長女のヘルペスが治った頃、長女に放課後、担任に会いに行かないかと打診してみました。

「学校には行きたい」と口では言う長女です。

行きたいなら、行ってみようよ。行きたいなら行けるよ。

顔色の優れない長女を車に乗せて、放課後、連れて行きました。

 

運動場に駐車し、中央玄関まで行って、校舎に入ろうとしますが、長女は立ち止まります。中に入れません。隠れようとします。

 

長女を下駄箱前で待たせ、私だけ職員室に行き、担任を読んでもらいました。

 

担任の先生は、長女が学校に来たことを喜んでくれて、駆け足で下駄箱前に向かってくれましたが、長女の姿が見当たりません。

 

長女の姿が見当たらないので、私も驚きました。そもそも注意深い長女が私に一言もなくその場を立ち去ることなど無かった子です。周辺を探すと、柱の陰に隠れていました。

 

先生は優しく色々伝えてくださいましたが、長女は頷くだけ。

話が終わると、走って車の中に逃げ込みました。

 

長女にとっては学校そのものが恐怖対象になっていました。

 

我が子の不登校を目の当たりにするまで、「不登校」=学校に行けないだけ

という認識でした。

 

我が子に起こったことは、食べれない、一人でいられない、外に出られない、ベランダにすら出られない、トイレ風呂に一人でいけない、外部のもの・情報に対する恐怖でした。

なぜ、学校に行けないだけで、食事中にぐったりと脱力するのか、ニュースが怖いのか、もう学校を休んでいるのに、すべてのものを怖がり続けるのか、

 

私には理解不能でした。

 

長女が弱りに弱ってしまって、私も戸惑う毎日でした。

 

長女、次女とも、性格としては大人しく、親バカですが賢い子です。

赤ちゃんの頃から、手を焼いたことはありませんでした。

子育ては大変でしたが、それはどこの親も一緒。

 

夜泣きもせず、お友達に意地悪もせず、保育園の先生の言うことはよく聞き、はみ出さない。絵本はすぐに暗記。楽器、ダンス、歌、すぐ出来る。

保育園であったこと、状況をよく見ていて、説明できる。

よく年長になると、他のママさんたちに「お受験しないの?クラスで一番賢いよね」と言われていました。

「いやー、お受験は親が大変そうだし、私には無理です~」という感じ答えていました。自分の意志のないころに学歴のレールに乗せてしまうのはただの親のエゴです。

 

私は子供たちに何の心配もせず、逆にもっと子供らしくグイグイ行けばいいのになとさえ思っていました。ですが、私自身も、幼稚園だったころは、大人しくグイグイ行ける性格でもなかった、家でひとりでテレビを見てるのが一番好きな子でした。

夫もそうだったようです。そりゃ子供たちも大人しい子だろう。

 

不登校前から、少し、長女の性格には気になるところはありました。

好奇心が強く、気になるものがあれば、過集中気味。他のことが目に入らない。

すごく得意なことが多いのに、あれ?これは出来ないの?という、からっきし出来ないことがある。

私から見ていて、「自分はこれがしたい!!」と欲求があるようなのに、そこまで主張してこない。我慢してる?欲求を伝えて私に怒られるのが怖いのかな?

なんか、バランス大丈夫かな??

 

私も自分の主張は曲げないタイプなので、長女に我慢させていたのかもしれません。

思春期とかになったら、バランス崩れそうだなーと楽観的に夫と話すこともありました。思春期を迎える前に長女が崩れるなんて。心の準備が出来ていませんでした。

 

母親の勘、少しの違和感って当たるもんなんだなー。

小児科のカウンセリングが二ヵ月後にしか取れないという絶望の中、

ぶらりさんから返信がありました。

 

今ではなかなか相談予約がとれないぶらりさんですが、そのときはちょうどタイミングよくお返事をいただき、すぐにご相談させてもらえました。

 

絶望の中の一縷の望み。

 

すぐにこれまでの長女の性格や、最近起こった長女の異変など、詳細を伝えました。

このとき、私はまだ、ぶらりさんに相談しつつも、「不登校ではなくて、ただの体調不良の不安なのかも」と思っていました。不登校の可能性を消したいから、ぶらりさんに相談していたのかもしれません。

