「それにつけてもおやつはカール」でお馴染み「カール」というお菓子がある。まさに3時のおやつの定番なのだが、何とこの「カール」は今は西日本限定販売なのだ … 実は2017年の8月をもって「福井・岐阜・三重」の三県以東ではカールの販売は停止されていて、関西人の僕はごく最近までこの事を知らなかったのだが、こんなのはまさに「何でそんな謎な事になるんだろう?」という印象しかない。だってあの「おやつはカール」だよ??


この話について、たかがおやつの話と思う人も居るだろうが、この2017年という時期も含めて何だか象徴的な感じがするのだ。実際、少し調べてみたら何とも妙な話が次々と出てくる。

問題の「東日本販売停止」が起きた2017年夏にカールの販売元の明治製菓(ちなみに関東の会社だ)が公式にどんな理由を発表をしていたかというと、どうやら「競争の激化」で東日本ではカール販売停止となったらしい。

なのだけど、この決定の7年後の2024年における現実はと言えば、今なお「大阪から名古屋に向かう電車内で『大量購入されたカール』を見た」とかがネット上で話題になっているのだ。つまり中京圏では今でもカールは大人気で、なので名古屋人が大阪に行ったついでに大量購入して地元に帰って来るというわけだ。さらには、2023年には現在唯一カールを作っている工場のある愛媛県松山市がふるさと納税の返礼品としてカールを取り扱うと、何と〈カールロス〉の東京圏から申込みが殺到して一時期受付停止になるという言わばパニック騒ぎがあったらしい。

こういう話を見ていると、先程書いた明治製菓の公式発表の「競争の激化」なるは一体何なんだろう?となってくる。普通に見れば、名古屋も東京も「失われたカール」を熱望していて、やっぱりカールは今でもカルビーポテトチップスと並ぶ「国民的おやつ」として圧倒的競争力を保持しているようにしか見えないのだ。どうもこの2017年あたりからの東日本(正確には「福井・岐阜・三重」以東)の経済は、何か常識外れというか浮世離れしたところがある。


今回はいきなり「3時のおやつ」の話ということで、前回までとは大きくテイストが違う始まり方をしたわけだが、もちろん内容は完全に繋がっている。要するに、多くの人が無意識に信じ込んでいる「日本という国はざっくり言えば一体でひと繋がり」なんてのは随分前に崩壊した幻想であるというのが、前回と今回に通底する重要なメッセージなのだ。だって、あの「おやつはカール」が東京でも名古屋でも売られていないのだから。しかも名古屋人も東京人も今なお、失われたカールを「We want カール!」とばかりに熱望しているのに … 。どうやらこの時期あたりからの日本は、東西で随分と風景が違ってしまっていると考えるのが妥当だろう。

つまり、この2017年以降におけるカールの話から推察して、そしてそこから一つずつ考えていった結果、結論としては「(原因は不明ながら)2017年あたりに日本の一般的な経済世界が『〈福井・岐阜・三重〉以東』と『それらより西側』の2つに分かれてしまった」という仮説に行き当たるのだ。

どちらも同じ「日本円」という通貨を使っていて、言葉も同じ日本語で、行き来にパスポートも必要なく、どちらも法的には日本国の制度で回っているのに、それでも「福井・岐阜・三重」を境にして東西分断が発生してしまったと … 何とも奇妙な話ではあるが、カール現象を素直に見ればこの通りだとしか言いようが無くなる。

そして人々から発せられる上辺の言葉はともかく、行動を見る限りは名古屋人も東京人もこの「分断」に苦しんでいて、そして西側の豊かな富を切望している … もちろんその「富」が何かと言えば、たったの200円足らずのお菓子なのだ。


さて、先程述べた仮説における「分断」は、文字にして書くとなかなか奇妙な感じがするが、実のところは地域でもって民間経済が分断される事自体は意外によくある。例えば統一後の東西ドイツがそうだし、8年前の米国大統領選挙で一躍有名となった「ラストベルト」とそれ以外地域との関係もそうだろう。そして長年にわたり南北の分断に苦しむイタリアのような国もある。こうして見ていくと、日本はむしろ今までよくやってたのかもしれない。ただ、贅沢品とかではなく廉価なお菓子が国の東半分で販売停止というのは、やはり奇妙と言うかいかに今の日本特有だなという感じがする。

何にせよある時期からの日本国においては、お菓子のカールにあらわれたような経済的分断が存在し、そして境界線の西側が「カール経済圏」で、東側は「非カール経済圏」なのだ。まずはこの妙な分断を認めるしかないだろう。


