愛情料理研究家 土岐山協子の 『食べることは生きること』を発信するブログ

愛情料理研究家の土岐山協子と申します。私は元々教職に就ておりました。その時に教育における母親の役割の重要性に気付き、日本の国力を上げかつ愛情に溢れた幸せな日本国を作るためには女性が愛情に溢れ、賢く美しくある必要があるのだという考えに至りました。


テーマ:

先日、経堂のまだん陶房さんで茶碗作り体験をさせていただいた。


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参加者一人一人形が違う。作業を進める速度も違う。こうしてモノを作るということは、自分の内面に意識を向ける作業だと思っている。料理もまたしかり。生き方が出る。


「人との関わり方」も千差万別で、私はそこにも生き方が出るものだと思っている。


私はとにかく「対話をすること」を人との関わりの中で大切にしたいと思う。

「会話」ではなく、「対話」。

会話は一過性のものだ。

「いいお天気ですね」「そうですね」

「政権が交代しましたね」「そうですね」

「このケーキ美味しいね」「ほんとにね」


「会話」の目的は「共感」である。これは初対面の人とまず親しくなるための儀式とでも言おうか、まあ「こんにちは」の挨拶と変わりがないほど、当たり障りのないこと。


しかし「対話」は違う。

「対話」には「自分の思考を深く掘り下げること」という行為が必然的についてくる。いや、せざるを得なくなるというべきか。


自分の人生を生きていない人は「対話」を避け、「会話」の世界だけに身を置きがちだ。

「会話」は自分の思考を深く掘り下げる必要がない。地面で例えると、深く掘り下げるには途中大きな石があったり、固い地層に出くわしたり、酸素が薄くなって苦しくなったりもするであろう、自分の中の様々に出会う、ともすれば困難を伴う作業だ。


しかし深く掘り下げないと温泉は出ないのだよ。人生の目的がいつまでもわからないでしまうのだよ。

みんなが掘ってるからとりあえず地面を掘ってるけどなんのために掘ってるかがわからないでいる人が、穴が浅いまままた別な穴を新しく掘ったり、人の穴の深さや大きさが気になったりするのだよ。

自分の穴だけ一心不乱に掘ることができる人だけが自分の人生を生きられるのだよ。


自分は浅くしか掘ってないくせに人の掘った温泉をさも自分が掘ったかのように浸かっている場合じゃないんだよ。


「対話」は、自分の中の「何故」を整理し、気づき、理解し、腑に落とす作業だ。

何故仕事をするのか、何故そのイベントに参加するのか、何故その資格を取るのか、何故お金が欲しいのか、何故子どもを塾に行かせるのか、何故生きているのか。何故、何故、何故。


生きることは「何故」に向き合う作業の連続、そしてその上で「自分の意思で」選択することの連続だ。


そして「対話」の目的は「共感」を目指すのではなく「相手の『正しさ』を理解すること」である。と同時に、「自分のもつ『正しさ』を自分の中で再認識、再構築すること」である。


相手に「自分の正しさ」を認めさせようとするのは「対話」ではなく「独りよがり」もしくは「自分勝手」という。

独りよがりで自分勝手な人は、誰とも信頼関係は結べない。だって自分を信頼していないから「自分と違う意見を言うこの目の前の相手は自分を否定している」と感違いしてビビっちゃうんだもの。

「違う」と言われることは自分を否定されるようで怖いわけ。「違う」ことは怖いことじゃない。違うからこそ素晴らしいんじゃあないか。自分の人生を生きている人は、自分も他者も否定しない。「認め合う」という行為をするだけ。

自分の人生を生きていない人は、自分の違う意見をもつ人を「排除」する。怖いからよ。さらに自分の中の弱さとか恐怖心を真っ向から見つめる強さが無いからよ。そしてそのこと自分のことのように進言してくれる真の友人がいないからよ。それは全て「対話」を怠ってきた結果なのだ。


意見は違うからこそ面白い。

違う意見を聞くことができ、それについての自分の意見をアウトプットすることで、また新たな気づきもある。

友人だからこそ違う意見をぶつけ合うことができる。どんなに意見が違っても、お互いがお互いを好きでいることは揺るがないというお互いの自信と信頼関係があるからだ。


信頼関係は「対話」からしか生まれない。そして、信頼関係は安心感だ。安心感というゆとりがあってはじめて人は人に優しくなれる。


私の人生の目的は「次世代にバトンを渡すこと」。45年も運良く天に生かしていただいたのだ。もう自利は必要ないと思っている。

その目的のために必要なのは人としての優しさだと思っている。これは本当に終わりが見えない。優しさを身につけるにはまず優しい人と一緒に時を多く過ごし、たくさんの人と「対話」をし、自分という人間が優しい気持ちでいられているのかを再確認、再構築することを、死ぬまで続けなくてはならない。

毎日、自分との「対話」をしているかどうか。

浅いことが悪くて深いことが良いということではない。

自分はどちらの生き方を選択するのかということ。


私は深く掘り下げることで、自分で掘った温泉で身体を温めたい。それだけ。


そして対話の原則は一対一。

たまにメディア上やSNS上の公の場で争っている人いるけど、ああいうのは一対一っていわないよ。

多くのオーディエンスというか、野次馬を巻き込んだみっともない行為。そういう人は、野次馬の中の賛同者とだけ仲良くする。野次馬っていうだけで生き方が意地汚いのに、そんな「ソーダ族」を周りに集めたらますます自分との対話ができなくなるだろうよ。生きる目的が裸の王様になることなら別だけど。


「共感」だけを欲しがる人は心を鍛える訓練をサボってきた人。


「対話」は、面と向かって一対一が、大原則。

もちろん、自分自身との対話も含めて。


「対話」することからしか、自分だけの心は作られない。


自分のための、備忘録。



土岐山拝

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