最初、洞口家を聞いたときに「大洞(おおぼら)」を思い出してしまった。
関連性はありません。

ここでは「洞」について、
いろんな意味を含んでいそうなので書いておきます。

闇の世界の話し。

エミシ征伐の由縁がある寺社は、
ほとんどが「大同元年」か「大同2年」の創建由来が多い。
実際は、違うのですが大同2年にしたい理由がある。

 

大同年号は、806年~810年の間のことをさし、

コロコロ天皇家が変わっていた時代です。

この頃、全国であいついで噴火があったことも示唆され、

北海道の歴史でも、アイヌ紛争との関連があるそうです。

『東北学/忘れられた東北』赤坂憲雄著に、
大同のことについて触れてました。

「大同2年に窟の奥で悪路王は死んだ」

一関の達谷の窟。
田村麻呂伝承がある岩で、毘沙門堂の由縁があります。

801年(延暦20年)、坂上田村麻呂が
岩に籠っている悪路王と激戦し、ついに打ち破った。

田村麻呂は多聞天(毘沙門天)の加護により、
蝦夷平定が果たされたことを喜び、この地に毘沙門堂を建立したと。

 



名取には、田村麻呂の将士としていた家がある為、増田川には毘沙門堂が建てられたと言われる。

そんなことが、洞とどこか繋がっているような気もします。

赤坂憲雄氏によれば、
柳田国男の『山島民集』に、
「大同ニ年はなぜか知らぬが我邦の伝説の上で
極めて多事なる年である。
殊に東北地方では弘法大師も田村将軍も共にこの年を
期して大に活動して居る」と


「大同は、大洞(おおほら)かもしれない。
洞とは東北では家門または族ということだ、と書きつけていた」
大同家は遠野の草分けのイエのひとつである。
その旧家をめぐって『遠野物語』ではいくつかの話しが分けられている。


『遠野物語』では、

「村々の旧家を大同と云ふは、大同元年に甲斐国より
移り来る家なればかく云ふとのことになり。
甲斐は南部家の本国なり。」


甲斐国と南部家といえば、
上阿仁村(秋田)のマタギ伝承で、安東家の話しで書いてました。

室町時代に安東氏は、幕府と直接主従関係を結んでいて、
関東・東北の武士がそうだった。
この扶持衆の中に甲斐武田氏がいた。

 

※十三湖(wikipedia)

関係しているかわかりませんが、
安東氏は、水軍が強くて十三湊のトサとして有名。
この湖も、地震の津波で壊滅して遺品などが沈んでいると聞いた。

そうだ、その湖に、イスラエルの遺品があったんだよな~。
ユダヤ関連の話しを聞いたな。うるおぼえ。
熊野水軍との関連もあると思う。

早池峰や六角牛山などの遠野の古社は、
大同年間の創建と伝えられ、人柱をもつ古い堰が
大同の堰と名付けられていると。

遠野だけではなく、岩手県一帯、稗貫、和賀、江刺、閉伊など
の地方ではものごとの起源を語る伝承のなかには、
しばし大同年号が見出されるとの事。

 

■噴火による蝦夷平定-----------------------------

 

噴火とエミシの暴動には関連性があると思います。
北海道の歴史でもアイヌ民族の紛争と噴火は関連づけられます。
例えば、17世紀、北海道の火山駒ケ岳の噴火(1640年)
有珠山が1663年、樽前山が1667年に噴火している。

これには、1643年のヘナウケの蜂起の範囲が含まれ、
シャクシャインの戦いの契機となったアイヌ間抗争の当事者であると。
アイヌの集団メナシクルとシュムクル両者の勢力範囲が、
有珠山の噴火と樽前山の噴火の降灰域に含まれている
のだそう。

 

https://www.juen.ac.jp/shakai/kotaro/gyoseki/abstract/Eruption%20and%20Human%2017th.htm

 


噴火により、この地域の森林や河川の環境を悪化させ、
生態系やアイヌの生業に悪影響をおよぼしたと考えられる
そうです。

年表(note)をみてもおわかりのように、
最初に出羽国に蝦夷柵を置いたきっかけは、
鳥海山の度重なる噴火と秋田の大地震でした。

 

※鳥海山 『やまがた山』より 


そのため、天台宗の円仁が大阪四天王寺から布教活動にいっている。

噴火による社会の混乱が蝦夷の暴動になった為、
朝廷は蝦夷の地である東北(日高見)を治めるためには、
噴火を鎮めなければならない、と考えたわけです。

なので、鳥海山の大物忌神社が昇格しているのですね。

 

