プレイバック中洲通信#3 <2005年8月号>阿久悠さんが語る“うた” | 中洲ママ40年 藤堂和子の“中洲通信” 「博多で待っとぉよ。この指とまれ!」
<2005年8月号> 阿久悠さんが語る“うた”


中洲ママ40年 藤堂和子の“中洲通信” 「博多で待っとぉよ。この指とまれ!」

昭和という時代を代表する作家であり、作詞家であった阿久悠さん。
うたを通して“時代を作った”という言葉に相応しい、まさに「時代の演出家」でもありました。
LB中洲通信では特集に2回登場していただき、
それぞれ、うたの世界から日本人と時代について語っていただきました
(LB中洲通信のコンセプトにも賛同していただいたのもよい思い出です)。
今回は2005年8月号「日本人のドラマ」というテーマで、
3分間に込められた日本人のドラマについてインタビューした号を紹介します。
まずは2005年当時、音楽業界と歌を取り巻く状況について阿久さんが語ります。


<申し訳ないけれど、おそらく今のヒット曲で
「あの時は、あんな出来事があった」と思い出せる歌が少ないだろうと。
フォークソング、ニューミュージックといわれた時代まではそれがあったんですよ。
例えばどこかを歩いていた時にその曲が流れていた、
そして当時は何かに巻き込まれていた……とかね(笑)。
自分さがしは、未来に向かって歩くだけではなくて
「自分であった時期」を見つめるという方法もあるはずですから。>
(LB中洲通信2005年8月号 「阿久悠 名曲にこめられた3分間のドラマ」より 以下同)



中洲ママ40年 藤堂和子の“中洲通信” 「博多で待っとぉよ。この指とまれ!」

丁度この頃、阿久さんは作詞家生活40周年を迎え、
CD5枚組のボックスセット「人間万葉歌~阿久悠作詞集」をリリースしたばかりでした。
収録曲は108曲!ほとんどすべてがヒット曲というのがさすがです。
これはレコード会社の関係者やスタッフが委員会を構成し、
基本的な選曲作業が行われたのだそうです。
阿久さん曰く“108”という数字は「偶然で、煩悩の数に合わせたわけではない(笑)」とのことでした。
そして40年もの間、“日本人のドラマ”を描いてきた作詞家という仕事について――。


<いや、これほど楽しい作業はないですよ。
ハリウッドが何十億という予算をかけて、1年がかりで作るドラマを
たった1人、3分何秒かで作れるみたいなところがありますから(笑)。
それも僕の場合、一番動きやすい時代に仕事をして来られたのが幸せだったと思っています。
これが前後10年、どちらにずれてもこんなに面白い作詞家生活は送れなかったでしょうね。>(同上)


そして“うたの作られ方”が変化していった21世紀に、
阿久さんはこんなヴィジョンを描いていました。


<作詞家、作曲家がもっと自己主張しなければ、
歌はどんどんやせ細っていってしまうでしょうね。
歌い手が“アーチスト”と呼ばれるようになった段階で、
その言葉の中に(作詞・作曲家が)併合されてしまっている感じがします。
アーチストではなくて歌手に、シンガーになってほしいと僕は思います。
そしてシンガーとコンポーザーと、我々リリック・ライターとのコラボレーションによって、
どんなものができるのか――そうすることで、
3倍から5倍のパワーが生まれる。また自己完結するのではなく、
他人を巻き込んだパワフルな世界が作れると思うんですけれどね。>(同上)


今もなお、人の生活、そして文化の中に“うた”の存在は欠かせないものになっています。
日本の社会が変わり始め、日本を取り巻く状況が激動している今、
阿久さんならばこの状況をどう切り取り、
“うた”にしていったのだろうと思わずにはいられません。


中洲ママ40年 藤堂和子の“中洲通信” 「博多で待っとぉよ。この指とまれ!」

LB中洲通信2005年8月号特集「日本人のドラマ」。この号では阿久さんの他に、写真家の北野謙さんに登場していただき、彼が長年取り組んでいる「OUR FACE」プロジェクトについても語っていただきました。阿久さんには歌で描かれる日本人について、北野さんには1枚の写真に溶け込んでいく日本人の顔について語る「日本人論」の特集でした。(阿久悠撮影/湯川征明)