揺れるなかでのツツコPart2

天栄村から石川町へ向かいますと、
ここにも都々古別神社があります。

 



巨石がいっぱい~♪
「いわつつこわけ」神社のツツコの由来が、
「ツトコ」であった説。

※南三陸の話し。

ツトコ明神といって、山内家の本家、
別家では高野山の巨石に6か所のツトコ(苞=つと)を立てる。

わらをすぐってフクダを取り、根元を編んで藁苞を作って立て、
中に幣束をさし立てて拝むのです。(写真下)

 



ここも巨石の神行堂山(南三陸)

2017年8月に行っておりまして、
栃木県に帰る途中に立ちよったと思います。

 



車を駐車して入口に入る時に、
宮司さんが車で入ってくるという一緒の
タイミングだったのを覚えています。

 



御朱印帳もってますか?書きますよ。
と声をかけられて、持ってない事にちょっと悔んだ・・・

 



車を止めた場所は、「鏡岩」のある場所でした。

赤文字で小さくパワースポット。ニヤニヤ ちっさ。

控えめなところが好感もてる。

かっこいい本殿なのよ~。
アジスキさんらしいなぁ。

 

 

 

高野槙

石都々古別神社の由緒(看板より一部)

『ご祀神 味鋤高彦根命(アジスキタカヒコネ) 
(本土創造、農工業の神)

大国主命(商売、成就神)
誉田別命(戦、武軍神)


延喜式内社のひとつに数えられる古社で、
古くから山岳信仰の聖地として
多くの方々に信仰崇敬されてきた。

 

※本殿裏に、剣石があります。
共に祀られているのが、諏訪神でした。

 



また、全国的にも数少ない祭祀遺跡の跡地として
考古学的にも大変重要な遺跡と言われている。

約1万年前から信仰されており、

多くの磐境(いわさか)が山々に点在し、
屏風岩、船形岩、亀石、天狗石、石門(鳥居)、
さらには三種の神器といわれる剣(剣石)
玉(勾玉岩)、鏡岩等がある。

 



古代、この地において多くの土着民が集まり、
自然崇拝や太占(ふとまに)、
深湯(くがたち)等の神事が行われ、
1年間の吉凶や物事の神意を占ったとされる。


京都の住人、福田安芸源有光(ふくだあきのかみみなもとのありみつ)が、
1051年奥州の安倍一族追討の軍に加わり(前九年の役)
多大な功績をあげ、その後、天皇の命により、
八幡太郎源義家の代官となり、この地を賜った。

 


※諏訪神社


1063年のこの地に移り、名も石川有光となり、
さらに1066年守護神である京都石清水八幡宮の
御分霊(大国主命、誉田別命)を頂き、当石都々古神社に合祀した。

 

 


※多賀神社


この日が、旧9月19日であり、この時よりこの日を祭日と定め、
ご神体を納めた神輿が氏子等の手により、

山頂神社よりふもと馬場町御仮屋にお下がりになり、
奉納行事や流鏑馬などが行われていた。(以下省略)』

 

※祖霊社


ということで、1万年前というのは、花崗岩とか阿武隈山系とかの

隆起した岩盤が古いということなのでしょう。

それがむき出しになっているからですね。

 

 

山中にあったものを先住民が祈祷し、

そのまま神社にした感じがします。

人工的?なテーブル岩もありました。(小さいけど)


この場所は、昔から湿地帯だったので、
無数の芦(あし)が生えていたそうです。

石川家は、527年もこの地を支配し、
神域は中世の山城としても遺跡に指定されていた
との事で、石川城跡があるんですね。

 



ちょっとチカツのこと。

ツツコが、チカツと関連していることから。


千鹿(ちかつ)とは、ガーさん曰く、
「モリタク(ミシャグチ)が千頭目の鹿を射止めたことにちなんで
千鹿頭と名づけた」と伝わる。

弓術に長けた狩猟民族で、諏訪地域や諏訪にちかいチカト神社
ほど、現在もこの表記が残っている。

しかし、漢字到来よりはるか昔につけられた名であるため、
本来は「シシ」の肉であり、
千の鹿とは関係なく(後で「カ」を鹿とあてた)
本来の名前を隠すためでは?という説。(本来が何か謎)

むずいが深い。

 

 

 

 



住吉神は、龍ヶ塚古墳(天栄村)の祠も住吉神の后神説があるため、
熊襲征伐があった神功皇后と繋いでいる。
なので、誉田別命を祀っているのです。

ツツコも龍ヶ塚古墳の主と関係しているでしょう。

 



