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源実朝を討った公暁は後見の僧の家に走り、首とともに食事をとったとか。
歴史上では公暁は三浦義村に「成功」の報告をしたのです。

義村は公暁に「迎えを送る」ことを報せたのですが、同時に執権北条義時に、そのことを報せたのです。

義村が重要な拝賀式に参列しなかったのが不思議です。
義村が義時に報告したことで、義時は大至急、評定衆を集め、公暁討伐を決定しました。

公暁は義村の迎えを待つことができず、義村邸に向かう途中に義村の討手により惨殺されたのです。

義村が公暁を将軍にする約束で実朝暗殺をプログラムしたとします。
義村が義時までも殺し、公暁が将軍。義村が義時の変わりをするというプログラムだったのですが、義時が事前に察知し仮病を使い難を逃れたので、義村は突然公暁を裏切り公暁を殺した。

以上、実朝暗殺事件の概要です。

①大人数の兵がいて、銀杏の木は800年前なら今のように大きくはない。
普通なら暗殺は不可能な状況です。

②義時の機転により状況が変化したので、義村が突然に義時の味方になったということはストーリーができすぎている?



★写真は伊豆の入り口 韮山の北条寺です。