松本 敏治:著 福村出版 定価:1800円+税 (2017.4)
私のお薦め度:★★★☆☆
ユニークな書名に惹かれて、思わず手にとりました。
「あのさぁ、自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ」
本書のきっかけとなったのは、筆者(大学で発達障害の講義を持っていた松本先生)が、津軽地方で乳幼児健診にかかわっておられる臨床発達心理士の奥様のなにげないひとことだったそうです。
「いや、今日の健診で見た自閉症の子も、お母さんはバリバリの津軽弁なのに、本人は津軽弁しゃべんないのさ。やっぱ自閉症って津軽弁しゃべんねんじゃね」
そう言われれば、我が家の息子も岡山弁はしゃべりませんね。
同じように、思いあたるご家庭も多いのではないでしょうか。
ただ、それはもしかすると噂の一つにすぎないのではないか? 何か科学的根拠はあるのだろうか?
そんな疑問を抱かれた松本先生はさすが研究者、調査と考察にとりかかります。
まずは、この噂がどのくらい広まっていて信じられているのか、それを明らかにしようとしました。このような都市伝説ならぬ「地方伝説」は、ちゃんとした説明をしていかねば、「津軽弁(方言)を話さない = 自閉症」という図式が定着してしまいます。先ほど述べたように特別支援教育や乳幼児健診などにかかわる専門家の人たちが、このような誤解から間違った情報を広げているとすると収拾がつきません。
ここから本書は、きわめて真面目な展開となります。
松本先生は、様々なデータをできるだけ収集し、いろいろな仮説をたてて検討を重ねていかれます。
松本先生は、様々なデータをできるだけ収集し、いろいろな仮説をたてて検討を重ねていかれます。
研究がスタートした頃の2011年のシンポジウムで会場から出た意見だそうです。
「津軽弁や秋田弁などは、ただでさえ他地域の人間には聞き取りにくい。そのような特徴がASD(自閉スペクトラム症)の人の聞き取りを困難にしている可能性はないのか」
「津軽弁や秋田弁などは、ただでさえ他地域の人間には聞き取りにくい。そのような特徴がASD(自閉スペクトラム症)の人の聞き取りを困難にしている可能性はないのか」
その例として、裁判員制度導入に関連して「津軽弁の供述を翻訳、青森県警が調書に導入」という新聞記事が紹介されています。
「わたげあたまささきたはんでふったいてまったじゃ」→「わ、たげ頭さきたはんで、ふったいてまったじゃ」→「私は大変頭にきたので、殴ってしっまったのです」
という意味になるそうですが、確かに他地域の人間には通訳がいりそうです。
でも、生まれたときから津軽弁の中で暮らしているASD児であれば、聞き取りでは意味理解はできるかもしれません。
そこで対象とするのは津軽弁だけでなく、各地の協力者を募ってそれぞれの方言とASDの関わりについてのデータ収集と研究に移っていきます。
最初に考えられた仮説の数々、詳しくは本書を読んでいただきたいので名前だけあげるとすれば、「音韻・プロソディ障害仮説」・「パラ言語理解障害仮説」・「終助詞意味理解不全仮説」・「メディア影響仮説」など、説明を読むとどれもありそうには思える仮説ですが、それだけでは完全に納得するまでにはいたりません。
そこで、松本先生が注目したのは、方言の持つ社会的機能です。
大人になれば、津軽弁も共通語も両方話せるようになるが、方言を使うかどうかは相手によって使い分けをしているということです。相手が他地域の人や上司、親しくない人には共通語で話し、仲間うちの親しい者同士は津軽弁で話しています。方言の持つ親近感や信頼感の機能でしょう。
社会性に障害を持つASD者にとっては特に苦手な分野ですね。これで大人のASDの方の方言不使用については、かなりの部分まで説明できると思います。
社会性に障害を持つASD者にとっては特に苦手な分野ですね。これで大人のASDの方の方言不使用については、かなりの部分まで説明できると思います。
残りは、最初に戻って、まだそれほど互いの社会性を必要としていない、乳幼児健診に来るような幼い自閉症児たちも方言を話さないのはなぜかという疑問です。
ここで松本先生の奥様、今泉さん(仕事では旧姓を使われているそうです)の登場です。
ここで松本先生の奥様、今泉さん(仕事では旧姓を使われているそうです)の登場です。
今泉さんは、発達初期であれば津軽弁を話さない子どもをチェックすることでASDの特徴を見出すことができる場合もあると指摘しています。
たしかに、医療関係者や健診にかかわる人びとのあいだで、ASDは方言を話さないという印象があることを考えると、幼児期においてすでに、ASDの方言使用はみられないとも思えます。
