なぜか、紫波ブーム。(勝手に)

突然ですけど、
嫌なこととか、うまくいかないことがあるのは
当然のことですが、それを解決するには
時間をかけて「経験して学ぶ」ことしかないと思います。

だから、葛藤することは良いことです。
自覚しはじめた証拠です。

しかし、村にはいろいろと長い歴史が埋まっています。
長い間、代々の古い家などは、そう簡単に解決できないほど
依存し続ける見えない力というものは、確かにあります。

その重みをずっとそこに住む人が長い間背負ってきたけれど、
なかなか解放されないままでいると、
それを放出する手段がないから、口寄せなどが関わってきました。

そんな地域があったとして、
そこに突然、転勤です。と言われて長い間、
異国人がやってきて住むとなるどうなるか?

忘れていた狼の力を頼ることになる。

Oh~、My Dog (犬じゃねー)


狼を以て狼で征する。

それは、山に漂うモノとの対話を「狼が成し得ている」

ということなのです。

岩手県は奥深い。

 

 

 

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意外にも東北地方に三峰信仰が多く伝わっているのですが、
もたらしたのは、武蔵の武将、特に秩父氏たち。
地元、秩父ではまず知らないでしょう。
私もまったく知りませんでした。

前回と続けて紫波町のこと。
古代の紫波は「斯波(しは)」でした。

とんで福島県。
福島原発がある地区、標葉(しねは)が染羽を由来とし、
志波(しは)と訓読みするのでした。


それで、狼信仰が伝わる東北地方の特徴は、

紫波(しわ)=秩父氏武士団=三峰神社=狼
志波(しわ)=越智氏武士団=山津見神=狼

と、いう構図。

関東・東北の東日本にかけて狼信仰が広まったのは、
関東の武士団が広めたものだと思います。

三峰とヤマツミ連合みたいな感じか。
ヤマツミは、大三島の越智氏軍団。

でも、大三島の大山祗神がヤマツミの総本山としても、
本家は狼信仰はなく、眷族も狼ではない?
これは後で妄想します。

 

 

 

 青麻神社にある三峯神社

 

 

こちらの狼さんは、青麻神社の奥山にまつられています。

 


 

珍しいですね。
青麻神社については、後で記載しておきますが、

祭神は、
国常立命、
大日霊貴命(おおひるめむち)、
神日本磐余彦命(神武天皇)を、


お祀りしています。
創建由来は不明。



国常立を祀るのは、
青麻神社が天之御中主神だからです。

先に狼さんのこと。

 

「お狼さま」

 




岩手県紫波町:三峯神社
祭神:イザナギ・イザナミ 
御眷族:お狼さま(おいぬ)指差し

 

 




看板より

『当社は火災、盗難、獣の害を防ぎ豊作、商売繁盛、家内安全に御利益が
著しいといわれ、崇敬者が多く江戸時代後期には、
盛岡、日詰、花巻、土澤など近隣各地の崇敬者も集まり、
多数で講を結ぶに及んだという。

勧請について明らかではないが、1853年3月28日、
青麻別当善養院19代至興法によって再建されたといわれる。
また、1858年5月、日詰、花巻、土澤の崇敬者が奉納したという
御眷族のお狼さまが祀られている。(省略)』


※江戸時代、狼が人を襲うようになり、

岩手県では狼を駆除していたが、遠野では狼を祀ると狼が去る、

という言い伝えもある。

この時は、村田町で狼信仰の企画展をやっていて、
狼さん(二匹)は出張中でした。

 

目がくりっとして可愛い~おいぬさんでした。

 

(過去の情報です)

 

 

 

 関東武士から影響された狼信仰

 

 

秩父の狼信仰といったら三峯神社。
他に宝登山や小さいお社にもおいぬさんが多いです。

畠山重忠は木を崇拝する傾向があるので、
おそらく熊野信者だったのかもしれないですね。
紀ノ国のイソタケル。


出羽三山の碑

なぜここに三峰神社なのかは、
畠山重忠に影響された関東武士が祀ったものだと考えられます。

頼朝軍側の紫波町に畠山重忠か?子孫がいたということもあり、
畠山氏は坂東八平氏の一つである秩父氏の一族で勢力を広めていました。

深谷(埼玉県)を領しており、父は秩父の吉田にも居住していた。

 

 

畠山重忠公(畠山重忠公史跡公園)

愛馬の名が三日月。

 

 

馬を背負って峠を越える重忠を歌川国芳が絵図にしていることから。

 



