スー・フレッチャー=ワトソン、フランチェスカ・ハッペ:著
石坂好樹、宮城崇史、中西祐斗、稲葉啓通:訳 星和書店 定価2700円 + 税 (2023.6)
私のお薦め度:★★★☆☆
本書は、日本では1997年に出版された、フランチェスカ・ハッペ女史(当時は、フランシス・ハッペと訳され、私もこのお名前で本を紹介していました)による「自閉症の心の世界 ~認知心理学からのアプローチ~」の改訂版です。
原著が書かれたのは 1994年ということですから、もう30年ほど前になりますね。改訂版ということで、今度はスー・フレッチャー=ワトソン教授との共著になっています。
本書は、最初の「はしがき」にある通り、「主として心理学やそれと関連する領域を学習する大学生や大学院生を対象」として書かれているので、今子育て中で、将来を見通してどう我が子を育てていけばいいか・・・と思われている保護者の方には、少し期待とは違ったお薦め本になるかもしれません。
ただ、「推薦のことば」でウタ・フリス教授が、「自閉症に関する本を一冊読むとすれば、この本がそれであるに違いない。これほど明確で、魅力的で簡潔である他の心理学理論の解説はない」と述べられているように、自閉症の本をまだ一冊も読んだことなない、心理学を学ぶ学生にとっては、その歴史から生物学的な特徴、行動に表われる特徴、認知・心理学からみた自閉症などを一冊で表現している入門書と言えると思います。
もし火星人が、 リンゴとは何かとあなたに尋ねると、あなたは、それが果物であるとか、食べ物であると、答えるかもしれない。あるいは丸くて赤いと言うかもしれないし、ビタミンや水や糖などの成分で構成されているものと、説明するかもしれない。
質問への答え方は、たぶん火星人が知りたいと思っているとあなたが考える理由によるだろう。
彼らが空腹であるとか、 リンゴを認識したいと望んでいるとか、単に好奇心のためであるとかである。
これらの答えのいずれもが、唯一絶対の答えではない。それぞれの答えは、質問の違った意味に対してのみ適切であるからである。
同じように、「自閉症とは何か」という質問には、 さまざまな型の答えが可能で(ある。ある脈絡での質問に対する正しい答えを見つけるために、われわれは、問う理由について考える必要がある。その質問のさまざまな意味の違いを、違ったレベルの説明によって、考えることができる。(「序論」より)
たしかに、自閉症を説明する時、あるいは我が子の自閉症を説明する時、相手がどんな情報を求めているかに配慮して答えるのは大切ですね。
キャンプや行事のボランティアさんに、自閉症の歴史から説明する方はいないと思います。パニックを起こした時の対処法や、困ったときの連絡先・・・ぐらいでしょうか。
では、小学校に入学したときのクラスメイトのお母さんには・・・、成人して就職面接の際には・・・ ともすれば、自閉症について理解してほしい、との思いからあせって説明過剰になりがちなこともありますので気をつけていきたいと思います。、
それはさておき、本書に戻ると、前著が出てからの30年間、自閉症についての研究はどのくらい進んだのでしょうか。
生物学的に見ると、残念ながらまだその原因や治療法(今では自閉症というのは治療すべき対象ではなく、差異に過ぎない、というのが本書の立場ですが・・・)は見つかっていません。それまでにいろんな仮説、遺伝子の解析やMRIによる脳の部位の働きの解明、神経伝達物質の差異などが提起されていますが、まだ確とされるほどのものはないまま、というのが現在までの状況です。
一方で、本書は副題にある通り「心理学理論」を主なテーマとしていますので、認知レベルでの「研究成果」を中心に述べられていますが、こちらも「最近までの研究」という途中経過の印象でした。
前著が発行される以前、1989年、ウタ・フリスの「自閉症の謎を解き明かす」でよく知られるようになった心の理論(サリーとアンの課題で有名:自閉症の幼児は相手にも独自の心や信念があるということに気づきにくい)、あるいは弱い中枢性統合理論(おもちゃのベッドや人形や枕を見せて、これは何 ? と尋ねると、ベッドや人形は正しく言えるのに、枕を指さすと「ラビオリ(ギョウザのようなヒダのあるパスタ)」と答えてしまうように、部分だけに集中して総体としてとらえるのが苦手)から始まり、その間の「対人志向仮説」「対人動機づけ仮説」「間主観性仮説」「モノトロピー理論」「ベイズ派の仮説」などについて説明されています。
ただやはり、先の火星人の話にあったように、理論的・系統的なお話は心理学を学ぶ学生の方には必須かもしれませんが、20年前の前著の紹介のラストでも書いたように 『・・・・もっとも、私などは専門家ではないので、そんな理論もあるのかな、と知識の一つとして理解するしかないのですが・・・』 という所でしょうか。
それより、印象に残った、自閉症についての前著との違いは、自閉症者の権利擁護の意識が大きく変わってきているということでした。本書でも各章の最後には、当事者からの感想があり、批判的な意見も多く載っていました。
「心理学理論に何を求めるべきか」の節では「良い自閉症の理論に求められること」として「厳密な検証を生み出す、具体的な予測」「証拠の単純な記述ではない、解釈」などと並んで、「自閉症共同体の視点と優先性の基づいて、承認されていること」が挙げられています。