つまり、定型発達(TD)の子どもは幼児期から周囲の話すことば(方言)を理解・産出している。一方、方言を話さない子どもの中にASDが存在することもありうるということのようです。
たしかに、医療関係者や健診にかかわる人びとのあいだで、ASDは方言を話さないという印象があることを考えると、幼児期においてすでに、ASDの方言使用はみられないとも思えます。
つまり、定型発達(TD)の子どもは幼児期から周囲の話すことば(方言)を理解・産出している。一方、方言を話さない子どもの中にASDが存在することもありうるということのようです。
この印象は、その後の乳幼児健診にかかわっている津軽地域の保健師55名からの調査結果から、統計的には事実であると裏付けされました。そうであれば、確定診断には結びつかないとしても、健診の際のスクリーニングの要素の一としては使えそうですね。
でも、なぜASDの幼児の多くが方言を使わないのでしょう。
でも、なぜASDの幼児の多くが方言を使わないのでしょう。
そこで松本先生が次に注目したのが、ASDの診断に使われる「ADI-R(自閉症診断面接)」の質問の中の自発的模倣の項目です。
その項目では、対象者が「家族の真似」をするかどうかを尋ねています。
興味深いことに、追加コメントとして「ここでは、人から教わったのではない、他者のさまざまな行動や動作、特徴などの自発的模倣に重点を置く。テレビや映画に出てくる人物の模倣は除外する」というのがあります。これはASD診断のための項目ですので、ASDは家族の真似をすることが困難ということを意味します。
しかし、コメントにはテレビや映画に出てくる人物の模倣は除外するとなっています。
つまり、ASDでもテレビや映画のキャラクターの真似はできるということを意味します。TDの子どもが家族の真似も、テレビ・映画のキャラクターの真似も可能であるのに対して、ASDでは家族の真似は困難でも、テレビ・映画のキャラクターの真似は可能だということになります。
つまり言語の習得においてTDは家族の使っている方言と、テレビ・映画画のキャラクターの共通語、両方の真似ができるのに対し、ASDは方言を使っている家族の真似が苦手なせいではないか・・・これが、松本先生の試論です。
もちろん、本書にはこれまで集められたデータや表がたくさん載せられていますので、それをご覧になって他の仮説を思いつかれる方もいらっしゃるでしょう。
また機会があればみなさんからもご意見をお聴きしたいと思っています。
もちろん、本書にはこれまで集められたデータや表がたくさん載せられていますので、それをご覧になって他の仮説を思いつかれる方もいらっしゃるでしょう。
また機会があればみなさんからもご意見をお聴きしたいと思っています。
ところで、本書を「お薦め本」に選ぶにあたって、この内容を療育を行っている「ぐんぐん」のスタッフに確認したところ、「バリバリの岡山弁を使っている子も多いよ」「方言も喋っているよ」と少し否定的でした。
でもよく聞いてみると、みんな高機能の子どもたちで、本書の考察とも一致していました。
つまり、かず君(重度のASD児)にみられたように障害の程度が重い場合には、周囲の人びとの会話からことばを学ぶことそのものに困難を抱えるのでしょう。一方、より軽度なASDの場合には、その障害は周囲からの言語習得(自然言語習得)を妨げるほどではなく、方言で話すことができる場合もあります。ただし、繰り返しになりますが、相手や状況そして心理的距離に応じた使いわけ(方言と共通語の使いわけ)が難しいのです。
なお、本書の内容は、最初に書いたようにいたって真面目な研究書です。題名と表紙のイラストだけに惹かれて「面白そう」と購入されると少し面食らうかもしれません。
また、すぐに療育に役立つノウハウ本でもありませんが、本書の副題 「自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く」 というテーマにはしっかり答えてくれている「面白い」1冊だと思います。
(「育てる会会報 233号」 2017.9 より)
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目次
発端
第1章 自閉症は津軽弁をしゃべんねっきゃ
第2章 北東北調査
第3章 全国調査
第4章 方言とは
第5章 解釈仮説の検証
第6章 方言の社会的機能説
第7章 ASD幼児の方言使用
第8章 ASDの言語的特徴と原因論
第9章 家族の真似とテレビの真似
第10章 ことばと社会的認知の関係
第11章 かず君の場合
第12章 社会的機能仮説再考
第13章 方言を話すASD
第14章 「行きます」
第15章 コミュニケーションと意図
おわりに
引用・参考文献
謝辞