同族に豊島氏、河越氏などがいて豊島氏は、
宮城県の石巻にいた葛西氏になります。

秩父三峰神社によれば、鎌倉時代、畠山重忠と新田義興などが、
三峰山信仰を広めたとある。

確か、新田という人も岩手県にいたと思います。

畠山重忠が三峰神社の拝殿前の御神木を奉献されたこともあり、
九州の高千穂神社にもご神杉(秩父産)であり、
これも畠山重忠が奉献されたと伝わる。


また、鹿児島に女性の被葬者もある
大塚古墳群の一部に秩父彦を祀るよう島津氏に命じた
話もあるほど、有名な武将です。

 

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『白鹿に化けた邪神が道をふさいだ。
ヤマトタケルは山蒜で退治すると、
山が鳴動し霧が発生し道に迷った。
すると白狼が現れ、導いてくれた


という伝承が御嶽山にも残されていますけど、

噴火と地震な気もするのですね。

宝登山は、火に囲まれますが、焼畑のことも指しているでしょう。

狼信仰とは、ヤマトタケルの導きの伝承が主であり、
まるで狼が金鉱脈を教えてくれたみたいに聞こえてくる。

三峰神社は、イザナギとイザナミの二柱を祀る。

狼の導きがあったおかげで、東国征伐に成功した事で狼が重宝された。
東北では、源氏の軍神にされていますが、本来は導きをする山神です。

畠山重忠はこの武蔵御嶽神社に、鎧や太刀などを奉納しているため、
武士の間で狼信仰が流行ったきっかけや、太刀や甲冑を
神社に奉納するのを広めたのも、畠山重忠だったでしょう。

戦いの神が、いつの間にか狼に変わっているわけで、
「戦勝を導く神は狼」と、考えていた関東武士団でした。

武甲山にヤマトタケルが兜を置いた伝承を残したのも、
神社に甲冑や太刀を奉納する秩父平家のあり方を、
武甲山がご神体であった為に伝承されたものでした。

狼信仰と武甲山は関係ありませんが、
蔵王権現を祀っている武甲山のため、
武州御嶽神社と同じように吉野修験から関東武士団へ伝わったものと考えられます。

畠山重忠の人柄は、優秀な武将で周りから信頼されていた人だったと言われます。

こんな話が岩手県にもあります。

「久慈港にある諏訪神社の伝承によれば、
義経討伐の命を受けた畠山重忠が、逃げのびんとする義経の姿に対し
哀れみを感じ、わざとその矢を外し境内の松に刺したと伝えられる。
諏訪神社ではその時、矢がご神体としてまつられている。」


諏訪神社なので、矢を射るご神事(御狩の儀式)
を行ったことを伝えていると思いますが・・・。

 

場所は、道の駅の近く(裏山の方)
 

 

 国宝の島 大三島

 


頼朝と共に東北へいった関東武士団は、東北の太刀の数々を、
なぜか、大三島の大山祗神社に奉納しているのです。

 

 

 

大山祗神社の宝物館は、日本に現存する国宝、文化財級の甲冑や太刀などが、
40%も集まっていると!

ここに奥州鍛冶の太刀や甲冑などが大量に集まっているという。

舞草刀の他、住田町、早池峰や、紫波町の神社(不明)の太刀など、
東北各地にある太刀を大三島に持ってきている!

大三島の大山祗神社は、全国の山祗神社(山積見)の総本社です。

創建由来は、2600年前の神武東征に始まるとの事でかなり古いですね。

たぶん、今治だから「丹生」なんでしょ。
秩父もそうだから。

伊予の古代大豪族といえば、
越智氏・小千天狭貫(おちのあまのさぬき)という人。
この方を祀っています。
九州王朝がルーツらしい。(梅の家紋)

 

だから、最強、海民!

ヤマツミとワタツミ

小千は、オチではなく、元々「こち」と読んでいたそうです。

ちなみに、川崎町(宮城県)にある熊野神社境内にも
三峰神社の小さい祠があります。
ここは、伊達氏に仕えていた砂金氏が建てたと。


三峰神社(川崎町)

「さきん」と読んでしまったのですが、「いさご」さんです。
だから、そのまんま砂金?
元は「菅原」さんと言い、先祖は源義経の家臣で、
衣川の合戦の後、川崎砂金に住んだという。

良い所にある山里の神社です。
たそがれている「木こり」がおりました。

 



ということで、東北地方の三峰信仰についても
ぼちぼち時間ある時にでもまとめてみまーす。

まだ、紫波町は続きます。