昭和が終わるときのはなし | 歩けない保健室

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膝が悪くて看護師になれない保健師の健康日記

平成が終わるときですが、
おばちゃんの覚え書きとして、
昭和が終わるときのことを忘れないうちに書いておこうとおもいます。

その頃コーポ成田201号室家賃30,000円也に住んでいた私は、
先輩にもらった冷蔵庫とテレビで生活していました。

冷蔵庫はワンドア(笑)開けたら中に製氷コーナーがあります。
後に大切にしまっておいた牛肉を国家試験前日に食べ、
盛大にお腹をこわし、泣きながら何菌か調べた思い出もあります。
何菌だったか、国家試験の問題にも出ました(笑)

テレビは、アンテナを繋いでも画像は砂の嵐で、
ざらざらした音しか出ない。

そんな生活だったので、昭和天皇がどんな具合なのかは
年末年始実家で見たテレビのバイタルサインの情報しか知らず、
学校に登校して、担任からきくまでは知りませんでした。
平成になったことよりも
目の前の国家試験という大波(しかも二つ)と
当時付き合い始めたばかりの元夫とすぐに離れることになるかもという
そちらに振り回されていた22歳10日前の事でした。

令和になる瞬間は長女と二人。乾杯でもしましょうか…
次女は旅行中…。



↓お酢と共にやってきた膨大なプチプチ。
丈夫なので椅子のおしりに敷いてもプチともいいません。
丸めて枕にしようか思案中。


↓ゲームの合間に突然現れたリーダー。
運命を感じ(笑)今年もファンクラブ会員になってしまいました。
ありがとう平成!
よろしく令和!