鶴供養碑に行く途中、気になる看板がありました。

 

看板より
『東福寺・慶勝寺跡


堂平山直下のこの地には、9世紀と見られる両面布目瓦と言う
史上に珍しい福島一ヶ所と此々だけに見られる物と
平安時代の内黒系切台土器と、その時代の木炭が一緒に
出るので、現地での生産があると思われます。

 

此の東面一帯平場が有り多数の人が生活していたことが伺われます。
中心地を通り最上段部で左右に分かれていることが見えます。

右に一寸ずれた所に寺跡とみられる基盤があって礎石が残っています。
この寺の御神体は堂平山頂上盤座と西面一帯の巨石群が神降り来る聖地なのです。』

 

 

巨石群と「神降り来る聖地」と、地元の人がそのような意識をもっている事に、
ちょっと安心しました。


聖地とは、住んでいる人が精神的に自立している環境で守られている場所です。
他人が来て感じるのとは違います。

丸森の信仰の深さには、岩場の多い阿武隈山系が含まれています。

 

 

森の中は少し荒れていて入りにくく、外からちょっとだけ礎石らしき
ものが見えました。

 

 


確かに、何かがあったと思うような森の雰囲気。

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さて、歴史の話し。
ここにエミシがたくさんいたと考えられる理由に「内黒系切台土器
というのがあります。

 

「内黒系切台土器」というのは、素焼の土器の内側が黒い土器で、
縄文時代~弥生時代にも見つかっています。
この技法は、水分が土器にしみこんでしまうため、
水などの液体を入れておくことができません。

 

黒色土器は、土器の内側を磨き、黒い物質(炭か動物の脂:黒漆など)
ですきまを埋めて水分が染み込まないように工夫されています。
なぜ黒色にしたのかは、わかっていません。

百々遺跡(南アルプス市百々地内)から出土した平安時代(約1,100年前)の黒色土器

 


※山梨県教育委員会埋蔵文化センター
https://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/mai-bun_center/yogoshu_kagyo/kokusyokudoki.html

 

この土器の特徴が、どこから生産されたかを「新・筑後潟の風」
から引用します。

 

陸奥北辺地域では、古墳時代後期にあたる6世紀中頃以降、
土師器の内側を丁寧にミガキ、黒色処理する手法が一般化した

7世紀後半には、中央の土器の器形やその組み合わせ、製作技法など(律令的土器様式)
が導入された。


すると在地で生産し消費される土師器にも影響が及んで、
新しい器形が登場し、食器の種類が豊富になる。

やがて登り窯が導入され、より硬質の焼き物である須恵器の生産体制が確立すると、
新器種は須恵器にとって代わられ、減少し消滅していく。」

 

九州の大宰府に、このタイプの土器が発見されたそうです。
筑紫では、このような土器は少ないので、
エミシが九州までやってきて生産していたと考えられるそうです。

 

※奈良又川

 

「やや大きめの皿状の器種、盤が出現する。
盤は、7世紀末~8世紀中頃までの城柵官衙とその関連遺跡を中心に、
寺院や終末期古墳などで使用される。
代表的な遺跡としては、仙台市中田南遺跡、多賀城市山王遺跡、
東松島市赤井遺跡
などが挙げられる。」

 

「服属した蝦夷(俘囚)を強制的に諸国へ移住させるという政策を実施している。
この目的は、国家に頑強に抵抗した蝦夷を遠隔地へ分散的に移住させることによって、
勢力を分断し、弱体化させることにあったとみる説が有力である。」

 

詳細は、こちらのサイトへ。

※新・筑後潟の風
http://tsukushigata.webcrow.jp/works35.html

 

「分散」というのは、家族や故郷から離れさせることで、
精神的に弱らせるやり方。
その方が戦わなくても支配しやすい。

 

東北は、今もそれが続いているのです。
どれだけ多くの家族が遠くに移転させられたか。


そのことについて、地元の人たちが、どれだけわかっているのか。
関東人はそう思う。
あの頃のエミシの魂を奮い立たせてほしいですね。

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という事なので、丸森大内にその系統の土器が見つかっているのは、
エミシがここで土器を作っていたわけです。


それが寺院になっていることは、宗教的な要素をもっているとも言える。

それにしても、なぜ堂平山なんだろう?

地元に伝わる伝説。

 

「昔、この山には十二の寺院があった。
中心の寺院名を堂平山東福寺または堂平山慶勝寺と称し、
一大勢力を誇っていた。


この寺の田がふもとにあり、ゆえにこの集落を東福田と呼ぶようになった。
本堂を中心に両脇に鐘楼ほか附属の建物、正面には池という伽藍配置で、
南北朝時代、霊山城が落ちたとき、この寺も戦災に遭い跡形もなく焼け落ちた。

このとき、金銀財宝や貴重な漆を山内に埋め隠し、
本尊を運び出して祀ったのが金山杉下の阿弥陀堂である。」

 

たぶん、金山という地名は、マリア観音堂があるあたりだと思います。

(杉下の観音堂とは違う)

 

 


鬼形山とか鬼らしい山がある場所だったかな。
のどかな場所ですが、台風で大きな被害があった所でした。(奥にいくと筆甫です)

また再び、平穏が戻りますように。

 


タタラ場もあり。

 

丸森には巨石群の山が非常に多いです。
先月だったか、少し大雨が降った時があり、仙台市でも警報が発令されました。
この時も丸森町の降水量が多かったのです。

 

堂平山のそばには、岩岳があります。
堂平山に登っていないので詳細不明ですが、岩岳には一度登ったことがあります。

 

 

堂平山には、ラドンが多く含まれているそうです。

 