「それは、不登校ではないかもしれないですね。」そんな言葉が返ってくるかもしれない。「不登校でもないのに、相談して申し訳なかったな。ご迷惑おかけしたな」そんな風に後から思うかもしれない。

 

そんなことを考えながらも、パソコンの前では必死に詳細をぶらりさんに伝えてました。

ぶらりさんからのお返事は、大まかに、典型的な不登校の初期症状であること、これまで頑張ってきた良い子ちゃんの不登校のような感じであること、ひとまずゆっくり家で休ませて、しっかりお母さんに甘えさせてください、心身ともに元気になるのを待ちましょう。とのことでした。

 

ぶらりさんからのお返事で、「あぁ、うちの子は不登校なんだ」と愕然とすると同時に、がっちり腹をくくりました。もう受け止めるしかない。

 

今、サイレン、パトカー、ウォシュレットの音、ピンポン、怖いニュース、コロナ、周りに飛んでくるコバエにさえも怯えて暮らす娘を助けられるのは、この世に私だけ。

病院でもなく、カウンセラーでもなく母親だけなんだと痛感する日々が始まるのです。

 

児童精神科で検索した二つ目の病院に電話し、カウンセリングを受けたい旨を伝えました。受付の方に、「新規の予約は受け付けてない」と淡々と言われました。

 

患者がいっぱいだそうです。小児精神科に患者がいっぱい??

世の中の子供たちに何が起こっているのか?

 

とにかく受付の方に、窮状を伝えても断固として受け付けてもらえません。

そして他の病院を紹介してもらえました。

 

その紹介してもらった三つ目の病院に電話すると、新規のカウンセリングはやはり直近は空きがなく、二か月後。

二か月後なんて、もううちの子死んでるかもしれないじゃないか!?

食べれないんですよ。様子がおかしいんですよ。涙ながらに言っても、

 

とにかく二か月後!!二か月後しか空いてないんです。。。

 

うちの子の状態は緊急事態でもないんだろうか?

世の中に見放されたような気分になりました。

 

とにかく二ヵ月後に予約を取り、電話を切りました。

 

病院探しと平行に、私はアメブロ内でフォローしていた方に相談予約をお願いするメールを送っていました。

高田ぶらりさんという方で、不登校に関する経験談・情報や相談を詳しくブログにされている方です。

私は、子供が不登校になる気配すらないときから、たまたまアメブロ内でぶらりさんのブログを目にして、興味をもって拝読していました。

まさか我が子がその不登校になるとは思いもしてなかったのに。。。

なにかのフラグか。。。

ぶらりさんに、相談予約のメールをしていたのです。

田舎県なので、児童精神科など少なく、

3件ほど電話しましたが、予約は取れません。

 

主に小児科ですが、小児精神科もやっている近くの病院に行きました。

 

相談としては、他院で胃腸炎と言われたが、一向に治らないし、食欲も改善しない。

学校には行きたいというが、行こうとするとヘルペスが出たりぐったりしたりする旨を伝えました。

 

男性の中年の医師でした。

「ふ~ん、学校に行きたくないんじゃないの?」「いや行きたいと言ってます」

「ご飯食べれないんだったら、いったん食欲増進の薬と漢方とか出しておくから、一週間後また来て」と言われました。

 

一週間、服薬しましたが、何も変わらず。どんどん細くなっていく長女。

次の受診日、あまり食欲が改善しない旨を伝えると、とりあえず内臓をエコーで見てくれたり・起立性障害の検査をしてくれました。

どこも異状なし。

「う~ん、拒食症かね~」←この言葉で私の心はポッキリ折れました。

 

今、考えると、長女のこの症状は、不登校の初期症状以外に考えられないのですが、当時はそんな知識もなく、学校大好き長女が不登校なわけがないとの思い込みもあり、私は長女が何らかの精神疾患を発症したのではないかと恐れていました。

 

そんな心境の中で行った小児科の先生に軽く「拒食症かな~」と言われた為、私は椅子から崩れ落ちそうになりました。

長女が傍にいて「拒食症ってなに?」と聞いて来たので「なんでもないよ。拒食症とかじゃないよ」というのが精いっぱい。

軽々しくこんなことを口にする病院にはもう通えない。口の悪い良い先生かもしれないが、今の私は受け止められないと思い、また他の病院を探すことにしました。