5月7日に父親が亡くなりました。
施設の方から連絡をもらい、駆け付けた時にはすでに息をしていませんでしたが、
ぐっすりと眠っているようにも見えました。
父は市会議員を何期か務め、花道の家元としてお弟子さんたちに生け花を教え、また弓道の振興にも力をそそいでいました。
器用でものづくりが好きで、竹や木を使って様々なものを工夫して作っていました。
父が亡くなり、悲しむ間もなく、私たち娘はバタバタと葬儀の支度をはじめました。
真っ先に考えなければいけないのは葬儀場の事。
新型コロナウィルスが収束していないこの時期、式はどんな風にしたらいいのか。
話し合って決めたのは、「家族葬」でした。
生前、本当にたくさんの人とお付き合いがあった父の葬儀となれば、多くの人がお参りにきてくださることが想像されます。
いくら、マスク、手洗いを徹底していただいても、葬儀場内でソーシャルディスタンスは難しいでしょう。
父のためにお参りにきていただいた方の中で、コロナウィルスの感染などということが絶対あってはいけないと判断し、
親戚のみに知らせて、家族葬という形をとりました。
親戚のみといっても40人近くの人が参列することとなるため、大きな会場を選び、椅子の間隔は通常よりも広くとってもらいました。
当然、お寺さんも、式場スタッフも、参列者も全員マスク着用です。
お棺に花を供え最後のお別れをする際も、涙も鼻水も、「お父さん!お父さん!」と呼びかける声も
すべてマスクの中でした。
それでもこの時期、コロナウィルスで亡くなった方は、遺骨での対面になってしまうという話も聞いて、
父とは、通夜、告別式、火葬場、と準を追って弔うことができ、順々に気持ちに折り合いをつけていくことができました。
「どうして教えてくれなかったの!」
とおこられそうな人の顔がたくさんうかびますが、この異常事態での葬儀ということで、どうぞお許しください。
父は、いつも私たち家族のことを考えていてくれたか?と考えると、なんか違う気がします。
他人だろうがなんだろうが、困っている人を助けたいって気持ちが優先で、私たち家族が後回しになることもよくありました。
市議会議員に立候補し、何期も勤め上げたのも、純粋にそんな考えからだと思います。
イメージ的には、昭和ひと桁の頑固なおやじって感じで、小さいときはちょっと怖かった。
自分自身が成長するにつれて、その頑固おやじの真ん中には人と人の出会いを大切にする誠実さとやさしさ、恩返しの心があることがわかるようになりました。
孫がくると、本当にうれしそうにしていて、孫たちを楽しませようと、いろんな手作りおもちゃを作ってくれたり、話をしてくれたり。
なので、孫たちはじいちゃんが大好きでした。
そんな父が亡くなって、私自身どうなるのかと想像できなかったのですが、葬儀の時の涙以外は、不思議と今のところ取り乱さずに淡々と日々を過ごしています。
まだまだあれこれやらなきゃいけないことがあったり、姉妹でたくさん話をする機会もあったで、気分が紛れているのかな、とも思います。
ただ、何かのきっかけで、ふたをしてある悲しみや寂しさの感情がドバっと出てくる気もします。いつも心の奥にチクチクとした痛みのようなものがたまっている感じです。
お父さんお母さんを亡くされた経験のあるかたは、どんな感じだったでしょうか。
お父さん
今までありがとう!
これから生きていく間、何度も自分の中にお父さんと似た部分があることを感じる時があるだろうな。
そんなときが楽しみです。
「うわ~、お父さんそっくりだわ!」って自分自身にいうと思うので、
その時はあの世から
「ばかものが!」
と笑顔で怒鳴ってね。
※イラストは、父です。父を知ってる人にはすごーくわかる口癖ばかりです。
