熱田家営業会議の話の続きです(#^.^#)

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15年以上前にステンレス製雨水タンクを売り出したのはよかったのですけど、最初は全然売れず、近所を一台売れただけで、熱田家工場自社用として1トンくらいのステン雨水タンクを設置しました(~_~;)
その後、沖縄で雨水フェアがありました。沖縄には小型タンク100リッターを一台寄贈しました。これで寄贈は4台になりました。
バブル崩壊後、熱田家は立体駐車場の下請仕事をしていました。不況対策になりました。メインは自走式が多かったのですけど、機械式の販売にチャレンジをし営業した先から生ゴミ処理機を作ってみないか?という紹介があり、メーカーを総会されました。それが生ゴミ処理機スタートのきっかけとなりました。雨水タンクが売れなくても努力の結果が多方面にリンクして新しい仕事をGETしたわけです(*^。^*)
最初は1日10キロ処理の生ゴミ処理機のカバーを受注し電装はメーカーが行いました。いきなり2台を受注し順調なスタートを切りました。このマシンは他メーカーにはない低温設定直接堆肥可能タイプであり、隠れた発明でもあります(*´∀`*)
しかし~雨水タンクは売れません(;´Д`)寄贈した東京の3台は展示もされず展示する人が勝ってに友人に無償でプレゼントしてしまいました。その後も長年売ってくれませんでした。
このときから熱田家代表が何でも反対運動の恐ろしさを体験したということです。
このストーリーは続きます(^^ゞ
日本国救世のために再び自衛隊の歌姫を(((^-^)))

熱田家営業ホームページ担当ニコちゃんブックエンド(^-^)