人間性を測る物差しなど存在しない〜比べるべきは昨日までの自分自身のみ | 愛情料理研究家 土岐山協子の 『食べることは生きること』を発信するブログ

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愛情料理研究家の土岐山協子と申します。私は元々教職に就ておりました。その時に教育における母親の役割の重要性に気付き、日本の国力を上げかつ愛情に溢れた幸せな日本国を作るためには女性が愛情に溢れ、賢く美しくある必要があるのだという考えに至りました。


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年明け三日目の朝、皆様いかがお過ごしですか。私はゴロゴロしています(╹◡╹)

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この写真はうちの猫です。
野良を三年ばかりやっていた彼は昨年今頃はギザギザハートかってぐらい、触るものみな傷つけていたんだけれど、今は子守唄いらずで顔の近くでぐーぐーと寝るまでになった。当たり前だよね。私が攻撃しないんだから。

マズローの欲求五段階説に則って考えるに日本は実はまだまだ二段階目の「安全欲求」を満たしているだけの状態であると感ずる。

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うちの猫と同様な状態のことです。
とりあえずは食うに困らない状態。餓死者が毎日出たりしないよね?そして命と身の安全が保障されている状態。武力行使の戦争状態になっていませんよね?(╹◡╹)

ところが、まだ安全までしか手に入れていないのにこのマズローの五段階欲求を全てを手に入れたかのような錯覚というか勘違いがこの国全体を空気として覆ってきたのではなかろうか。バカ言っちゃいけないよ。そんな精神的な欲求を満たしている国民が芸能人の不祥事で盛り上がるもんか。

その勘違いが起こった原因は、マズローの欲求五段階とは全く別の「成績、学歴、肩書きピラミッド」における人間性とはまるでかけ離れたヒエラルキーが日本の教育に鎮座したからだと私は思っている。

このヒエラルキーの存在自体はあってもいい。なぜなら高校や大学の授業で、知識量がある程度同じじゃないと授業の理解度にかなりの差がつくからだ。同好会のバレー部と全国大会を目指すバレー部は一緒に練習できないのと同じ。

しかし、こうした学歴や肩書きは人間性のあり方とは全く別次元の事象だという認識がなされていない人にとっては「劣等感(後から説明するが、必要のない方の劣等感)」という自己実現の形成を阻む恐れのある心の状態を増幅させてしまう恐れがある。

簡単に言えばなんでもかんでも人と比べる癖を時代がつけさせてしまったために、社会全体が精神的成熟がしにくくなっているのが今の世の中なのだ。

もっとわかりやすく言うと、人間性を身長計で測っているようなトンチンカンなこと。
そのトンチンカンなことを今まで誰もが素直に受け入れてきた。
この素直さはまた日本人の素晴らしさでもあるのだが。

身長計は身長を測るためにある。
人間性を測る物差しなど世の中に存在しない。

しかし偏差値という、学力を測る物差しがいつしか人間性を測るものだという勘違いが人をいわれなき劣等感に陥れるに至った。
学力じゃなくても、知名度や一芸に秀でる事象をみて、自分と他人を比べはじめる癖がついてしまっている。
今のSNSでのよくわからないセミナーや素人先生、及びそれの受講者の増え方は、その必要のない方の劣等感を埋めようとしている人が多いということを如実に表していると思う。

星新一が書いた『治療』という題名の作品がある。「劣等感」についてのショートショート。現代の世相を読んでいたかのよう。興味のある方は『宇宙の挨拶』という文庫に載っていますので読まれてみてください。

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その作品の中にもあるが「劣等感」に苛まれている人ほど「劣等感が無い」ということを人に向けて言う傾向にある。劣等感に限らず、お金、幸せ、平和、足りていない人に限って「足りている」ということを発信する。
そのことは私の場合、銀座で学ばせてもらった。聞かれてもいないのにアピールする人ほどまず足りていない。

劣等感に関して言えば「劣等感があると認めることは自分が人より劣っていると認めることだから認めたくない」という心理のようだが、そもそもそれは「劣等感」の捉え方が間違っているからおこる現象だ。

「劣等感」から人は向上する。社会の発展や、個人の心の安定のためには「劣等感」はなくてはならない。劣等感をいけないもののように思って受け入れ拒否をしている人がもしいたらお伝えしたいが「人と比べることで感じる劣等感」はそもそもが幻で、そんなものはこの世に存在しない。
この世に確実に存在し、かつ自分の心に必要な劣等感は「昨日の自分と比べて感じる劣等感」である。そこを混同してはならない。

「人と比べる」という行為自体が、宇宙服を着ないで大気圏外を遊泳することぐらいあり得ないことなのだ。そんなことができるのは江田島平八塾長だけだ。

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そこの真理をわからずに生きているのは宇宙服を着ずに酸素のない場所を歩き回っているようなもので、そりゃあ苦しいことと思う。

私自身は自分の中での「〜ねばならない」はあるが(CoCo壱番屋のスプーンを集めねばならない、ラーメンにはライスをつけねばならない、など)それは世の中が押し付けてきたものではないし、人に強要する気もない。たとえ親でも子どもに何かを強要することは許されない。日本の伝統(箸の持ち方、食事の仕方など)を伝えることは大切だけどね。

これからの時代は、人間の成熟期に入ると思って間違いない。
肩書きという幻影で仕事をしている人には仕事は回ってこなくなる時代がきた。
内側を見つめて虚栄に踊らされないモノづくりの職人さんたちが日本をリードしていく。モノづくりは虚栄ではできない。ごまかしのきかない世界だ。
ハッタリじゃメシ食っていけないのよ。
そうしたことに気づいている人達が警鐘を鳴らし始めている。今年はもっと大きくなる。

自分自身から生まれくる素晴らしき劣等感と、毎日向き合え。
昨日の自分にいだく劣等感無しには精神的向上はあり得ない。

今日の箱根駅伝、青山学院大の9区の走者が「自分自身の中の劣等感と逃げずに向き合うことでタイムを伸ばした」と仰っていた。
なんという、格好良さよ。


土岐山拝

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