先ほど統一後の東西ドイツの話をしたが、このカールをめぐる分断は、実は本当に東西ドイツの事例ととても似通っているのではないか。そんな気がする。さらに言えば、今なお南北分断されている朝鮮半島にも結構似ているかもしれない。もちろんカールがある方が韓国や西ドイツで、無い方が北朝鮮と東ドイツだ。その意味では「福井・岐阜・三重」は、まるで「ベルリンの壁」や「38度線」のようなものだろう。

そう言えば、北朝鮮の民衆が韓国との絶望的な経済格差を痛感したのは、実は韓国ではありふれた「一口チョコ」や「キャラメル」の存在だった、というような話を聞いたことがある。もちろん本物の38度線のような物理的障壁は現代日本の「福井・岐阜・三重」には無いのだが、何となく妙な類似点を感じるのだ。単にキャラメルとカールの違いだけなんじゃないのか?と。

ともあれ日本にも東西を区切るような、それこそ「鉄のカーテン」のような何かがあって、そしてその東西では南北朝鮮や東西ドイツのような明確な違いがありそうだ。そして仮にそうなのであれば、ここ最近書いている「家族観・恋愛観」のような根が深そうな話題に関しても、当然ながら両者は【まるで世界が違う】だろうと思える。

というのも、現代日本にも東西を区切る「日本版・鉄のカーテン」があるのならば、その東西では必然的に、片方が自由主義経済のような普通の経済で、もう一方がかなり厳しめな計画経済・統制経済というような、まさに本物の東西ドイツや南北朝鮮のような決定的な価値観の違いがあるはずなのだ … というかそうでもなければ、民族も言葉も歴史も殆ど同じなのに分断が成り立つはずがない。そして経済とは生活の全てに及ぶので、もちろん「家族観・恋愛観」のような生活に密接に関連する事象においても、まさしく世界が違ってしまう事になる。

そしてこの奇妙で残酷な事実の提示は、前回まで問題視してきた日本における「家族観・恋愛観」の崩壊に対するシンプル極まりない「問題解決策」へと即座に至る。

それは、そもそもの時点で【西側と東側とは分かり合えない】事を大前提とすることだ。そうであるならば、もし東側の住民が「家族観・恋愛観」の崩壊に我慢がならないなら、即刻「西側」へと逃げ出して、その逃げた先でも徹底して「カール経済(文化)圏」の理屈を貫けばいい。事は困難かもしれないが、話は単純だ。もちろんそういった『崩壊」に耐えられるのならば、逃げ出すなんていう面倒をしなきゃいいだけだ。


ここで「分かり合えない」という一見するとキツい感じがする言葉を書いたが、これは必ずしも東西の没交渉や絶交をを意味しない。むしろ世の中は「分かり合えない」けど「強い関係性が維持される」ような在り方であふれている。

その典型は労使関係だろう。明らかに利害が根本から対立しているが、どんな会社でも労使双方が居なければ成り立たない。

そして労使のような関係性において、双方が必要に迫られて交わすやり取りの事を、一般に「交渉』と呼ぶ。

ここまで日本国の東西分断について書いてきたが、我々日本人に今必要なのは、どうやら東西は分かり合えず、それゆえにどうしても「交渉」が必要なのだと理解し、そして覚悟を決めてしまう事だろう。実は現代日本人には、特に「東側」に典型的な事として、どういうわけか「交渉」の概念が無いのだが、ただ、事ここにまで至れば、もうそんな事も言ってられないだろう。


ここ何回かの記事では、「家族観・恋愛観」の崩壊という深刻な事態においても、実は東と西とではまるで違うという事を見て来た。そしてその分断は極めて本質的なもので、どうやらここで言う「カール経済(文化)圏」と「非カール」とでは体制が違いすぎて分かり合う事は無理らしい。

そうであるならば、「家族観・恋愛観」のような本質的な問題であっても、結局は「交渉能力」だけが未来を切り開く。というかおそらくそれ以外には無い。そして、そう達観するしかない。

プロ野球の「トレード」を見れば分かるように、先程書いたような「逃げ出す」が成立するにしても多くの場合は交渉だ。この条件なら飲める、これは飲めない … 交渉とはそういうものであって、それは決して「あたたかさ」のある世界ではない。

「家族観・恋愛観」の話が、このような「『あたたかさ』の無い話」で終わるのは何だか異様な感じだが、その異様さの原因はあくまで東側にあって、西側にはその責任は無い。だって西側には「3時のおやつ」が象徴するような、家庭を含む共同体の観念が今でも生き生きとした体感をもって存在しているからだ。そしてその体感とは、まさにあの「それにつけてもおやつはカール」の味であり食感であるはずなのだ。