ミニコミ誌の思い出 その14 | ウキウキ、ウォークマン日記

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突然変異第2号の台割りも創刊号に引き続き僕が担当した。
創刊号を店頭でまだ見かけてなくて突然変異を知らない人多いだろうから、表紙をめくって最初の記事を何にするかが売れ行きに影響するだろう。最初の企画は重要だ。
2号はヘルンバインみたいな衝撃的な絵がみつからないから、グラビアは無し。
検討の結果、「寄生虫のNOWい飼い方」「自宅で青春」にした。
何か面白い雑誌はないかなと本屋さんに来た人は、店頭で、霜田さんの絵に漢字四文字ででっかく「突然変異」のタイトルの雑誌を見つけ、お、なんだと手にとって表紙を開くと「寄生虫のNOWい飼い方」だもん、これは買ってくれるはずだ。次のページをめくると今度は「自宅で青春」だ。いいな、これはますます買ってもらえるぞ。
内容より、タイトルの馬鹿馬鹿しさで、決めたのでした。

創刊号でお手伝いしてくださる方を募集したので、三人の女性のイラストレーターが来てくれて、緒形の友人の男性も来てくれたから、もう不器用な僕が版下作りをすることはなくなった。

2号の発行人は今里直になった。
もちろん突然変異に多大な貢献をしたからだ。
緒形涼介は編集長に就任。
考えてみたら、創刊号の企画の半分以上を緒形が担当して、残り半分を今里、青山、谷地の三人でやった感じだから、創刊号から実質緒形が編集長ではあったのだ。

81年8月上旬、突然変異第2号が発売となった。
2号の売れ行きは爆発的だった。信じられない売れ行きだった。

書泉グランデや三省堂本店に平積みで置いてる慶大生が作ったミニコミ誌ということで、新聞社や週刊誌から取材の申し込みが相次いだ。
さらには、創刊号で「ロリコンの恋物語」を掲載したからか学生の間にブームとなっているロリコンについて聞きたいと、月刊誌やテレビまで取材に来るようになった。
新聞は朝日、読売、日経など一通り来たけど、もっとも印象に残ってるのは日経のS記者だ。
とにかく雑誌を絶賛された。
六本木のディスコで四人にご馳走してくれて、それでは話し足りずに、六本木のご自宅のマンションにまで招かれ、創刊号と2号を手に「いやあ、いい雑誌だなあ」と、この言葉、この日何回目かな。突然変異を異常なほど気に入ってくれたのでした。
巻末の突然変異の連絡先を見て今里に、「ん?渋谷区松濤の今里といえば、君はあの今里家の人かい?」とさすが経済紙の記者さんは違う。
「はい。私は孫です」と答えると、Sさんは「これはいい人とお近づきになれたなぁ」と言った。
記者さんは個人的にはこんなに気に入ってくれたけど、掲載された記事の内容は読売新聞なんかとあまり変わらない淡々としたものだった。

そして、原稿依頼がくるようになった。
出版社名は忘れたけど、今度ロリータムックを出すから書いてくれと、青山正明を名指しだったかどうかも忘れたけど、原稿依頼が来て、青山が書いた。
それから、マガジンハウスのブルータスから原稿依頼。
突然変異に2ページあげるから好きに書いていいよというありがたいお話で、たった2ページなのに原稿料が14万円も。さすがマガジンハウス、凄い。
これは第3号の制作費の一部となった。
「取材するのに使ってよ」と、ブルータス編集部の名刺までいただいて、嬉しかった。

せっかく名刺作ってくれたんだからなんか取材しようか、ということになり、ブルータスに使えるかどうかわからないけど、漫画界のロリコン関係を取材しよう、御大吾妻ひでおの「ミャアちゃん官能写真集」が見てみたいと、僕と青山正明と二人で御大吾妻ひでおと親しいという蛭児神建さんにコンタクトを取り、新宿の喫茶店で漫画界のロリコン事情を取材したのでした。

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