ラドン効果」という言葉がありますが、
地球上に存在する自然の放射線です。


ラドンはガスなので、呼吸だけで肺に送られる為、
血中におくられたラドンにより、細胞が活性化するとして、
温泉地ではラドン浴などと言ったりします。

 

岩岳は、「阿武隈渓谷県立自然公園」となっていて、
学術調査では、花崗岩のトア(岩塔)があり、他の地域のトアに比べて、
その数が規模ともに際立っている
そうです。

 

 

 

トアが難しいのですが、8000万年前頃のマグマが固結した花崗岩の形成は、
日本各地の山中にあり、阿武隈山系と北上山系も同じ。
茨城県もそうですね。最も古い。

 

※阿武隈山系のトア(岩がみえている)

 

阿武隈山系の山は、固まった岩(トア)がよく見えているわけですね。
山中から出てしまっているというか。
深く埋まっていないので、目立つのです。

 

 

例:兵庫県高星山の天狗岩=これもトア。(およそ170万年前)
(兵庫の山々 山頂の岩石より)

 

 

最も有名な、巨大な道祖神。(丸森立石)

 


弥生時代頃からの土器が大量に見つかっていますので、
ここもエミシがたくさんいたかもしれないですね。

ここにも源義家がきてるらしい。

 

この下に土器などの遺跡が発掘された石。


おそらく、エミシたちは岩場を住処としていたのだから、

源氏も巨石探訪をしていたのか・・・。
飯舘村の山津見神社の狼伝承も同じく、虎捕山も巨石の山です。

 

難しいですが、以前、「重力が強い」として、
「カラパイア」の情報から得た画像です。

 


太平洋側に最も重力が集中している。
花崗岩の種類によっては、放射能(ガンマ)が微量に放出しています。

山陽帯のストック状岩体が特に強放射性であることがわかっています。

 

すこ~しの微量ですが、南より北の方が「重力値」が高いです。
例えば、沖縄で買った金塊を東北に持っきてはかると、1グラム大きい値になる。
これでは問題になるので、同じ物がどこにいても同じ重さにはかれるように、
基準を設けることを、「重力値」というそうです。

 

東北・北海道では、南に比べて重力が重いことは証明されています。

重力が高いということは、地球の引力と遠心力の合力とされます。


場所や時間によって異なり、互いに引っ張りあうような事です。

例えば、高いところから低い所に水は流れますが、
平坦な場所に水をたらすと水は動かないのか?


実は、これが地中のカラクリで、
平坦な所で水を流すと、重力が強いところに水が流れていきます。

 

※国土地理院


水は磁石の力によって動きますね。

水で重力を測定し、標高の高さを測るとは、自然界ならでは!

 

「重力値」というのは、水の流れを知るための標高を決定できる。
物の質量の測り、活断層の調査などで、研究されているそうです。

 

詳しいことは、こちらへ。
※国土交通省 国土地理院
https://www.gsi.go.jp/buturisokuchi/gravity_JGSN2016.html

 

これは感覚的に、なんとなく東北地方が暗いような、
重たいような感じを受けるのは、影響しているのかもしれない。
秩父も岩盤の上に町ができているので、非常に重い土地と感じることは多いです。
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人工であれ核融合をおこした放射能は、自然や鉱石から出る放射能と変わらないといいます。
ペグマタイトや花崗岩の放射性鉱物は、微量であれば、かえって健康になるラドン効果
のこともあるのだから、昔の人もそのことを知っていたのです。

 

このように、丸森に限らず信仰の深い山に修験者がこもるのは、
花崗岩にあると考えられます。
天狗の伝説が多いのは、知識のあった修験者のことを差すのでしょう。
これが昔の療法です。
自然の岩盤浴ですね。

 

■ざっと丸森の巨石をご紹介。

丸森夫婦岩

 

※テーブル岩

 

約2千万年前の火山活動で堆積した凝灰角礫岩。
(霊山層)が、河川の浸食作用で高さ50m、総延長4.5キロに及ぶ
岩稜・断崖地帯を形成したものだという。

花崗岩質の岩岳とは地質が異なります。

 

 

 

不動尊公園
キャンプ場にもなっています。

 

 

 

山頂

 

百々石公園(どどいしこうえん)

 

 

正面の山は立石。

 

 

 

青麻神社の石碑がある。

 

 

鎌倉山(羽山)

 

何かの遺跡があったような・・・。

 

断層

 

 

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エミシがここで生活しながら土器をつくり、
信仰を重んじていたことがよくわかりました。
エミシは、いろんなことを知っていたのですね~。

 

大地震とプラズマは関係しています。
「震災時に気づいた」ろうそくの火があり、

プラズマのことを書いていました。


そこからもう一度、東日本大震災と九州熊本大地震の共通点。

タントラ」でした。
これも「織物」です。

 

鶴から繋がっていますね。
こーいう世界は実際あるのです。

 

シャンバラ王の裏に書かれた波が、重力波。

 

 

今月2月に入ってから、不思議な夢をたくさんみてます。
立春前後に起こっている出来事とは、あちらの世界でも忙しい?

 

一昨日、1日に4つくらい夢をみて、ずっと寝不足。
なんとか3つ覚えていられた。。。


エネルギーが急に太く、濃厚になってきたような。

 

ある夢のメッセージが「S極」なのですが、意味わかんないね~。(@_@)
ただ、S極も磁石だから、「水の流れが変わった」と、
漠然とですが、地中では何かが変わっているから、エネルギーも変わってきたのかも。

 

そんなタントラの時の波が、空間に流れている今日この頃です。

丸森の不思議探訪はおしまーい。

 

■場所: 東福田の鶴供養碑から道なりにすすむと橋あり。

少し広いスペースに看板あり。

横の道から堂平山に続く道がありますが、登山道が整備されていないので、

一人では行かないようにしましょう。