入院で奪われる自由と気づき | 褥瘡ゼロを目指す 看護師の日記

褥瘡ゼロを目指す 看護師の日記

褥瘡ゼロを目指す看護師です。介護施設で働く看護師の日記。療養する全ての人が自分で動けなくても、意思表示出来なくても、穏やかに居られるように手伝いたい。その他の興味が向いた事も。

 入院すると、個人の自由は限りなく制限される。高齢者の患者さんは特に。転ぶから、出て行ってしまうから、何度も同じことを訴えるから、という理由で勝手に起きてはいけないと言われたり、ナースコールを何度も鳴らすなと言われたりしていないだろうか。
なぜかというと、看護師は時間に余裕がない。時間がない状況は心の余裕まで奪う。寄り添って、起きたいときに、離床介助したり、歩きたいときに、付き添って歩いたり、同じ訴えを毎回聴いている時間がないために、用事がないなら、じっと寝ていて欲しいと思っているひともいるだろう。
療養病院は、患者さん60人に看護師4〜5人くらいで昼間みて、夜間は一人でみる。ここに、介護職が加わるが基本的には患者さんの対応は看護師が行っている。療養病院には高齢者の寝たきりの患者さんが多い。病状が回復していくわけではなく、維持から病状が進行していく方々がおられる。検温やケアのときに、病状の変化がないか気をつけながら接している。お風呂介助、更衣、歯磨き、ひげ剃り、食事介助、傷の処置、チューブ類の交換などの日常ケアや処置そして記録。個別的にケアが特殊なものもあったり。重症化していく患者さんを抱えながらも担当部屋の人数は当たり前にみなければならないし。動かず、静かに寝ていてもらえたら、助かる…。もう、話すのも気力がすり減り、仕事終わりにはげっそりして、しばらく帰宅できないことも。
そんなふうにしか働けなかった頃、人をケアしているのに、こんなのおかしい!って苦しかった。
工夫次第でケアの質は変えられるのに、環境のせいにしていた時は愚痴ばかりで、どんどん疲れてしまっていた。看護師の人数は、変えられないから、どうしたら患者さんの自由や尊厳を守れるだろうと考えた。
 やはり、声掛け。私はあなたが意志を持った一人のひとであることを知っていますという気持ちを込めて声掛けをすること。これだけで、私のなかで、業務からケアに変わりました。苦しかったのは、ケアを業務として患者さんに接していたことを、それは人として違うというサインだったのかも。
 同じことをしていても、どんな心からその行動が出てくるかで、自分のエネルギーまでかわってくる。エネルギーが湧けば、効率よく仕事をして、好きなケアをする時間を作ろうというモチベーションも生まれた。
 たびたび忘れるから、これからの自分に言い続けよう。他人や環境を責めるのはやめて、自分ができることをはじめよう。