池上 英子:著 NHK出版新書 定価:860円+税 (2019.3)
私のお薦め度:★★★★☆
これまでも、自閉症をもつ人の才能やサヴァン症候群について取り上げた本はこのコーナーでも何冊か紹介してきました。
また、マスコミなどでも自閉症特有の感性についての特集が組まれることも増えてきたように思います。
ただ、「自閉症の文化」として紹介されるのは、自閉症を持たない多数派の文化と対比させて見ることが多いように感じていました。
本書の中で、著者はそれを「もったいない」と表現しています。そして自閉症の知性についてダイバーシティ(多様性)という視点から捉えようとされています。
「自閉圏の人々の知性のあり方単に医療・福祉の次元のみで考えることを「もったいない」と感じるようになった」というわけです。
これまでダイバーシティという言葉は、人種、文化、ジェンダー、セクシュアリティ、障害者など、さまざまなマイノリティの「あるがままの価値」を発見し、配慮するものとして理解されてきた。しかしダイバーシティは、創造性の拡大を目指す社会にとっては積極的価値でもある。私たちは、それぞれが同じものを見たり感じたりしていても、同じように認識しているとは限らないし、それを表現する方法も人によって異なる。
いまや多様性のフロンティアは、われわれの頭の中にあると言えるかもしれない。そのことを言い表したのが「ニューロ・ダイバーシティ」(神経構造の多様性)という言葉だ。
ニューロ・ダイバーシティは、多文化主義や個性主義よりもラディカルで根源的だ。だから私は、もし最近の科学的な知見に基づく概念の中から、現代日本の社会的な閉塞感を突破するために有効なキーワードを一つ挙げるとすれば、それはニューロ・ダイバーシティではないかと思う。この言葉に従えば、自閉症スペクトラムやADHDなどの「発達障害」も、脳の正常なバラエティの一つであるという発想、脳の個性であり特性だという視点につながる。いわゆる「発達障害」は「発達個性」でもあるのだ。
著者はニューヨーク在住の社会学者で、自閉症を持つ人とのアプローチも従来の“専門家”とは全く異なる手法です。
それはオンラインのコンピューター内の仮想空間の中にアバター(分身)として入り、その中の自閉症スペクトラムの当事者たちが作ったコミュニティに参加させてもらうという方法です。
もちろん、社会学の研究をしている非自閉圏(NT)のアバターであることは伝えての参加です。
その「セカンドライフ」と名付けられた仮想空間には、たくさんの自閉症スペクトラム人が集うクラブやカフェがあり、著者はその中の毎週開催される自閉症当事者互助会に7年間にわたって参加して、会話を楽しみ、意見を交換してきたそうです。
自閉症スペクトラムの人々は、その中心的症状に「コミュニケーションの障害」があるといわれる。だからこのグループでも、学校や職場、親戚との交流などにおけるコミュニケーションの難しさが話題になる。たとえば、NTの言うことは裏がありすぎるとか、パーティで困ったとかいった話題だ。
ところが、仮想世界のアバターとチャットというフィルターを通すと、自閉症スペクトラムの中心症状と見なされている社会的コミュニケーション障害というのが、嘘のような気がしてくる。なにしろ、チャットではいつも議論が噛み合っており、困っている人やストレスがある人には、適切な共感の言葉も投げかけられているからだ。コミュニケーション能力に問題があるとは到底思えない。
つまり、仮想世界という条件が、自閉圏の人々にとっては現実世界よりも話しやすく、他者とコミュニケーションを取りやすい空間のようなのだ。
筆者が言うように、確かにチャットの方が相手の表情を読んだり、相手の目を見て会話するなど、苦手なことをしなくていいので、楽なのでしょう。
やがて、筆者は研究を進めていくうちに仮想空間でのアバターを通しての交流だけでなく、現実の相手とも触れあいたくなってきます。「リアル」な世界での対面です。
ちょうど、筆者の研究の興味をもったNHKのプロデューサーやカメラマンの方といっしょに、仮想空間で親しくなった方の一人「ラレ」さんを、ワイオミングの田舎に訪ねることになります。
そこでの体験については本書をお読みいただきたいのですが、「ラレ」さんにしても、後で登場するフクロウのアバターを使っている「コラ」さんにしても、現実の姿ももちろん魅力的だったのですが、その生活は仮想空間で見せる本来のインテリジェンスとは少し違っていました。
スーパーマーケットの深夜勤務をしたり、教会のボランティア(それもあまりお呼びがかからないらしい)だけをしたりしているということですから、周りからも現実世界と仮想空間「セカンドライフ」ではずいぶん違って見られているのでしょう。
チャットでは知性あふれる言葉をつむいでいけるのに、リアルでは共感を交わしながら自然な会話をつないでいくのが難しいそうです。
