これからがノッてくるはずの裏の日記型小説ですが。

 

どうやら、私は本物のクリスチャンになってしまったらしく、穢れた描写を挿入しようとすると、何だか、自分が大それたこと、神の目から見て正しくないことは明白なので、「神様しか見てないからいいや。」という神への専心への裏切りと、これ以上露骨な表現をすれば神の道から逸れてしまうという、畏れとに揉まれながら二重生活をしてきましたが、やっぱり、神の食卓と悪魔の食卓に同時にはあずかれない。

すぐそこにサタンが、イエスが四十日食を断った後で行った「誘惑」と同じモノを携えてニヤニヤしている気がして、小説の「核心」が書けないでいるんだ、という自覚を持ちました。

 

エロ小説の一言や二言が何さ、と思われるかもしれないけれど、悪魔に石をパンに変えるように唆されたイエスが何と言ったか。イエスはその力があるし実際に空腹なのに、しなかった。出来るのに、しなかった。逆に人はパンだけでで生きるのではなく神の口から出る言葉によって生きなければいけないという、聖書の言葉で応じた。私はそんなに大層な信仰は持っていないけれど、でも、書けるよ?続きを書けるけれど、此処で続きを書いてしまえばエホバは悲しむだろうし、サタンは狂喜するんだということは解っているつもり。

 

「続きを書く表現力が無いから言い訳してるんじゃないの?」という人もいるかもだけれど、はっきり言って頭の中ではラストまでプロットが組み上がってるんだよ。何とでも言え。

私は自分がキーボード依存症だということは十分理解しているけれど、理不尽にパソコン取り上げられるより、神エホバと王イエスの裁きの方が余程怖い。

 

小説家気取りはもう気が済む程度にしたし、もう二重生活する気もない。

全宇宙の最高主権者は、神様であって、悪魔は神を侮りつつ、人を誘惑したり突き落としたりして何とか神の僕を減らそうと、神様の手の平の上で踊っているだけ。

「全宇宙の最高主権者は誰か?」という問いにははっきり、神エホバだと答えよう。だから私はセクスティングの表現を含む小説から手を引くという行動によってイエスと同じ言葉を紡ごう。

 

 

「神の名において、退け、サタン。」

 

 

もう、オマエが喜ぶ小説は書かない。