編集長歳時記#3 11月号「私の勲章」 | 中洲ママ40年 藤堂和子の“中洲通信” 「博多で待っとぉよ。この指とまれ!」


中洲ママ40年 藤堂和子の“中洲通信” 「博多で待っとぉよ。この指とまれ!」

「LB中洲通信 創刊30周年パーティー記念号」



この10月、「賞」で日本中が沸きました。まずはiPS細胞(人工多能性幹細胞)の研究で山中伸弥・京都大学教授がノーベル賞を授賞。またロンドンオリンピックで金メダルを獲得したレスリング女子の吉田沙保里さんは前人未到の世界大会13連覇が評価され国民栄誉賞の授賞が決まりました。
勿論ノーベル賞、国民栄誉賞は簡単に貰えるような賞ではありませんが、皆さんは何か授賞経験はありますか?



私はこの歳になるまでに、自慢できる賞をいくつ貰ったんだろう。あまり覚えていませんが、小学校から高校までの賞と言えば、学校を休まなかったので皆勤賞ぐらい――でも、本当は病気で2、3日は休んだ記憶もあります。それでも卒業式で賞状を貰ったのは……?



一番嬉しかったのは「LB中洲通信」を作り続けていた1998年、第14回NTT全国タウン誌フェスティバルで奨励賞を頂いた時でしょうか。東京の帝国ホテルでの授賞式では、まるで結婚式と同じようなドキドキ、恥ずかしさ、そして照れくささを感じていました。それでも賞状を手にした時には、雑誌を作り続けていることを初めて認められた喜びで、私だけにしかわからない胸の高鳴りがありました。


あれから14年経ちました。今ではもうNTT全国タウン誌フェスティバルもなければ、「LB中洲通信」という、私が30年作り続けた月刊誌も2年前に終止符を打ちました。
いつまでもだらだら続けてみても、自己満足……頭を下げて広告で協力を頂いていた何社かの皆様にも迷惑をかけ続けるのも心苦しいし、やはり心が痛むものです。
そこで、これからは自分のできる範囲のことしかしてはいけないと思い、インターネットでの「LB中洲通信」を始めました。回顧録のように、30年間の「LB中洲通信」から過去の記事を編集し直して掲載したり、今後は新しい記事も掲載していきたいと思っています。また私も自らペンを取り、こうやって普段のブログとは違う、コラムを書くことで“編集長”という懐かしい時間を思い出しながら、新しいインターネット版の「LB中洲通信」を楽しんでいます。


頂こうと思って目標にしてもらった免状や賞状といえば、書道と珠算、そして花道と頂きました。濃いセピア色をしたそれらの賞状は、私の目に触れることはなく物置の中にたくさんしまってありました。
実は祖母が大切に保管していてくれなかったら今頃はなくなっていたかもしれません。
祖母は、それの何が大切なのかというよりも、私の物は何でも空箱に入れて取っておいてくれていたようです。祖母が亡くなり、それらを改めて手にした時、身体の芯から思わず熱いものがこみ上げてきて泣きました。祖母が大切に保管してくれていたそれらのものは今も私の部屋に大切に保管してあります。
「一枚も賞状をもらったことのない人だっているんだよ」「そんなことないよ。卒業証書だって賞状よね」――そんな祖母との会話も昨日のように思い出します。


でも博多にだけしかない、博多町人文化勲章を頂いた時は、中洲で40年頑張ってきたすべてがそこに凝縮されていたように思います。福岡・博多の文化の継承、発展に貢献したきた個人・団体に贈られるこの勲章で、中洲で頑張り続けてきた“ママ稼業”と同時に、「LB中洲通信」の編集長として、30年に渡り中洲から全国へ向けて情報を発信したことを評価して頂いたようです


授賞するまでは「雑誌を作っているんだから、ママも貰えるよ」――そんなふうに慰められたこともありました。博多からはどんなに頑張っても認めて貰えないのかもしれない、一抹の寂しさもありました。でも、初めの目標を考えれば、楽しく働いて、そんな仲間が日本中に増えれば私にとっても、お店にとってもプラスになると思いスタートしたんだからと思いながらも、やはり心のどこかには、いつかという気持ちもありました。
長谷川法世さんから賞を受け取った時は、中洲にいてよかったと、どこか勝ち誇ったような嬉しさがありました。


そんなことが一番の引き金になり、2年前の2010年10月5日、「LB中洲通信」のフィニッシュパーティー、そして私の中洲生活40周年記念パーティーを帝国ホテルで開催しました。私の40年間を知る皆さんが会場を埋め尽くした、あの時の胸の高鳴りは最高でした。もしかしたらあの瞬間が一番の「賞」であり、「勲章」であったかもしれませんね。
中洲にも、いや日本のすべての盛り場で長く続いたお店には「ご苦労様でした」という意味で、何らかの賞状が欲しいし、またあってもいいのではないかと思ってしまいます。


もうこの先に頂ける賞は長生きをして総理大臣と福岡県知事から貰う賞ぐらいしかないかなと思うことも……そう考えると100歳までは、あと34年。どうやって元気で過していけるのかチャレンジしてみようかなと思っています。
母はぼけることもなく、今95歳です。



中洲ママ40年 藤堂和子の“中洲通信” 「博多で待っとぉよ。この指とまれ!」

2010年10月5日に東京・帝国ホテルで開催された「『LB中洲通信』創刊30周年パーティー&『中洲通信・親子三代ママ稼業』(河出書房新社)出版記念パーティー」。編集長の“ママ稼業”40周年も記念して、2000人近い参加者で会場が溢れかえりました。記念号では各界の著名人や全国から結集した有名ママの皆さんにも登場していただきました。