二度目のセンター試験の日のことは、今でもかなりはっきり覚えています。
宅浪の一年をほとんど何もできないまま過ごしてしまった私が、それでも受験の日を迎えてしまった。
その時点でもう、心のどこかでは結果が見えていたのかもしれません。
一日目が終わった時から、嫌な予感はありました。
問題を解いていても、手ごたえがありませんでした。
できたという感覚がまるでなくて、何もつかめないまま時間だけが過ぎていったような気がします。
でも、その日はまだ、完全に現実を見るのが怖くて、どこかでごまかしていたのだと思います。
もしかしたら思っているほど悪くないかもしれない。
二日目で何とかなるかもしれない。
そんなふうに、自分に言い聞かせていました。
けれど、自己採点をしたとき、それは一気に崩れました。
結果は、本当にひどいものでした。
全部の教科が三割程度しか取れていなかったのです。
その数字を見た時の気持ちは、今でも言葉にしづらいです。
ショックというより、自分に対する絶望でした。
やっぱりだめだった。
何とかなるはずなんてなかった。
私はこの一年、いったい何をしていたんだろう。
そんなことばかりが頭の中を回っていました。
その日の夜、私はお風呂の中で泣きました。
家族に聞かれたくなくて、湯船につかりながら、できるだけ音を立てないように泣きました。
本当は声をあげて泣きたかったけれど、それもできませんでした。
あの時の私は、悲しかったのはもちろんですが、それ以上に、どうやってこの結果を両親に伝えようか、そればかりを考えていたように思います。
情けない話ですが、私はその時すでに、結果そのものよりも、どうしたら許してもらえるかを考えていました。
こんな結果を見せたら、両親はどれほどがっかりするだろう。
どれだけお金をかけてもらって、どれだけ信じてもらって、それなのに私は何も返せなかった。
そんなことばかりが頭をよぎっていました。
その日の夜、私は母に、センター試験が散々だったことを打ち明けました。
そして、二日目を受けたくないことも伝えました。
本当に、もう行きたくなかったのです。
これ以上恥をさらしたくない。
逃げてしまいたい。
そんな気持ちでいっぱいでした。
でも母は、厳しかったです。
ただ、突き放す感じではありませんでした。
終わってしまったことは仕方がないこと。
でも、だからといって明日を投げ出すのは違う。
行きなさい。頑張りなさい。
たしか、そんなふうに言われたと思います。
今思うと、あの言葉は本当にその通りです。
でも当時の私は、その言葉を受け止めるだけで精一杯でした。
次の日の朝が来るのが怖かったです。
私は夜中に、水を体に浴びました。
高熱が出ないかなと思ったのです。
熱が出れば、行かなくてすむかもしれない。
そんなことまで考えていました。
もちろん、熱なんて出ませんでした。
朝は、いつも通り来ました。
母はお弁当を作ってくれました。
私はそれを持って、二日目の試験会場へ向かいました。
奇跡なんて、起こりませんでした。
二日目も、やはり散々でした。
お昼にお弁当を開けた時、中に手紙が入っていました。
「頑張って」
そんな言葉が書いてあったと思います。
私はその手紙を見て、胸がいっぱいになりました。
うれしいというより、苦しかったです。
こんなに応援してもらっているのに。
こんなに支えてもらっているのに。
私は何をしているんだろう。
私はなんて親不孝なんだろう。
そんなことを思いながら、お弁当を食べた記憶が、今も残っています。
センター試験が終わったあと、私はどこの大学にも出願しませんでした。
この結果では、どこを受けてもだめだと思ってしまったのです。
今思えば、最後まで受けてみるという選択もあったのかもしれません。
でも当時の私は、もうその気力がありませんでした。
完全に、自分に見切りをつけていました。
そして、その代わりに、私はある専門学校のパンフレットを手に取りました。
言語療法を学べる学校でした。
これなら進学できるかもしれない。
ここなら何とかなるかもしれない。
そう思って、私は母に「この学校に進学させてほしい」と頼みました。
でも、その時の母の言葉が、私のその後を大きく変えることになります。