ただ、富士山はどうだったのか、謎がありますが。


そのため、至るところに大国主と少名彦を祀ることになります。
実際、温泉のある所に多く祀られているため、
火山帯である地域に祀られているのです。

非常に興味深い話しなのですが、「大同2年」の年号が、
みちのくの歴史に刻まれた鍵になっていると。

やはり躍動している地球のエネルギーというのは、

人々の精神に混乱をきたすことになっていた。

 

火山を崇拝するアペな民族は、祝いであると。

しかし、その裏で大混乱が起こっていたわけです。

 

民族によって自然に対するとらえ方は違うので、

歴史を深く読みとくには、自分のアイデンティティーなるものから、

ブレないことが大事。

 

心の御柱を大地にうて、と。

ずっと前から何度も言われながらも、セブンイレブンのメロンクリームパンを

食べながら書いてます・・・。

 

食べるのが好き。とか言ってる場合なんだ。

本気だせない。チーン

 

■蝦夷平定と毘沙門天の関連----------------

 

やたらと毘沙門天と繋がる。(エミシの地だから)

そこに行ってしまう。(エミシおっかけしてるから)

夢にもでてきた。(立派な中国の将軍の姿=生まれは騎馬民族だろう)

 

※成島毘沙門天(花巻)

 

ちょっと思ったことがあり、なぜ、エミシ平定に毘沙門天なのかは、

花巻の成島毘沙門天にヒントがあり(奈良にもあります)

これは兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)

というもので、天女が下で支えています。

 

混乱するエミシの地を鎮護する毘沙門天を、坂上家により祀ったとされます。

 

※増田川にある毘沙門天の森(左)

 

ヒマラヤのタリム盆地あたりが発祥で、兜跋は、チベット=吐蕃(とばん)のこと。

名の由来は「偉大なチベット」の意味であり、トバツに転じた。

 

※『朝拝梅里雪山』 黄豆米著

 

かつて吐蕃王国があった梅里雪山・ 卡瓦格博峰(カワクボ)の

宮殿内にある壁画(年代不明)

大陸の深い山脈に住んでいた騎馬民族が、ルーツです。

 

※卡瓦格博峰集落(雨崩村)に住む人々。『朝拝梅里雪山』 より

 

兜跋毘沙門天の由来に、

 

『金の鼠が現れ、敵兵の弓を食いちぎった。

逃げ遅れた敵の老兵を殺そうとすると門の上に毘沙門天が現れ、

それを諫めた。』

 

毘沙門堂古墳・・・古墳なんだ!!

どうりで・・・。

 

エミシ崇拝には、大国主が関わっているとされる。

大国主は、ネズミとして現れます。

その鼠を毘沙門天がやっつけたと。

金の五行説とネズミの「子」十二支が関連しており、

「夜に動く」時間帯をしるし、中国の『漢書』では、新しい生命の種子の兆しの意味。

 

つまり、エミシなり大国主という「子」の世界は、闇であることを差している。

その闇を支配する水神は「クラミツハ」だとか。

 

善と悪を説明するために、闇を置いただけのことであり、

本来は、同一であるべき世界です。

 

 

新しい日の出の直前にみる闇を司る力が、強かったのかどうか。

鶏の鳴き声で中断した階段の伝説があるように、

新しく目覚めることへの恐怖心がみえる。

神話は心理学でもあるから。

 

蝦夷征伐の話しは、西洋の思想(大陸の歴史)が入っています。

善悪二元論です。欧米型というか騎馬民族の発想。

 

中国の将軍には、必ず天女なる知識人をそばにおくそうだ。

であると、毘沙門天は闇を克服した?

 

 

なんだかわからん。

けど、よくある話だ。

まあ、不安がない世界がいいに決まっている。

 

※カワクボ峰(中国)

 

大陸の峰々をみながら日本に渡り、東北の山脈をみて、

故郷にはせるのは、当然のことです。

 

 

また、夜に関係するものであり、闇の静けさに対する暗さや見えない世界、

といったアニミズムな精神も深く関係しています。

盲人が巫女をするのは、そんな意図があるから、

あの世=闇と考えられ、その橋渡しをする人を、事代主といった。

それが、エミシの実態であると。(精神世界では)

 

朝廷は、あの世の世界と繋がる黄泉国を拒否した。

そのため、毘沙門天の思想をおき、光に根ざす信仰としたのでしょう。

 

 

名取老女の子孫、虹乃さんも、「神様は夜に動く」と聞いていたそうです。

名取老女を導いたヤタガラスは、夜にやってきたからと。

 

そんなエミシの世界は深いんですけど、闇にされたから表に出てこないんかな。

 

 

さて、話しは変わり、名取さんぽで見つけた白山社。
かわいいおばあちゃんな白山姫を祀っている社を、
最後にご紹介します。

つづく