高校を卒業したあと、私は浪人しました。


今思えば、そうなるのは自然な流れだったのかもしれません。

勉強にきちんと向き合えていたとは言えなかったし、進路のこともどこか他人事のように考えていました。

目の前の毎日を何となくやり過ごしながら、私は大事なことをずっと先送りにしていたのだと思います。


浪人が決まったとき、私は予備校には通わず、宅浪を選びました。


自分一人でも何とかなる。

その時の私は、本気でそう思っていました。

今振り返ると、本当に幼かったと思います。

でも当時は、それが一番自然な選択に思えたのです。


両親は、そんな私の希望を認めてくれました。


親になった今ならわかります。

その決断が、どれだけ勇気のいることだったか。

本当に大丈夫なのか、ちゃんと勉強できるのか、不安がなかったはずがありません。

それでも両親は、私を信じてくれたのだと思います。


私は予備校に通わない代わりに、Z会の通信教材を取ることにしました。

家で一人で勉強して、受験に備える。

頭の中では、ちゃんとした計画があるようなつもりでいました。


でも、現実はまったく違いました。


教材は、ほとんど思うように進みませんでした。

届いたものを開いて、少し見る。

やらなければと思う。

でも、できない。

その繰り返しでした。


平日、家にひとりでいる時間、私は一体何をしていたのか。

今でも、あまりよく思い出せません。


本当に不思議なくらい、記憶がないのです。


ただ、ひとつだけはっきり覚えていることがあります。

私は、毎日とてもよく眠っていたということです。


大げさではなく、一日二十時間くらい寝ていたような感覚があります。

もちろん本当にそこまで眠っていたのかはわかりません。

でも、それくらい、起きていた時間の記憶がないのです。


起きて、少し何かをして、また寝る。

気づけば夕方で、気づけば夜で、また寝る。

そんな毎日でした。


あの頃の私は、自分でも自分が何をしているのかわかりませんでした。

頑張らなければいけないことはわかっている。

でも、体も心もまるで動かない。

机に向かえば何とかなる、という感じではありませんでした。


怠けていたのももちろんあります。それに、たぶんもう、心のどこかが動けなくなっていたのだと思います。


高校時代、ずっと周りに合わせて、うまくやれない自分を抱えて、学校の外にしか居場所を見つけられなかった私が、いきなり一人で受験に向き合う。

それは思っていたより、ずっと苦しいことだったのだと思います。


でも当時の私は、そんなふうには考えませんでした。

ただ、自分はだめなんだと思っていました。


何もできない。

進まない。

寝てばかりいる。

そんな自分を見て、情けないと思っていました。


それでも時間は過ぎていきます。

受験は待ってくれません。

まわりが進んでいく中で、私は家の中で止まったままでした。


そして秋になる頃、さすがにまずいと焦り始めます。


ここまで何もできなかったのに、まだどこかで「何とか間に合う方法があるのでは」と思っていました。

地道にやり直すしかないのに、私はまた近道を探そうとしてしまったのです。


その頃、ある「記憶術」の通信教材が売られていました。

これなら効率よく覚えられるかもしれない。

何とか受験勉強に生かせるかもしれない。

そんなふうに思って、私は自分のお小遣いでそれを買いました。


今思うと、本当に浅はかだったと思います。

勉強に近道なんてない。

それはもう、今ならよくわかります。


でも当時の私は、何かひとつ劇的に変わる方法がほしかったのです。

地道に積み重ねる自信も、最初からやり直す根気も、もう残っていませんでした。


もちろん、記憶術を買ったところで、私の生活が急に変わるわけではありませんでした。


結局、勉強に本気で向き合うことはできないまま、時間だけが過ぎていきました。


今振り返ると、あの一年は、私の人生の中でもかなり苦しい時間だったと思います。

何か大きな事件があったわけではありません。

誰かに直接傷つけられたわけでもありません。

でも、自分で自分を見失って、何も積み上げられずに時間だけが過ぎていく感覚は、とてもつらいものでした。


そして、そんな状態のまま、私は二度目のセンター試験を迎えることになりました。