経埋ムベキ山(きょううずムベキやま)とは、
宮沢賢治の手帳に遺された
埋経を示唆する32の山々のこと。

もちろん、二本松は福島なので、
宮沢賢治との関連はありませんが、

この世界観にはひかれます。

 



「宮沢賢治の死後、親族や友人の手によって、
経埋ムベキ山に実際に埋経が行われている。

畑山博の研究よって、
山々は、はくちょう座、わし座、たて座、
いて座を表していることが指摘されている。」

(wikipedia) 他のバリエーションも有。

宮沢賢治のすごい所は、
経塚とは、星へ返すことをわかっていた事。

 

 

 

隠津島神社の経塚

 

さて、
全国的にも大量の(3000巻くらい)の
経典を集めているのは、名取熊野神社文殊堂です。
他、中尊寺のみ。

日本海の弥彦神社など数々の寺社、
塩釜神社もそうですが、
僧侶たちの手で書かれた手書きが多く
保管されているそうです。

その時間は、何十年と生涯まで続くほどの
作業だったといわれる。

なぜ、名取に集中して集まったか?
詳しいところまでわかっていません。

日本海と太平洋の交流をしていた
浄土思想があった為とも言われ、
それが末法思想の頃でした。

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天気が良いので、久々に阿武隈山系の山に
登ろうと思っていたのですが、

前から気になっていた木幡山の経塚へ
行ってみたくなり、
2年ぶりの「隠津島神社」へ。

 

 

 

 

 

 

 

正観音菩薩が多いです。

 

 

 

 

 

 

 

本殿裏に岩盤があって、

磐がむき出している山だったのかも。

 

 

養蚕社

 

 

新しくなった養蚕神社

 

 

養蚕神社の裏から登ります。

 

10分くらいであっという間に登れます。

 

 

 

 

山に入ってみると、思いのほか、

明るくて植生が豊かでした。

 

 

 



「昭和54年県の史跡に指定された経塚は、
末法思想が盛んだった平安末期にお経を埋めたところで、

木幡山の尾根に一線上に経塚6基が並んであり

円形・長方形とさまざまで、
径が2~4m、高さ1m前後で中央に石室があります。

 



経文を埋納した容器や搬出物の完全なものは、
盗掘にあい失われていますが、
木幡山より出土したといわれる経筒が
奈良の国立博物館に保存されています。

 



この経塚からは、和鏡片2、刀子2、古銭(宋銭)、
須恵器、土師器片などが多数出土しています。

経塚群の西端にある立石の基部付近からも土師器、
古銭が出土しており藤原時代12世紀の
経塚と見られ県内でも、重要なものです。」

 

こちらのサイトで(↓)見ることができます。

※収蔵品データーベース

 

 

 

 

 

 

 

暖かくなったら、羽山までいってみます~。

 

 

人類はやはり根本は変わっておらず。

1000年前、多くの人々は
世の末じゃ~と必死に生涯をかけて
経典を記し埋めてきた。

世があけることを願って。

 



1000年たってみれば、
私みたいな人間が、

のこのこやってきて、
バシバシ写真をとって、

良い森っすね~と言って
さっさと帰る。ヒヨコ

 



・・・まあ、いっか。

と、1000年前の人たちが
そう思うのだろう・・・か?笑

 



おかげさまで、
のほほん探訪ができることが、
幸せです。

 

森は、変わらず、

毎年、美しい色をみせてくれています。

 


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さて、ここへ来る前に
この看板を発見。

歩いて・・・20分・・

・・・行ける。キョロキョロ

ということで、ディープすぎる森へ行ってしまった。

 

 

 

深い!

暗い!

でも土が軽い!!

 



次は、せっかくなので、

今までいってきた
阿武隈山系の巨岩たちを紹介しまーす。