神功皇后は、妊娠してから朝鮮半島に出向いた時、出産を遅らせるために、
美しい石を腰につけて出産を遅らせるように祈ったところ、
筑紫国に帰国してから出産できたので遅らせることが出来た。
という伝承があります。

とにかく「石」を女性にたとえる事は多いですね。

 



アカルヒメ(新羅王の妻)は、メノウという石。
神功皇后は、石を出産に用いた。

長野県に多い黒曜石は、山形県の玉川遺跡にも見つかっています。
各地にあるのですが、玉川遺跡は、事代主です。

 




トベ研究の津名道代先生も、
トサの十三なり土佐の地名というのは、
先住民の信仰があると言ってました。

その土佐神社も、味鋤高彦根神と一言主神を祀っているのです。
自然石を磐座(イワクラ)として祭祀したものと考えられ、古代に遡ると。

なので、石信仰が諏訪とアジスキ~と関係していると思います。(ミシャグチ)

 



賀茂氏の祖神がアジスキタカヒコネなんですね。
高鴨神社等の祭神、別名・迦毛之大御神(かものおおみかみ)と呼ばれる。

古代製鉄民で、彼らは、ネイティブな人々です。

すべての世界は、皆が共有する財産なのです。
個人で所有したり財産を得るという概念がない。

 

 

 



渡来人が何を欲しているのかわからないから、

騙されたこともあったと思いますし、
求める必要もなかったからね。

 

 



今だってそうですよね。
どうしてほしいんだろう?と思うことばかりですよ。

過去の歴史は、ずっと今も続いていることはあるのです。

ちなみに、埼玉の横穴古墳は黒岩遺跡といい、
ふもとに神社があり、アジスキタカヒコネを祀っていました。

荒川沿いです。

 



狛犬は、小林和平という方(明治時代)の石工の作品です。

親子でかわいんだよね~。

こっちみてるよ~。

「戦後は手彫りで狛犬を制作する石工は激減し、
現在は新規に奉納される狛犬のほとんどが中国製である。

小松家、小林家だけでなく、日本全体で、
手彫りの石像彫刻芸術を生み出す環境が途絶えたと言える。」


小林和平で検索してみてください。
熱い師弟関係の話しがあります。(職人魂)

 

 

 

アジスキ~さんのことを書いていると、

ネイティブな人々は、今のこの地球をみてどう思うだろう?

と考えることがあります。

 

どんどん壊してますから。

社会と断絶して自分だけの世界をつくっても、

同じ地球で生きていれば、変わらない。

 

結果、宇宙人に救いを求めて脱出?

自ら地球にやってきたのに?

もうそこ求める?

①の最初に、夢のこともあってさらっとエンキと書いてましたが、
鹿舞という「しし」については、
獅子舞のライオンとは全く別ものです。

『大陸系のライオン獅子舞は、死者の墓守りが起源です。

遠くエジプト・メソポタミアの墓守りだった合成獣スフィンクスが、
中央アジアを経て中国に伝わりました。

一対で一つの墓を守る(=封ずる)この獣は、
中央アジアではまだ合成獣でしたが
(ライオンの胴体に鳥の翼をもち人面)、

そののち中国に入ってからはライオンそのものとなって、
廟(墓)の前に置かれるようになりました。それは狛犬として
日本にも伝わります(神社はもともと廟=墓だった)。

もともとは死者に対する舞踏なのです。
日本のライオン獅子舞はこれが伝わったものです。』


その狛犬をつくっている多くが中国だから、

必然的にそうなるんだと思います。


東北では鹿神は、「シシ」なので、肉の意味でもあり「山の神」です。
動物儀礼の狩猟からきている信仰なのですが、
(諏訪神が鹿の頭を奉納するように)

『もののけ姫』の鹿神も、やはり鹿らしい。

何のために祭をやっているのかは、
過去に行ってきた先祖たちの争いの制裁を、
地元や子孫が、長年継続して「政りごと」をすることで、

解消していると思っていたが、

 

元は、東北各地に多いホンダワケ(八幡神)が祀られるように、

後からきた渡来人がそれを継承していた。


しかし、先住民に罪があることを認めていることにもなる。

そこに苦しんでいる大地がある。

こればっかりは、地元の人たちの意識に関わることだから、
他人がどーのこーの言うものでもない。

まだ長い時間がかかりそうだ。
秩父は、特に。チーン

 

なぜ、私は秩父ではなく東北で鎮魂しているのか、

わからない。

武甲山のために始まった行脚だから。

(昨日、武甲山の山開きでした)

神社もいろいろな面があり、
いろんな顔をもっています。

そして歴史は、残酷なのです。

暗い話しになってきましたが~、
最後に、降臨した土蜘蛛たちへ。

昇天してもらいたいよ~。