ほじったのは鈴木ではない

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鈴木は

ほじらされていたのだ

気付くのが遅かった

後悔先に立たずとはよくいったものだ

小学校の時のバーコード頭の担任も言っていた。
”後悔先に立たず”
よく覚えとけと

言葉で言われて簡単に分かるものじゃない。
それこそが
後悔先に立たずなのだと

苦節15年。。

殺風景な部屋の天井を呆然と眺めていた時ふと、
鈴木を思い出した。

鈴木をよく鼻をほじっていた。

厳密に言うと、
ハナクソを取っていた。

当時の鈴木を想像してみるに、
授業を聞いて頭が痛くなるより、ハナクソを取り爽快になる方を選んだだけに過ぎなかった。

しかし、鈴木はイジめられた。

連中は爽快になった鈴木を標的にした。

鈴木はよく泣いていた。

泣きながら、そのハナクソを食べていた。

連中はまた鈴木を標的にした。

そんな鈴木を僕は嫌いになれなかった。

それからというもの、僕は放課後よく鈴木と遊んだ。

理由はよくわからないが、なんとなく鈴木を遊びに誘い出すようになった。

鈴木はよく笑った。普通の子だった

それでも鈴木は
最後まで学校生活にはうまく馴染むことができなかった

なんでだろうか。

鈴木は悪くない

しいて言うならハナクソを取り、食べる癖があった。

そのくらいだ

こういう時、世の中には二通りの考え方がある。

世の中のシステムを変えるか、自分が変わるか。

教室レベルで言うならば、

授業はハナクソを取りながら聞くものとするか、
ハナクソを取らないようにするかだ

ではハナクソが出てしまうクラスの議長でもない鈴木はどうするべきか。

ハナクソとはそもそも、ばい菌の侵入を防ぐ身体を守る防衛反応的なものであるため
見方によっては誇らしくも見えてきそうなところだが(鈴木は連続防衛チャンピオンにもなり得た)

それが汚らわしいのであるのならば仕方ない。

取り組みとしてはほんの少しの違いだったが鈴木は幾ばくかの過ちをおかしていた

鈴木はハナクソではなく栄養を取るべきであった

栄養を取る→免疫ができる
免疫ができる→ハナクソ生産量が減る
ハナクソ生産量が減る→授業中ほじらずに済む
授業中ほじらずに済む→鈴木はほじられずに済む

実に画期的ではないだろうか

もっと早く気づいていれば

僕は鈴木の人生を、
いや、体調を
少しは変えれたのかもしれない

共同体は時に個性を摘む。

指標がない子供たちにはそれがわからないから
少々目立つ子は
まわりの目を気にしながら
自分を取り崩す作業を無意識に行ってしまっている

先生というのは、そういったメタレベルの次元の事柄にもしっかりと目を見張るべきである

しかし、先生が学校教育だけをしているうちはその子たちは救われないのかもしれない

急に出たハナクソみたいな話から教育問題の話にまで飛躍したことに正直ビックリしているが、
一つ言えることは
昔のくだらない記憶が半端なくあるってこと

今度チャンスがあれば、
15年以上ぶりになるが
久々に鈴木に会いに行こうと思う

その時はいろいろと話をほじくるのが楽しみだ