「私たち抜きに私たちのことを決めるな」に象徴されるように、自閉症の当事者の方の思いを第一にして理論を展開されておられます。
また、自閉症の特性として、社会性やコミュニケーションの躓きが挙げられますが、これについてもその原因は自閉症圏の人の側にだけあるのではないと指摘しています。
自閉症の社会モデルは、他の人々の否定的な態度を含めた環境が障碍をもたらす効果を強調するもっと幅広い障碍の社会モデルと同じ線上にある。
例えば、聴覚障碍者は、聴覚障碍が障碍であるのは、そもそも全ての人が手話に精通しているわけではないからである、 と指摘するかもしれない。
自閉症の脈絡では、社会モデルに基づく一つの有力な理論は、二重共感問題である(Milton,2012)。
この理論は、対人相互交流がうまく成立するには、二人の人間の参加を必要とすることを、誤りではないかと思うほど単純に指摘する。自閉症の人々とそうでない人々の間の相互交流が満足のいくものでない場合、両者はこの状況に対して相互に責任を負うべきなのである。
相互交流、コミュニケーションがうまくいかない場合、その状況に対しては「相互に責任を負う」事象であるとの立場です。
これらの立場、視点はもちろん納得でき、また本文では新しく知ることも多く、とても参考になったのですが・・・・、蛇足になるかもしれませんが、用語の使い方については配慮しすぎでは・・・と、個人的には思ってしまう箇所もありました。
原著でも、autistic person (自閉症の人)よりも、person with autism (自閉症を有する人)やhas autism (自閉症を持つ)の表現が使われたように、日本語訳の場合でも「障害」を「障碍」と表記するのは、よくある立場だと思います。
それでも、「欠陥」を「缺陥」と表記するとなると、ちょっとやり過ぎでは・・・意図は分かるのですが、「不可缺」など「欠」の文字を全てタブー視して、一切使わない文章は、こだわりが過ぎているようで、正直読みにくかったですね (^_^;)
また「活発」を、わざわざ「活潑」と表記するのはどういった意図があったのでしょう・・・もしも機会があったら、愚問ですが、お尋ねしてみたいと思いました。 最後に年寄りの蛇足になってしまい、申し訳ありませんでした。
(「育てる会会報 304号」 (2023.8)より)
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目次
推薦のことば
本書の紹介
はしがきおよび謝辞
第1章 序論
1.説明のレベル
2.説明の時間尺度
3.いくつかの事実と虚構
4.現在の議論
第2章 自閉症の歴史
1.カナーの自閉症
2.アスペルガーの自閉症
3.ウィングの自閉症
4.神話と論争
5.バロンの自閉症
6.シンクレアの自閉症
7.神経多様性
8.現在の議論
第3章 行動レベルで見た自閉症
1.現在のそして変化する診断基準
2.臨床実践における診断基準
3..診断をする
4.出現率の評価
5.感覚の症状とそれに関連する特徴
6.症状布置と諸自閉症
7.断片化した二つ組
8.自閉症と性別
9.自閉症は老年期にどのようになるのか
10.自閉症的行動と社会的規範
11.現在の議論
第4章 生物学レベルで見た自開症
1.遺伝学の貢献
2.神経学的な基盤の候補
3.他の生物学的な影響
4.神経生物学的説明と認知的説明の相互作用
5.生物学的標識の探求
6.現在の議論
第5章 認知レベルで見た自開症 -何が良い理論をつくるのか-
1.認知レベルでの対人相互作用とコミュニケーションの理解
2.対人認知の測定
3.メンタライジングと感情
4.認知レベルでの限局された反復的な行動および興味の理解
5.認知レベルでの感覚とその他の特徴の理解
6.心理学的理論に何を求めるべきか
7.現在の議論
第6章 認知レベルで見た自閉症 -第一次缺損モデル -
1.心の理論モデル
2.さまざまなToMのモデル
3.心の理論モデルにとっての難題:普遍性
4.心の理論モデルにとっての難題:特異性と第一位性
5.心の理論モデルに対する代替理論
6.第一次缺損モデルの役割
7.自閉症の認知の成績に関する仮説への疑間
8.現在の議論
第7章 認知レベルで見た自閉症 - 発達軌跡モデル -
1.自閉症の早期の徴候
2.自閉症の早期徴候の研究
3.対人指向仮説
4.対人動機づけ仮説
5.間主観性仮説
6.対人領域以外の早期の発達
7.自閉症の生涯を通じた発達:児童期以後
8.現在の議論
第8章 認知レベルで見た自開症 - 領域全般的情報処理モデル -
1.知覚的処理仮説:弱い中枢性統合理論
2.他の知覚処理モデル
3.統合と複雑性
4.体系化と共感性
5.ベイズ派の仮説
6.情報処理過程と対人領域
7.現在の議論
第9章 認知モデルの自閉症理解と臨床実践に与える影響
1.証拠に基づいているとは何を意味するか
2.家庭、学校、診療所、福祉施設での影響
3.社会への影響
4.個人への影響
5.自閉症についての他の考え方
6.社会モデルと知的障碍
7.現在の議論
第10章 未来を目指して
1.研究における自閉症の権利と擁護提唱
2.症状布置から意味を引き出す
3.神経多様性、合併症、諸領域の交叉性
4.重要な結果を人々に伝えること
5.現在の議論
参考文献
訳者あとがき
索引