これは、本書の後半に日本(リアル空間)で知り合った、漫画を描いている葉山さんやギタリストの高橋紗都さんにも共通するものと言えるでしょう。
中でも、葉山さんの言葉は強烈でした。
わたしの世界は、本来、美しいもの、楽しいものにあふれています。それはほとんどが普通の人たちとは違うかもしれませんし、感動の度合いが違うかもしれませんが。
そんな葉山さんが、リアルのこの社会、製造工場で働いて生きていくためには、NTには想像もつかないような努力が必要となったそうです。
本当に血のにじむような努力でした。「わたしが見る・聞く・感じることはすべて間違っているから、何も感じないように。それをうっかり口に出さないように」を徹底して、三年ぐらい訓練しました。変なことを口にしないように、毎朝、塩で口をゆすいでお浄めまでしていきました。
おかげで、人工知能ワトソンのようになった感じです。自分の経験値からのデータですべて動いています。
とても悲しいですが、(仕事をしていくことは)自分で決めたことだから、会社にいるうちはこれを続けます。仕事を辞めたら楽になれると考えています。とにかく、目の前に出された課題をやることだけに集中しています。
前半のアメリカでの自閉症スペクトラムの人々の暮らしに比べて、生活のためとはいえあまりに過酷な表現に感じました。ダイバーシティ(多様性)が許容される国と、同一性が優先され、要求される国、日本との風土の違いのようにも思えます。
そう考えると、最初に戻って、これまで私たちが使っていた「自閉症の文化」という言葉は、多数派のNTから見た「向こう側の文化」という、ダイバーシティからはずれるような対立的な視点ではないでしょうか。それよりは筆者のいうニューヨーカーらしい『スペクトラム(連続体)より一歩進んだ「全球的」なスペクトラム』として自閉症の知性、文化を捉えた方が合っているのかもしれませんね。そんな新しい見方を教えてくれる本として、本書をお薦めします。
また、最後に登場するギタリストの高橋紗都さん。
「音」と「色彩」の共感覚についての話もとても興味があったのですが、ここでは子どもの頃の親子関係についてのエピソードを紹介します。
紗都さんは、感覚過敏が起こると「うわーっ」となってつらくなるのだと思い、そのことを母親の尚美さんに訴えた。それに対して「「うわわオバケ」が出たんだね」と言った尚美さんの表現が、紗都さんの気持ちにぴったりとはまった。紗都さんにとっては生まれたときから当たり前の世界で、他の人も同じ感覚だと思っていたので、なにが大変できついのかを説明できなかったのだ。
この「うわわオバケ」という言葉を得たことで、紗都さんの世界は広がった。感覚過敏がつらくても泣き叫ぶことしかできなかった紗都さんが、外界と自分の内部の感覚を言葉によってつなぐ術を得たのだ。
両親もこのネーミングのおかげで、彼女がどれほど集団生活でつらい経験をしているのか、複合的な感覚過敏がどれほどつらいか、その主観的世界をより深く理解できるようになった。
そこでご両親は、親子三人で「うわわ学研究会」を家庭内で行うことにした。会長はお母さん、副会長はお父さん、うわわ学博士は紗都さんだ。
両親は紗都さんを理解しようと、その内面の感覚を一緒に探っていったのだ。これはすごいことではないだろうか。
日本でも、親がしっかりと子どもの味方になり、理解をして支援を続けていくことで、子どもは「真っ直ぐに成長し」、幸せに生きていくことができる素敵なお手本だと思います。
そんななかで「よくわからないがどうも違うらしい」と認め、ドーンと広く、「そんなこともあるさ、面白い」と思える親は見事だと思う。
(「育てる会会報 258号」(2019.10) より)
(メーリングリストに入られている正会員の方にはメールでお知らせしたのですが、10月28日よりNHKで 発達障害特集 としていろいろな番組が放映されています。
この会報の到着には間に合わないかもしれませんが、その中の10/31(木) 13:05~13:35 Eテレ、ハートネットTV選「自閉症アバターが誘う不思議な旅」で、本書で紹介された、著者の池上英子さんによる仮想空間 「セカンドライフ」と リアル世界での訪問の様子が放映されます。
また、発達障害特集では放送終了後にも、上のリンク先のページで、しばらくはいくつかの「聞き逃し」のインタビュー番組が見れると思いますのでご覧下さい。)
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目次
プロローグ
多様性の街・ニューヨークから/「絵で考える」学生との出会い
非定型=マイナスではない/いかにして当事者の世界観に迫るか
「知性」としての自閉症をさぐる旅
第1章 仮想世界で輝く才能 ── ラレさんの場合 ①
寡黙で謎めいた人物/自閉症当事者たちの会合
仮想空間でオープン・ダイアローグ/他者と共感する自閉症アバターたち
ラレはいったい何者なのか?/アリスの世界をのぞき込む
ラレが使い分ける複数の分身/仮想世界こそがリアル?
