自分のプレーを説明できるということ | ゴローとパパの蹴球日記 - 第2章 不合格と告げられた少年 -

ゴローとパパの蹴球日記 - 第2章 不合格と告げられた少年 -

サッカー少年育成記
プロサッカー選手を目指す息子ゴローと父の物語
夢を現実的なものとして日々積み重ねて行く。夢で終わらせない。

ゴローは、試合の中で何を考え、何を見て、どう判断したのか?

振り返った時に、ひとつひとつ説明できます。

 

過去の試合も含めて、そんな細かいところまで覚えているの?というくらい自分のプレーを覚えている。

 

多分、幼少期からプレーに関して試合中ああしろこうしろとは言わず、試合後、家に帰ってから、「この時何を考えていたか?」、「何が見えていたか?」「(その上で)どういう判断をしたのか?」を聞くだけに留めているのが、良かったのかなと思います。

 

良かったプレーや考え、発想、判断については、おおげさなくらい褒めますが、こういう動きをしろ、こういうプレーを選択しろとは極力言わないようにしていました。伝えるのはサッカーというゲームの本質のみ。

 

プレーの選択は選手(こども)が自ら行うもの。

大人や指導者は、その時何が見えていて、何を考えたのか、なぜそう判断したのか、問いかけと気づきを与えればいい。

 

よく試合で、保護者が横からああしろこうしろ、そうじゃないとプレーの指示している人がいますが、選手(こども)から自分で考える力を奪ってしまっているなと感じます。(親として気持ちはよくわかりますし、良かれと思ってやっているのだと思いますが。。)

 

自分のプレーを説明できるということは、自ら考え、判断しているということ。

自分のプレーを説明できるということは、サッカーというゲームを自分でプレーしているということ。

 

この「サッカーというゲームを自分でプレーすること」が育成年代では大事だと思います。