大きさはどれくらいでしょうか?お客さんが家に帰ったら・・・・と、自分との関係はどんどん大きくなっていきます。
色んな事が繋がっているようです。
次にステージに立つ時、自分の大きさを是非意識してみてください。
正直、途中で何書いてるか分からなくなりました・・・・笑
レッスンの時は凄くハッとしたのですが・・・
分かりにくいですが、何かのお役に立てればと思います。
下手な作品であっても発表した方が良い事が起きるそうなので。
「頭のてっぺんから手足の爪先まで」物理的な大きさはそうですね。
ですが、ここに影響力や存在感と加えると、それは変わってきます。そしてそれは誰もが持っているものです。パーソナルスペースという言葉がありますね。実際には触れてないのに他の人を感じてしまい不快に感じてしまう、人によってはとても狭く人ごみが苦手という人もいますが、それはこの影響力や存在感を認識しているからではないでしょうか?
ではこの影響力はどこまであるのでしょうか?どこまで認識できるのでしょうか?
大きな部屋で数名の人がいるとします。そこで誰かが話を始めたらその人の「大きさ」は一気に部屋いっぱいに広がります。
その話を聞いている人はどうでしょうか?話始めた人は誰に話しかけたのかと言うと部屋にいる他の人にですね。近くにいる人は視覚的に「大きい」し、遠くにいる人も自分と距離が離れているのに視界に入るくらい「大きい」のです。
「自分(相手)」って意外と大きいんです。
話をする人は一方的でなく、会話も出来るし、頷いている人も見れます。不思議そうな顔をしている人もいれば興味の無い人も見る事が出来ます。
その反応を目で、耳で、また別の五感で感じられますね。会話をすれば相手に自分の影響力がおよび、その反応が返ってくるとまた自分が変わる、その人を構成する一部分にまで「自分」がいる事になり、そして自分の中にも相手が入ってきます。
ここで、アレクサンダー・テクニークのレッスンで面白かった事を一つ。「人前でパフォーマンスをするのが苦手なので何とかしたい」というレッスンをされている方に先生が一言
「声が落っこちているよ」とアドバイスをしました。
その人は「自分の大きさ」を自分自身で凄く小さくしてしまっていたんですね。そして相手を認識せず(認めず)に声を出したので、話しかけられた人は「声は届いたけど、思いが伝わって来なかった。」と話されていました。
もう一度、相手の存在を認め自分も認識したら、しっかりとその願いを達成(叶え?)されていました。
では、これを演奏者と楽団員、コンサート会場に置き換えるとどうでしょうか?
まず楽器ですが、よく「楽器を体の一部のように」と言うように楽器も自分に含まれますね。そしてそこから発する音も自分です。ホールに響いて反響する音も、自分に帰ってきて耳に聞こえる音も。
そして周りのメンバーにも音は届き、それによりメンバーのピッチなり音量なり音色が変わるのも「自分」が影響を与えたからなのです。そしてもちろんその逆も、メンバーの音も自分に影響を与える、自分を構成する一部になるのです。
アンサンブルを揃える時、音だけに集中してしまいがちですが、メンバーは近くにもいれば遠くにもいます。ステージ上の自分はお互いステージいっぱいにいるんですね、こうして考えるととても大きいです。
そしてパフォーマーとして最も忘れちゃならないのはお客さんですね。
「自分」である音を聞いたお客さんは何らかの影響を受け、反応を返してくれます。それは表情だったり、歓声だったり、拍手だったり。そして「それ」が返ってきてまた演奏者は「自分(を構成するもの)を認識」し、演奏が出来るんですね。
自分の音はどこまで届きますか?楽団員は何人いますか?ホールの広さは?観客は?これって実は凄いエネルギーを持っているんですね。
このエネルギーを自分にも使って奮い立たせれば、緊張を見方にする事もできると思います。
なので、音を合わせるためだけに意識が行ってしまい自分を小さくしてしまう人。緊張しないようにお客さんを自分に迎え入れていない人。楽譜だけを見てその小節内にしか自分がいない人・・・すこーしだけもったいないです。
自分がいて、自分が好きな楽器を持って、好きな音を出し、楽しく演奏出来るメンバーがいて、ホールいっぱいに音が響いて、お客さんに届き、何らかのフィードバックが得られる。
そしてそれは自分に返ってくるのです。
自分→楽器→音→ホール→観客→(観客の心?)→観客→ホール→音→楽器→自分→楽器・・・
演奏が終わり、お客さんが一斉に会場の外に聞こえるくらいの拍手をしたら「あなた」の大きさはどれくらいでしょうか?お客さんが家に帰ったら・・・・と、自分との関係はどんどん大きくなっていきます。
色んな事が繋がっているようです。
次にステージに立つ時、自分の大きさを是非意識してみてください。
正直、途中で何書いてるか分からなくなりました・・・・笑
レッスンの時は凄くハッとしたのですが・・・
分かりにくいですが、何かのお役に立てればと思います。
下手な作品であっても発表した方が良い事が起きるそうなので。