「映像」という言語/ラレが作った王国へ
危険と遊び心に満ちたビックリハウス/「無自覚に見る」ことの限界
時間や空間は一つしかないのか?/「予期できない」という不安
言葉で世界を語ることの限界/ラレの創造性の秘密
自由を構成する三つの要素
第2章 創造性の秘密をさぐる ── ラレさんの場合 ②
「デジタル・エスノグラフィー」という方法/ラレとの交渉
ワイオミングという土地/格差の拡大が進む街で
待望の出会い/ラレさんが感じる困難
スーパーマーケットの深夜勤務へ/リアル世界で制限される自由
視覚優位を活かした商品管理/ラレさんにとっての「リアル」
自分らしくいるために/丘の上での対話
瞑想との共通点/エミリー・ディキンソンの言葉
リアルと仮想空間を往還する生き方/「症状」の視点で人は理解できない
第3章 自閉症こそが私の個性 ── コラさんの場合
言語能力の高い自閉症当事者/「社会が望む私」に対する違和感
行動の「外見」だけを矯正する無意味さ/「アイ・アム・オーティスティック」の思想
認知特性が発達する順番/「個性」としての自閉症
「言葉の遅れ」と発達障害/「高機能」は自閉症を代表できないのか?
自分が制御できなくなる瞬間/テクノロジーの力でパニックを予防する
「社会の期待」と「自身の健康」のはざまで/リアル社会のコラを訪ねる
人に誤解されがちな身体表現/感じること、理解すること、表現すること
動物に対するシンパシー/どんなときにメルトダウンが起きるか
ポケットだらけの「防護服」/非定型者のためのテクノロジー
出来たてで湯気の立った思考
第4章 マンガを描くことで深める自己理解 ── 葉山爽子さんの場合
自閉的世界をマンガで表現する女性/「わたしが感じる世界はすべて間違っている」
自閉症的世界が懐かしい/他者と交われない悲しみ
リアルの葉山さんに会いに行く/「空気を読む」ことの困難
大学在学中に診断されるまで/パニックを招く出来事
ビックリハウスのような現実/「予測」というコミュニケーションの潤滑油
猫の粘土か、粘土の猫か/偏りが特性として活きる
自分と他者の境界がつきにくくなる/「日付のない写真」のような記憶
「マンガを描く」というセラピー/時間の波の渚で
「をかし」は美しい/美しいものとは一体化する
価値観のバリアフリー
第5章 「うわわオバケ」が開いた世界 ── 高橋紗都さんの場合
ギターを手にした白雪姫/「うわわオバケ」の発見
自分を理解するきっかけ/「目を見て話せ」が難しい理由
家族で「うわわオバケ」を研究する/周囲がはぐくむ当事者の自己肯定感
往復書簡を経てからの出会い/明朝体は大の苦手?
知能ってなんだ?/知能検査の尺度
たんぽぽの綿毛のように広がる音/音のソムリエとその自省的知性
抹茶の泡に宿る虹色の景色/感覚と感覚がつながる
共感覚とは何か/自閉症と共感覚
紗都さんの自己省察/ギターの音に色がつく
共感覚と芸術
第6章 インテリジェンスの多様性を求めて
なぜ自閉症的「知性」を問題にするのか/「視覚優位」という特性
私が出会った当事者たち/世界の見え方は一つではない
マインドフルネス・ブームの背景/宮沢賢治と共感覚
「見えるもの」と「見えないもの」/リアルと仮想を分けることの無意味さ
「森の生活」と非定型インテリジェンス/ソローはなぜ森にこもったのか
自閉症的知性が世界を変えた/日本中世に現れた天才・明恵
境界の垣根を軽く超えてしまう感性/夢という仮想空間
誰にでも現れうる特殊な認知特性/非定型の世界を訪ねるアリス
「慣れ」が生む無知
おわりに